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無能と追放された私の魔法は、生活魔法レベルです  作者: 希羽


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第7話 契約成立と、初めての膝枕

 嵐のような監査が去り、辺境の屋敷に再び静寂が戻ってきた。

 夕食の時間。

 今日の献立は、挽肉と玉ねぎをたっぷり使ったハンバーグだ。

 ソースは、赤ワイン(地下倉庫で埃を被っていた年代物)とケチャップを煮詰めた特製デミグラスソース。

 ジュウウウ……という食欲をそそる音と共に、肉汁の香りがダイニングに広がる。


「……美味い」


 ジークフリート様は、一口食べるごとに深く頷き、噛みしめるように味わっていた。

 その表情は真剣そのもので、かつて魔王と対峙した時よりも集中しているかもしれない。


(よかった。お肉料理もお好きなのね)


 私は胸を撫で下ろし、自分の分のハンバーグを切り分けた。

 ナイフを入れると、肉汁が溢れ出す。

 一口食べれば、お肉の旨味とソースの酸味が口いっぱいに広がって、幸せな気分になる。

 食後のハーブティーを飲み終えた頃。

 ジークフリート様が、ふと真面目な顔つきで私を見据えた。


「リナリア」

「は、はい! 何でしょう?」


 急に名前を呼ばれ、私は背筋を伸ばした。

 もしかして、今日の味付けが濃すぎただろうか? それとも、お掃除の仕方に不満が?

 彼は少し言い淀むように視線を彷徨わせ、それから意を決したように口を開いた。


「改めて、話をしたい。……今後のことだ」

「今後のこと……ですか」


 ドキリ、と心臓が跳ねた。

 ミレーヌさんは帰ってしまった。監査は終わった。

 もしかして、「合格点が出たから、もうお役御免だ」と言われるのだろうか。

 不安で膝の上で手を握りしめる私に、彼は低い声で告げた。


「俺は、お前にここにいてほしい」

「え?」

「今日のミレーヌの話を聞いて、確信した。俺には、お前が必要だ」


 彼はテーブル越しに身を乗り出した。

 金色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。


「お前の料理を食べると、体が軽い。思考がクリアになる。……正直に言おう。もう、お前の作った飯なしの生活には戻れそうにない」


 それは、彼なりの最大限のプロポーズだった。


 「君の回復魔法がないと、俺の呪いが抑えきれない」という意味だ。

 けれど、事情を知らない私の耳には、こう変換されて届いた。


(えっ……それってつまり、『胃袋を掴まれた』ってこと!?)


 私はパァッと顔を輝かせた。

 実家では餌扱いだった私の料理が、この元英雄様の胃袋を陥落させたのだ。

 料理人として、これ以上の賛辞はない。


「もちろんです! 私でよければ、いくらでも作らせてください!」

「……いいのか? こんな、何もない辺境の地だぞ。娯楽もないし、俺のような無愛想な男と二人きりだ」

「それがいいんです! 静かで、お野菜は美味しいし、空気も綺麗。それに……」


 私は彼を見つめて、微笑んだ。


「ジークフリート様は、全然無愛想じゃありません。重い荷物は持ってくださるし、お掃除をすれば褒めてくださる。私にとって、ここは世界で一番居心地の良い場所です」


 私の言葉を聞いて、彼は目を見開き、それからふいっと顔を背けた。

 耳だけでなく、首筋まで赤くなっている。


「……そうか。なら、契約成立だ」

「はい! よろしくお願いします、旦那様」


 こうして私たちは、正式に夫婦としての契約を結んだのだった。


 ◇◇◇


 契約成立を祝して(?)、その夜は暖炉の前で少し夜更かしをすることになった。

 パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く、穏やかな時間。

 ジークフリート様は長椅子に座り、難しそうな古書を読んでいたけれど、次第にページをめくる手が止まり、船を漕ぎ始めた。


(疲れているのかな)


 無理もない。今日はミレーヌさんの対応で気を張っていただろうし、その前はずっと体調が悪かったのだ。

 うつらうつらと頭を揺らす彼を見て、私は自然と声をかけていた。


「ジークフリート様、よかったら横になりませんか?」

「……ん、あぁ。すまない、少し落ちていた」

「ここ、使ってください」


 私は自分の太腿をポンポンと叩いた。


「え?」

「膝枕です。実家ではよく、疲れた妹にやってあげていたんです。硬いかもしれませんけど、床よりはマシですよ?」


 彼は固まった。

 金色の瞳が、私の顔と膝を何度も往復する。


「い、いや、さすがにそれは……重いだろうし……」

「大丈夫ですよ。ジークフリート様、今にも倒れそうなお顔をしてます。少し休むだけですから」


 私が強引に勧めると、彼は観念したようにため息をつき、おずおずと体を横たえた。


 ドサッ。


 私の膝の上に、ずしりとした重みが乗る。

 黒髪ごしに伝わる体温。男性の頭の重さに、少しだけドキドキしてしまう。


「……重くないか?」

「全然。……ふふっ、ジークフリート様の髪、意外とサラサラですね」


 私は彼の髪を指で優しく梳いた。

 硬そうに見えて、触れると驚くほど柔らかい。

 まるで、大きな猫を撫でているみたいだ。

 私の指先から、無意識の癒やしの波動が流れていることなど知らず、私は一定のリズムで彼を撫で続けた。


「…………ぁ」


 ジークフリート様の口から、安堵の吐息が漏れた。

 全身の力が抜け、私の膝に完全に体重を預けてくる。


(温かい……)


 ジークフリート様の意識は、急速に微睡みへと落ちていった。

 リナリアの膝から流れ込んでくる、陽だまりのような魔力。

 それが脳の芯に残っていた呪いの残滓を溶かし、泥のような眠気へと誘う。

 怖い夢を見ない夜なんて、何年ぶりだろう。

 孤独に震えなくていい夜なんて。


「……リナリア」


 薄れゆく意識の中で、彼は呟いた。


「……ん?」

「……ありが、とう」


 それは、とても小さくて、でも何よりも優しい声だった。

 すぐに寝息が聞こえ始め、私は彼の寝顔を見つめて微笑んだ。

 普段は眉間に皺を寄せている彼が、今はとても無防備で、安らかな顔をしている。


「こちらこそ、ありがとうございます。旦那様」


 私は彼の額にかかった前髪をそっと払い、小さく呟いた。

 この人が、私の家族。

 私が守るべき、大切な場所。

 窓の外では風が唸りを上げていたけれど、暖炉の前のこの場所だけは、春のように暖かかった。


 ――こうして、私たちのささやかで幸せな日々が始まった。

 けれど、そんな平穏な日々に忍び寄る白い影に、私たちはまだ気付いていなかった。

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