第6話 ギルド職員の密かな報告
その日、平和な辺境の森に、一台の馬車がやってきた。
車輪には『王立婚姻斡旋ギルド』の紋章。
乗っているのは、私にジークフリート様を紹介してくれた担当職員、ミレーヌさんだ。
「大変! ミレーヌさんが来ちゃいました!」
私は窓から馬車を見つけ、慌ててエプロンの紐を締め直した。
今日は「新婚生活の定期監査」の日だ。
もしここで「夫の管理不行き届き」とか「住環境が劣悪」なんて判断されたら、ジークフリート様との生活が終わってしまうかもしれない。
「落ち着け、リナリア」
薪割りをしていたジークフリート様が、斧を置いて戻ってきた。
その顔色は健康的で、足取りもしっかりしている。
出会った頃の「今にも倒れそうな病人」の面影は、もうどこにもない。
「でも、お掃除の残りがないか心配で……」
「これ以上やったら、屋敷が光り輝いて消滅するぞ。今のままで十分だ」
ジークフリート様は苦笑しながら、私の背中をポンと押してくれた。
玄関の扉を開け、馬車を出迎える。
降りてきたミレーヌさんは、いつもの銀縁眼鏡を押し上げながら、周囲をきょろきょろと見回した。
そして、私たちを見るなり、あんぐりと口を開けた。
「……え?」
彼女は眼鏡を外し、ハンカチで拭いて、もう一度かけ直した。
「住所は合っていますよね? ここは『終わりの森』にある、呪われた廃屋……いえ、ジークフリート様のお屋敷ですよね?」
「はい、そうですよ! ようこそお越しくださいました!」
私が笑顔で答えると、ミレーヌさんは信じられないものを見る目で屋敷を凝視した。
「瘴気が……消えている?」
彼女の呟きは小さすぎて、私には聞こえなかった。
客間に通されたミレーヌさんは、ソワソワと落ち着かない様子だった。
私はとっておきの茶葉――庭の隅で見つけた自生ハーブを乾燥させたもの――で淹れたお茶と、今朝焼いたクッキーをテーブルに並べた。
「粗茶ですが、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
ミレーヌさんはカップを手に取り、恐る恐る口をつけた。
その瞬間。
ビクッ、と彼女の肩が跳ねた。
「なっ……!?」
「あ、お口に合いませんでしたか? やっぱり砂糖が少なかったかな……」
「いえ、違います! 美味しいです、とても! ただ……」
ミレーヌさんは震える手でカップを見つめたまま、ギギギ、と首を回して、隣に座る屋敷の主人を見た。
「……ジークフリート様」
「なんだ」
ジークフリート様は腕を組み、知らんぷりを決め込んでいる。
「少し、お話をよろしいですか。……お二人だけで」
ミレーヌさんの真剣な眼差しに、ジークフリート様は小さく頷いた。
「リナリア。すまないが、庭の花に水をやってきてくれないか」
「はい、わかりました!」
私は「内緒話かな?」と思いながらも、素直に部屋を出た。
監査の邪魔をしちゃいけないものね。
◇◇◇
扉が閉まり、リナリアの足音が遠ざかるのを確認すると、ミレーヌは前のめりになった。
「閣下、これは一体どういうことですか!?」
彼女は興奮気味に詰め寄った。
彼女の手にあるカップ。注がれたハーブティーからは、信じられないほど高純度な魔力が立ち上っている。
(ただのハーブティーじゃないわ。これは、『飲む聖域』よ……!)
王都の神殿で一杯金貨十枚はする上級回復ポーションよりも遥かに純度が高い。飲んだ瞬間に、連日の激務で荒んでいた精神が癒やされ、疲労が吹き飛んでしまったのだ。
「あなたの呪いが、ほぼ浄化されています! それに、あの奥様! リナリア様はいったい何者なんですか? あの料理、あのお茶、そして屋敷全体を覆う結界のような清浄な空気……。彼女、ただの『家事手伝い』レベルじゃありませんよ!?」
「……声が大きい」
ジークフリートは人差し指を口元に当てた。
その体から溢れていたはずの致死性の呪いは、今は微塵も感じられない。むしろ、全盛期の英雄としての覇気が戻りつつある。
「あいつは、無自覚なんだ」
「無自覚?」
「あぁ。実家で『無能』と虐げられてきたせいで、自分の魔法が規格外だということに気付いていない。ただの『掃除』や『料理』だと思い込んでいる」
「そんな馬鹿な……。あれほどの出力、国で指折りの聖女でも不可能です。もし王宮や神殿に知られたら、彼女は一生『生きた聖遺物』として軟禁されますよ!?」
ミレーヌの指摘はもっともだった。
この国は、有能な魔力持ちを放っておかない。特に、呪いを解くほどの力となれば、国益のために自由を奪われるのは確実だ。
ジークフリートの目が、鋭く光った。
「だから、隠す」
彼は低く、ドスの利いた声で告げた。
「俺は、あいつの『普通の幸せ』を守ると決めた。誰にも利用させないし、誰にも奪わせない。……たとえ、かつて忠誠を誓った王家が相手でもな」
その気迫に、ミレーヌは息を呑んだ。
目の前にいるのは、呪いに蝕まれた病人ではない。
かつて単身で魔王の首を落とした、最強の英雄の姿だ。
「……本気、なんですね」
「あぁ。俺の命は、あいつのスープで拾ったようなものだ。残りの人生は全て、あいつのために使う」
ミレーヌはしばらく彼を見つめていたが、やがて深くため息をつき、ふっと表情を緩めた。
「わかりました。……共犯者になりましょう」
「ミレーヌ?」
「ギルドへの報告書には、こう書いておきます。『ジークフリート氏の呪いは依然として深刻。妻となったリナリア氏は献身的に介護しているが、生活は困窮しており、外部からの干渉は推奨しない』……と」
彼女は悪戯っぽくウインクをした。
「私はこう見えて、ハッピーエンドの恋愛小説が大好きなのです。お二人の邪魔をするような野暮な真似はいたしません」
「……恩に着る」
ジークフリートが頭を下げると、ミレーヌは立ち上がり、窓の外を見た。
「……まぁ、隠し通すのは大変そうですけれどね」
ミレーヌは苦笑した。
「あの方の『普通』の基準は、ちょっとバグっていますから」
◇◇◇
こうして、ギルドの監査は無事に(?)終了した。
帰り際、ミレーヌさんは私の手を両手で握りしめ、真剣な顔で言った。
「リナリア様。あなたは、今のままでいてくださいね。あと、旦那様のことをくれぐれもよろしくお願いします」
「はい! 任せてください。美味しいご飯をたくさん作って、もっと元気になってもらいます!」
私が答えると、彼女は満足そうに馬車へと乗り込んだ。
よかった。どうやら合格点はもらえたみたいだ。
これで晴れて、正式な夫婦(契約だけど)として認められたことになる。
――しかし、私たちの平穏が、王都の家族によって脅かされようとしていることを、この時の私はまだ知らなかった。




