第24話 王都の噂と、公爵邸の大掃除
高等法廷での劇的な逆転裁判から、数時間が経った。
私たち――私とジークフリート様、そして護衛のレオンさんたちは、王都の一等地に建つハイゼル公爵邸へと移動していた。
馬車の窓から見える王都の街並みは、どこか浮き足立っているように見えた。
道行く人々が新聞を広げ、興奮した様子で話し込んでいる。
「……噂になるのが早いな」
向かいに座るレオンさんが、苦笑しながら教えてくれた。
「今回の裁判は公開でしたからね。今頃、王都中の瓦版が『悪徳伯爵家の没落』と『英雄の帰還』を書き立てている頃でしょう」
「没落……ですか」
私が呟くと、レオンさんは真面目な顔で頷いた。
「はい。先ほど、刑の執行が開始されました。ベルベット伯爵夫妻とエレノア嬢は、爵位剥奪の上、北の鉱山へ移送されました。……馬車ではなく、罪人用の荷車で」
レオンさんは、淡々と、しかし残酷な事実を告げた。
「ベルベット家の屋敷には、借金取りと衛兵が殺到しています。家具や宝石、ドレスの一枚に至るまで差し押さえられ、競売にかけられるでしょう。彼らが『貴族』として戻ってくることは、二度とありません」
「そうですか……」
私は窓の外を見つめた。
胸が痛まないわけではない。でも、不思議と涙は出なかった。
それはきっと、彼らが最後まで私を家族として見ず、道具としてしか扱わなかったからだ。
「……自業自得だ」
隣に座るジークフリート様が、私の手をぎゅっと握った。
「お前が心を痛める必要はない。彼らは、自分たちが蒔いた種を刈り取っただけだ」
「……はい。ありがとうございます、旦那様」
彼の手の温もりが、私の中に残っていた僅かな罪悪感を溶かしてくれる。
そうだ。私は前を向かなければ。
これからは、この人の妻として生きていくのだから。
◇◇◇
「到着しました。こちらが、王都における我らが本拠地……ハイゼル公爵邸です」
馬車が停まり、レオンさんが扉を開けた。
私は緊張しながら降り立った。
目の前に聳え立つのは、白い石造りの壮麗な屋敷だった。
辺境のボロ屋敷(今はピカピカだけど)とは比べ物にならないほど大きく、立派な門構えに、手入れされた広大な庭園。
「うわぁ……大きい……」
私が口を開けて見上げていると、門の前に並んでいた数十人の使用人たちが、一斉に頭を下げた。
「「「お帰りなさいませ、旦那様! ようこそお越しくださいました、奥様!!」」」
統率の取れた大音声。
執事服やメイド服を着た彼らは、涙を流さんばかりの感激した顔をしている。
「おぉ、閣下……! よくぞご無事で……!」
「呪いが解けたというのは本当だったのですね……!」
老執事が震える手でジークフリート様を見つめている。
ジークフリート様は、少しバツが悪そうに頬を掻いた。
「……あぁ、ただいま。セバス、留守を頼んですまなかったな」
「滅相もございません! 屋敷は毎日磨き上げ、いつ閣下が戻られても良いように準備しておりました!」
セバスと呼ばれた執事さんは、涙を拭いながら私の方を向いた。
「そして、こちらが噂の……閣下をお救いになった奥様ですね」
「は、初めまして! リナリアです。えっと、元は子爵家の出で、その、至らない点も多いかと思いますが……」
私が慌てて挨拶をすると、使用人たちから「ほう……」と溜息が漏れた。
「なんて可愛らしい方だ」
「あんなに腰が低いなんて」
「噂通りの聖女様ね……」
なんだかヒソヒソと過大評価されている気がする。
私は居心地が悪くなって、ジークフリート様の袖を掴んだ。
「さ、中へ入ろう」
ジークフリート様がエスコートしてくれて、私たちは屋敷の中へと足を踏み入れた。
◇◇◇
案内されたのは、最上階にある主寝室だった。
天蓋付きのキングサイズベッドに、ふかふかの絨毯。窓からは王都の街並みが一望できる。
「す、すごい……。ここ、私たちが使っていいんですか?」
「あぁ。夫婦の寝室だからな」
ジークフリート様は当然のように言ったけれど、私は「夫婦の寝室」という響きにカッと顔を赤くしてしまった。
辺境では嵐の日に一度だけ一緒に寝たけれど、これからはそれが日常になるのだ。
「と、とりあえず! 荷解きをしますね!」
私は照れ隠しに、持ってきたボストンバッグを開けた。
中に入っているのは、質素な服と、愛用のエプロン。
「リナリア様、荷解きはメイドにお任せください」
控えていたメイド長さんが声をかけてくれたけれど、私は首を横に振った。
「いえ、自分のことは自分でやります! それに……」
私は部屋の隅、カーテンレールの上が少し曇っているのを見逃さなかった。
執事のセバスさんは「毎日磨いている」と言っていたけれど、長年主人が不在だった屋敷には、どうしても取りきれない澱のようなものが溜まるのだ。
(うずうずする……!)
私のお掃除スイッチが入った。
実家での騒動や、裁判での緊張。それらのストレスを発散するには、体を動かして綺麗にするのが一番だ。
「あの、雑巾とバケツをお借りしてもいいですか?」
「は? 雑巾……でございますか?」
メイド長さんが目を丸くする。
私はエプロンを装着し、気合を入れて宣言した。
「はい! せっかくの新居ですから、まずは清めないと!」
◇◇◇
それからの私は、台風のようだったらしい。
廊下の手すり、窓ガラス、シャンデリア。
気になった箇所に次々と『洗浄』の魔法をかけ、ピカピカにしていった。
パァン、パァン! と光が弾けるたびに、屋敷の中に漂っていた微かな湿気や、古びた臭いが消え失せ、高原のような清々しい空気に満たされていく。
「す、すげぇ……」
「窓ガラスがないみたいに透明になったぞ」
「なんだこの空気……吸うだけで肩こりが治ったんだが?」
使用人たちが、口をあんぐりと開けて私を見守っている。
中には、感動のあまり拝み始める者までいた。
「ふぅ、スッキリしました!」
一通り掃除を終えた私は、額の汗を拭って満足げに微笑んだ。
屋敷全体がキラキラと輝いている。
「……リナリア」
後ろから、ジークフリート様の呆れたような、でも優しい声がした。
「王都に着いた初日から、屋敷中の大掃除をする公爵夫人がどこにいる」
「えへへ……じっとしていられなくて。変でしたか?」
「いや」
彼は近づき、私の頬についた埃を指で拭ってくれた。
「お前らしい。……おかげで、ここも『俺たちの家』になった気がする」
「はい! 私もそう思います!」
私たちが微笑み合っていると、セバスさんがハンカチで目頭を押さえながら進み出てきた。
「……閣下。素晴らしい奥様を迎えられましたな。この屋敷が、これほど温かい空気に包まれたのは、先代様が亡くなられて以来でございます」
「あぁ。俺には過ぎた妻だ」
ジークフリート様は私の肩を抱き、使用人たちに向かって宣言した。
「皆、聞いたな。彼女がこの屋敷の新しい女主人だ。俺の命の恩人であり、最愛の女性だ。……粗相のないよう頼むぞ」
「「「はいっ!!」」」
使用人たちの返事は、今までで一番大きく、そして温かかった。
こうして、王都での新生活は順調に――あるいは規格外に――スタートした。
実家への制裁は終わり、私の居場所は確立された。
けれど、私にはまだ一つ、知らされていない真実があった。
なぜ私の料理が、スープ一杯で英雄の呪いを解いたのか。
その理由が、今夜、ついに明かされることになる。




