第22話 『普通』の旦那様の正体
嵐のような騒動が去り、国王陛下や騎士団の方々が気を利かせて席を外してくれたリビングには、再び静寂が戻ってきた。
残されたのは、私とジークフリート様、そして足元で呑気に欠伸をしているポチだけ。
「……リナリア」
ジークフリート様が、重苦しい口調で私の名を呼んだ。
彼はソファには座らず、私の前で直立不動の姿勢をとっている。まるで、判決を待つ罪人のように。
「すまない。ずっと、黙っていた」
「……はい」
「俺は、ただの貧乏貴族でも、木こりでもない。……この国で唯一の公爵位を持つ、ジークフリート・ヴァン・ハイゼルだ」
改めて聞かされると、その響きの重さに眩暈がしそうだ。
公爵。それは王族に次ぐ、最高位の貴族。
本来なら、私のような没落寸前の子爵家の娘(今は勘当されたけれど)が、口を利くことすら許されない雲の上の存在だ。
「俺が英雄などと呼ばれていたのは、もう数年前の話だ。呪いを受け、魔力を失い、王都を追われてからは……ただの死に損ないだった」
彼は自嘲気味に笑い、拳を握りしめた。
「お前に正体を明かせば、怖がられると思った。あるいは、『英雄』という肩書き目当てで近づいてきた他の連中と同じように、俺の『名前』だけを見るようになるんじゃないかと……それが、怖かったんだ」
彼の声が震えていた。
あの無敵に見える背中が、今はとても小さく見える。
彼は英雄である前に、孤独で、傷つきやすい一人の人間だったのだ。
私は立ち上がり、彼の目の前に立った。
そして、そっと彼の手を両手で包み込んだ。
「旦那様。顔を上げてください」
「……だが」
「いいから、上げてください」
私が少し強めに言うと、彼は驚いたように顔を上げた。
金色の瞳が、不安げに揺れている。
「私、怒ってますよ?」
「……っ、すまない。やはり、騙されていたのは不愉快で……」
「違います! 私が怒っているのは、旦那様が私を信用してくださらなかったことです!」
私は頬を膨らませて抗議した。
「私が、旦那様の肩書きなんて気にする女に見えましたか? 『公爵様だから』ご飯を作るんですか? 『英雄様だから』お洗濯をするんですか? 違いますよね!」
「リナリア……」
「私は、ジークフリート様だから、お嫁に来たんです。不器用だけど優しくて、私の料理を美味しそうに食べてくれて、雷の日は耳を塞いでくれる……そんな『あなた』が好きなんです!」
一気にまくし立ててから、私はハッと我に返った。
「好き」って言っちゃった。
顔から火が出そうだ。でも、言わずにはいられなかった。
「だ、だから……あなたが英雄でも、木こりでも、私には関係ありません。あなたは私の、大切な旦那様です。それ以上でも、それ以下でもありません!」
言い切ると、ジークフリート様はポカンとして私を見つめていた。
やがて、その瞳から涙が溢れ出した。
「……あぁ。そうか」
彼は、今まで見たどの表情よりも優しく、そして嬉しそうに破顔した。
「俺もだ。俺も、お前が好きだ。……愛している」
彼は私を強く抱きしめた。
骨が軋むくらい強くて、でも温かい。
「一生、離さない。……たとえお前が『普通』が良くても、もう逃がしてはやらないからな」
「ふふ、逃げませんよ。覚悟してくださいね、元・英雄様」
私たちは互いの体温を感じながら、しばらくの間、静かに抱き合っていた。
◇◇◇
感動的な仲直り(?)の後、私たちは再び国王陛下と向き合っていた。
陛下は、ニヤニヤと楽しそうに私たちを見比べている。
「うむ、雨降って地固まる。熱いことで何よりだ」
「……陛下、盗み聞きは趣味が悪いですよ」
ジークフリート様が不貞腐れたように言うと、陛下は「フォッフォッ」と笑った。
「さて、ジークフリート。先ほども言ったが、王都への帰還命令だ」
陛下の表情が、王としての真剣なものに変わる。
「そなたの呪いが解けたことは、いずれ知れ渡る。それに、今回のベルベット伯爵家の一件……。貴族社会に示しをつけるためにも、公の場での断罪と、そなたらの名誉回復が必要だ」
「……つまり、見せ物にしろと?」
「人聞きが悪いな。だが、リナリア嬢を守るためにも必要なことだぞ?」
陛下は私の方を向いた。
「リナリア嬢。そなたの実家の悪評は、王都中に広まっている。だが、そなた自身も『家出した娘』として、あることないこと噂されているのが現状だ」
「あ……」
確かに、実家のことだ。「男と駆け落ちしたふしだらな娘」とでも吹聴しているに違いない。
「だからこそ、最高の舞台で、最高の形で登場するのだ。『英雄ジークフリート公爵が選んだ、唯一無二の愛妻』としてな。そうすれば、雑音など一瞬で消し飛ぶ」
陛下は悪戯っ子のようにウインクした。
「来月、王城で建国記念の舞踏会がある。そこで、公爵夫妻としてデビューするのだ。……どうだ?」
ジークフリート様が、私を見た。
その目は「お前が嫌なら断る」と言っている。
公爵夫人の務め。王都の社交界。
普通を望んでいた私には、あまりにも荷が重い世界だ。
でも。
私は彼の手を握り返した。
(この人は、私のために全てを捨てようとしてくれた)
だったら、私も覚悟を決めなきゃ。
「……行きます、王都へ」
私は陛下に向かって、しっかりと頷いた。
「旦那様の隣に立っても恥ずかしくないよう、頑張ります」
「よし! 言ったな!」
陛下がパンと手を叩いた。
「では、すぐに準備に取り掛かろう。レオン、護衛の手配を!」
「はっ! それと陛下、お二人の衣装の手配も必要かと!」
「うむ。国一番のデザイナーを呼べ! リナリア嬢を世界一美しく着飾らせるのだ!」
なんだか、陛下たちが一番盛り上がっている気がする。
「……すまない、リナリア。苦労をかける」
ジークフリート様が耳元で囁いた。
「いいえ。……でも、一つだけ心配事が」
「なんだ?」
「私、ドレスなんて持っていませんし、ダンスも踊れません。……『普通』の芋洗いダンスなら得意なんですけど」
「……なんだそれは。後で詳しく教えてくれ」
こうして、私たちは辺境の隠遁生活に一旦別れを告げ、華やかな――そして魔窟のような王都の社交界へと足を踏み入れることになった。




