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無能と追放された私の魔法は、生活魔法レベルです  作者: 希羽


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第13話 王都からの追手?

 その日の朝、森の空気は妙に張り詰めていた。


「……ポチ、どうしたの?」


 洗濯物を干そうと庭に出た私は、足元で落ち着きなくウロウロしているフェンリルのポチに声をかけた。

 ポチはいつもなら、私が外に出るとすぐにお腹を見せて「撫でて!」と甘えてくるのに、今日は森の入り口の方を向いて、低く唸り声を上げている。

 尻尾も下がっているし、耳がピーンと立っている。

 これは、完全に警戒モードだ。


「熊でも出たのかしら?」


 ここは辺境の森だ。野生動物が出ることは珍しくない。

 私はポチの頭を撫でて安心させようとしたけれど、ポチの青い瞳は一点を見つめたまま動かない。

 その時。

 屋敷の中から、ジークフリート様が出てきた。


「……リナリア」

「あ、旦那様。おはようございます」

「おはよう。……悪いが、少し家の中に入っていてくれないか」


 彼の声はいつもより低く、そして硬かった。

 手には、あの巨大な斧が握られている。


「えっ? 何かあったんですか?」

「いや、たいしたことじゃない。森の結界に、害虫が引っかかったようだ。少し駆除してくる」

「害虫?」


 斧で駆除するような害虫って、一体どんなサイズなんだろう。

 私は首を傾げたけれど、ジークフリート様の目が笑っていなかったので、素直に従うことにした。

「わかりました。お気をつけて」

「あぁ。鍵をかけて、窓からは離れていろよ」

 彼は私の頭をポンと撫でると、ポチを連れて森の奥へと消えていった。


 ◇◇◇


 屋敷から少し離れた、森の境界線。

 そこには、一人の男が腰を抜かして座り込んでいた。


「な、なんだここは……! 進めねぇぞ!?」


 男は、王都のベルベット伯爵家から派遣された使用人だった。

 命令は単純。家出した三女の居場所を特定し、連れ戻すための手紙を渡してくること。


 ギルドの情報を元に、馬車を乗り継いでようやくこの辺境までたどり着いたのだが――。


 屋敷が見える距離まで来たところで、見えない壁に阻まれたのだ。


「くそっ、なんだこの空気は! 清浄すぎて息が苦しい……!」


 それは、リナリアが毎日の掃除(という名の聖域化)によって作り出した、超高密度の浄化結界だった。

 悪意を持つ者、害意を持つ者が触れれば、その身を焼かれるほどの神聖な波動。

 薄汚い欲望を抱えた使用人にとって、この領域は猛毒の沼に飛び込むようなものだった。


「ひぃぃ……! 目が、目がぁ!」


 無理やり踏み込もうとして、男は目や喉が焼けるような痛みに襲われ、無様に転がった。

 そこへ。

 ズシン、ズシン、と地面を揺らす足音が響いた。


「……誰の許可を得て、俺の庭に入ろうとしている」


 男が震えながら顔を上げると、そこには巨大な斧を担いだ、黒髪の巨漢が立っていた。

 逆光で表情は見えないが、金色の瞳だけが猛獣のように光っている。

 その横には、白銀の巨大な狼――伝説の魔獣フェンリルが、牙を剥き出しにして涎を垂らしていた。


「ヒィィッ!! ば、化け物ぉぉッ!!」


 男は悲鳴を上げた。


「答える気がないなら、餌にするぞ」


 ジークフリートが冷淡に言い放つと、ポチが「ガウッ!(食っていいか?)」と一歩踏み出した。


「ま、待ってくれ! 俺は怪しいもんじゃねぇ! て、手紙! 手紙を持ってきただけだ!」


 男は懐から封筒を取り出し、震える手で差し出した。

 ジークフリートは眉をひそめ、斧の柄で器用にその手紙を受け取った。

 宛名には『親愛なる娘、リナリアへ』とある。

 差出人は『ベルベット伯爵』。


「……チッ」


 ジークフリートは舌打ちをした。

 レオンからの情報通りだ。実家のネズミが、ついにここまで嗅ぎつけてきたらしい。


「用件はなんだ。連れ戻せと言われたのか?」

「そ、そうだ! 伯爵様のご命令だ! その娘には借金のカタ……いや、大事な縁談があるんだよ! さっさと引き渡せ!」


 男は恐怖でガタガタ震えながらも、主人の威光を借りて虚勢を張った。

 しかし、次の瞬間。


 ヒュンッ!!


 風を切る音がして、男の鼻先数センチの地面に、巨大な斧が突き刺さった。


「ひっ……!?」

「二度は言わん」


 ジークフリートは、男を見下ろして告げた。

 その体から、物理的な圧力を伴う殺気が膨れ上がる。


「リナリアは、俺の妻だ。誰にも渡さん。……主人に伝えろ。『これ以上、俺の聖域に手を出せば、国ごと灰にするぞ』とな」


 それは比喩ではなかった。

 今の彼には、全盛期以上の魔力がある。その気になれば、伯爵家の一つや二つ、消し飛ばすことなど造作もない。


「わ、わかった! 伝える! 伝えるから命だけは……!」

「失せろ」


 男は腰を抜かしたまま這いずり回り、最後は転がるようにして森の外へと逃げ出した。

 二度とこの森には近づかないだろう。

 ジークフリートは斧を引き抜き、手紙を見つめた。

 これを見せれば、リナリアは動揺するだろうか。

 優しい彼女のことだ。「お母様が病気」などと書かれていれば、信じてしまうかもしれない。


(……だが、隠し通せる段階は過ぎたか)


 彼は小さく息を吐き、ポチの頭を撫でた。


「戻るぞ、ポチ。リナリアが待っている」


 ◇◇◇


 屋敷の中。

 私は台所で、お昼ご飯の準備をしていた。

 外から、ドスンとか、ギャーとかいう声が聞こえたような気がしたけれど、風の音だろうか。


「おかえりなさい、旦那様」


 勝手口が開く音がして振り向くと、ジークフリート様が戻ってきた。

 少し疲れたような、でも決意を秘めたような顔をしている。


「害虫駆除、終わりました?」

「あぁ。……少し、大きめの害虫だったがな」


 彼は斧を置くと、私の元へ歩み寄り、不意に私を強く抱きしめた。


「えっ、旦那様……?」


 私の顔が、彼の広い胸板に埋まる。

 土と、森の香りがした。心臓の音が、少し早い。


「リナリア。……話がある」


 彼は体を離すと、一枚の封筒をテーブルに置いた。

 見覚えのある、実家の紋章が入った封筒。


「これは……」

「伯爵家からの使いが来ていた。追い返したが、手紙を預かった」


 血の気が引いた。

 見つかってしまった。

 もう、ここにはいられないのかもしれない。

 震える私の手を、ジークフリート様の大きな手が包み込んだ。


「大丈夫だ。何が書いてあろうと、俺はお前を離さない。……たとえお前が『帰りたい』と言っても、俺が無理やりにでも引き止める」


 その言葉は、命令のようでいて、懇願のようにも聞こえた。

 私は顔を上げた。

 金色の瞳が、不安げに揺れている。

 無敵に見えるこの人が、私が居なくなることを怖がってくれている。

 それだけで、勇気が湧いてきた。


「……読みます」


 私は手紙を手に取った。

 この幸せを守るために。過去の自分と決別するために。


 ――そして、封を開けた手紙には、予想通り……いえ、予想以上に汚い嘘で塗り固められた言葉が並んでいた。

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