第1話 普通の人と結婚したいんです
王都のメインストリートに面した、重厚なレンガ造りの建物。
磨き上げられた黄銅の看板には、『王立婚姻斡旋ギルド』の文字が陽光を浴びて輝いている。
私は建物の前で一度だけ深く深呼吸をすると、ポケットの中にある「なけなしの全財産」をぎゅっと握りしめた。
(大丈夫。ここならきっと、私みたいな人間でも受け入れてくれる人が見つかるはず)
震える足に喝を入れ、重たい樫の木の扉を押し開ける。
カラン、と小気味よいベルの音が鳴り響いた。
大理石の床に、ふかふかの絨毯。
高級ホテルのようなロビーに圧倒されそうになりながらも、私は受付カウンターへと直行した。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
対応に出てきたのは、銀縁眼鏡をかけた知的な女性職員だった。
私はカウンターに身を乗り出すようにして、勢いよく頭を下げた。
「あのっ、結婚相手を探しています! 条件は贅沢言いません。『普通』の方でいいんです!」
私の必死すぎる形相に、女性職員――名札にはミレーヌとある――は少しだけ目を丸くした。
しかしすぐに業務的な微笑みを浮かべ、手元の書類を整える。
「ようこそお越しくださいました。……では、お客様の仰る『普通』の定義を具体的にお聞かせ願えますか? 年収、家柄、容姿、魔力量。ご希望のラインは?」
ペンを構えるミレーヌさんに、私はあらかじめ用意していた答えを、指を折りながら告げていく。
「えっと、まず家柄は気にしません。私自身、実家とは縁を切る覚悟で来ましたから。年収も、雨風がしのげる家があって、今日明日の食事に困らなければ十分です。容姿もこだわりません。清潔感があれば」
「ふむふむ。最低限の衣食住、ということですね。では、一番重要な『魔力量』は?」
ミレーヌさんの眼鏡がキラリと光った。
この国において、魔力量はステータスの全てだ。
高い魔力を持つ者は高い魔力を持つ者と結ばれ、優秀な子孫を残すことが貴族の義務とされている。
けれど私は、きっぱりと言い切った。
「魔力も、普通でいいです。……いいえ、むしろ『ない』方がいいかもしれません」
「……はい?」
走らせていたペンの手が止まる。
ミレーヌさんが顔を上げ、訝しげに私を見た。
「魔力が、ない方がいい? それはまた、どうしてでしょう。生活魔法が使えないと不便ですし、何よりお子様の才能に関わりますが」
「私……実家で『魔力無しの役立たず』って言われ続けてきたんです」
言葉にすると、胸の奥がズキリと痛む。
伯爵家の三女として生まれた私、リナリア・ベルベット。
姉たちは華やかな魔法を使えるのに、私だけは目に見える魔法がほとんど使えなかった。
だから私は、家族として扱われなかった。
使用人以下の扱いを受け、朝から晩まで掃除、洗濯、料理と働き詰めの毎日。
それでも「役立たず」と罵られ、最近では年の離れた好色なカエル男爵への借金のカタとして売られそうになっていたのだ。
「強い魔力を持つ方の傍にいると、萎縮してしまうんです。また『役立たず』って言われるんじゃないかって。……だから」
私は顔を上げ、祈るようにミレーヌさんを見つめた。
「魔法なんて使えなくてもいいんです。毎日お互いに『おはよう』って言い合って、私の作ったご飯を『おいしい』って食べてくれる。……そんな、ささやかな幸せを共有できる方なら、どなたでも」
そこまで一息に言って、私ははっと口元を押さえた。
少し、理想を語りすぎただろうか。
魔力を求めないという条件は下げているつもりでも、「愛のある家庭」なんて、貴族社会では一番の高望みかもしれない。
「ず、図々しいですよね、すみません……。やっぱり、紹介料が足りないでしょうか……」
シュン、と私が肩を落とすと。
ミレーヌさんは眼鏡の位置を指でクイクイと直し、私の全身をじろりと観察した。
「……お客様。失礼ですが、そのお洋服の汚れ。どれも古いものですが、綺麗に修繕されていますね」
「え? あ、はい。新しいドレスなんて買ってもらえなかったので、自分で直して……」
「手を見せてもらっても?」
「はい……」
恐る恐る差し出した私の手は、貴族令嬢にあるまじき、洗剤荒れとマメだらけの手だった。
ミレーヌさんは私の指先をじっと見つめ、それからニヤリと――まるで獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべた。
「家事は一通りできる、と?」
「は、はい。掃除、洗濯、料理。一通りこなせます。実家の家事は全部私がやっていましたから」
「なるほど」
ミレーヌさんは手元の膨大な資料の山には目もくれず、カウンターの下から一冊の黒いファイルを引っ張り出した。
埃を被ったそのファイルを、私の前にドンと置く。
「いいえ、お客様。……その条件に合致する『優良物件』が、一名だけ登録されています」
「え?」
「ただし、少々……いえ、かなり『訳あり』でして」
ミレーヌさんは声を潜めた。
「王都から馬車で三日かかる僻地にお住まいなのですが、それでもよろしいですか?」
「僻地! 最高です! 静かな場所で暮らしたかったんです!」
実家の追手が来ない遠くに行けるなら、むしろ好都合だ。私が即答すると、ミレーヌさんはさらに畳み掛ける。
「先方は、ある事情で魔力を失っています。かつては名のある方でしたが、今は世捨て人のようにひっそりと暮らしておられます。気難しく、人付き合いも悪い。それでも?」
「魔力がないなんて、私とお揃いですね! それに、人付き合いが苦手なのは私もですから、静かに暮らせるなら文句はありません」
私の答えを聞いた瞬間、ミレーヌさんは「成約しました」と小さくガッツポーズをした。
そして、目にも止まらぬ早さで書類を作成し始める。
「では、こちらの『ジークフリート様』をご紹介いたします。紹介料は……今回は特別に『成功報酬』ということで、後払いで結構ですよ」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」
私は天にも昇る気持ちで書類にサインをした。
ああ、よかった。
これで私も、普通の幸せを掴めるかもしれない。
田舎で、魔力のない旦那様と、細々とでも穏やかに暮らすんだ。
――この時の私は、まだ知らなかったのだ。
紹介された魔力を失った訳ありの方というのが、かつて単身で魔王を討伐し、呪いによって魔力を封じられた元・救国の英雄公爵様であるということを。
そして。
実家で「役立たず」と呼ばれていた私の家事が、英雄さえも救えなかった呪いを解き、彼に溺愛される未来が待っているなんてことも。
呑気な私は、ミレーヌさんから渡された地図を大事に抱え、まだ見ぬ旦那様のもとへと旅立つのだった。




