頭痛の原因
そしてやってきた皇太子との対面の日。
香華は皇太子付きの女官に連れられてやってきた部屋で、件の人物と対峙した。
「君が――香華?」
「――皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
驚いた。
鋼鉄の皇太子なんて呼ばれているから、どれほど屈強な男が現れるのかと思っていたのに。
部屋の中は書物で埋め尽くされていた。
壁という壁に本が所狭しと詰められ、テーブルの上にも書類が積み上がっている。
艶虎の派手な部屋とは真逆に、こちらには一才の華美がない。
そんな部屋にいたのは真っ白な髪に真っ赤な目を持つ、美麗な皇太子―白龍―だった。
(うさぎみたいな人……)
「頭を上げて」
命令のまま下げていた頭を上げれば、目の前の白龍と視線が交わった。
彼は執務用の椅子に座ったまま、香華を見てにこやかに微笑む。
「皇帝陛下から聞いた。とはいえ君になにかしてもらうつもりはない。勝手に時間を潰してから帰ってくれ」
「……はあ」
どうやら全く期待されていないらしい。
とはいえこのまま帰しては、香華が皇帝に罰せられてしまうかもしれない。
だからここで時間を潰せということのようだ。
茶に茶菓子まで出してもらったので、香華はありがたくそれを頂戴することにした。
「…………」
優雅な時間だ。
皇太子が一生懸命仕事している中、ただの一女官がお茶を嗜んでいるなんて。
さすがは皇太子の住まいに出されるお茶菓子だ。
大変美味しいと口を動かしていると、深く息を吐き出した音がした。
「…………っ」
白龍がこめかみを押さえて眉間に深く皺を寄せた。
数秒痛みに耐えるように動きを止めた後、すぐに書き物をはじめる。
その後またしてと頭を押さえて耐え、書き物をはじめるを繰り返す。
三度ほど似たような光景を見た後、香華は渋々立ち上がった。
「皇太子殿下」
「なんだい? できれば静かにしてくれているとありがたいのだが」
「頭痛があるのですか?」
黙っているつもりがないと察したのか、白龍は大きめなため息とともに筆を置いた。
「そうだけれど君には関係のないことだ。残念ながら医者にも治せなかったからね」
ふむ、と香華は人差し指と親指で唇をぷにぷにとつまむ。
医者にも治せなかったということは、病気が原因でない可能性がある。
だというのに定期的に高頻度でやってくる頭痛。
「……痛み方はズキンズキンと脈打つ感じですか?」
「え? ……いや。そんな感じではない。……説明しずらいが」
ならば偏頭痛の可能性は低いかもしれない。
となるともしかしたら……と香華は香蝶を生み出した。
「殿下。もしよろしければ上を向いて目をつぶり深く息を吸い込んでください」
「…………黙って座ってるだけは嫌なんだね」
「性分なので」
白龍は言われるがまま上を向くと、深く息を吸い込んだ。
彼の顔の上を香蝶が飛ぶ。
「――いい香りだ。これが君の守護獣の力か?」
「はい、香蝶といいます。香りを出すことしかできないできそこないの能力です」
「そんなことはない。君はこれで人を救ったんだろう。素晴らしい守護獣だ」
「……」
まさかそんなことを言われるなんて思わなくて、香華は思わず動きを止めてしまった。
守護獣は文字通り主人を守るもの。
力が強ければよいとされるこの世界で、そんなことを言ってくれる人がいるなんて意外だった。
なんだかむず痒い気がする。
「これ、毒だと疑われたことないかい? 僕だって陛下からの紹介じゃなければ考えるよ」
「そうですね。ですが殿下はそれくらい疑っていいと思います」
皇太子という立場ゆえ命を狙われることもあるだろう。
大変だなと頷けば、なぜか白龍は小さく鼻を鳴らした。
「失礼なことを言ったつもりなんだけれど……本当に毒は盛ってないみたいだね」
「ここで殿下が亡くなれば、疑われるのは私です。――死にたくないので」
この部屋には香華と白龍の二人きりだ。
ここで白龍が亡くなれば、真っ先に疑われるのは香華である。
残念ながらこの首が安いことはわかっているので、香華にそんなつもりは毛頭ない。
「――話を戻します。そちらはカモミール・ローマンの香りです。緊張による頭痛を和らげる効果があります」
「緊張? 特にしていないが……?」
「眠れていないということは、神経が過敏になっている可能性があります。今は力を抜くことを優先してみてはいかがでしょうか」
白龍はわけがわからないと片眉を上げた。
「眠れないことと頭痛が関係しているのかい?」
「眠れないから頭が痛いのか、頭が痛いから眠れないのか……。どちらにしろ、体の緊張が原因かと思います」
「……医師にもそんなことは言われなかった」
香りが気に入ったのか、白龍は椅子にもたれかかったまま何度も深く呼吸をしている。
肩から力が抜けているのが見てとれたので、香華はそっと視線をベッドへと向けた。
「もしよろしければ横になってみてはいかがでしょうか?」
「…………横になっても眠れない」
「眠れなくてもいいのです。横になるほうが体から力が抜けて、リラックスできるようになります」
「りら……? まあいい。…………君のいうとおりにしてみよう」
ベッドに横になった白龍を見つつ、香華は香蝶の香りを強めた。
好きな香りなら少し強めでも大丈夫だろう。
部屋の中をキラキラと輝く鱗粉が舞う。
「もし可能ならマッサージ……推拿を受けてみてください。頭が痛いなら一旦頭に」
「……頭? 頭を触らせるというのか?」
そうか。
この時代でヘッドスパは普通ではないのか。
そもそも推拿は押す、掴む程度のことしかやらない。
筋肉をとらえ的確にマッサージをすることはできないかもしれない。
「……ひとまず、もし可能なら殿下自身の指で頭を円を描くように押してみてください」
「……君がやってくれればいい」
「私は一塊の女官です。玉体に触れることはできません」
皇太子の体に触れる権利もないし、触れて怪我でもさせたらこの首はすぐに飛んでしまう。
なので無理だと伝えれば、白龍はふむと片眉を上げた。
「僕がいいといえば大丈夫だが……君が気にするならやめておこう。……それにしても本当にいい香りだ。…………ひさしぶりに、いいきぶんだ……」
言葉がゆっくりになってきた。
どうやら本当にリラックスできているらしい。
ならばと香華はあたりを見回し、近くにある布を持ってベッドへと近づいた。
「殿下。よろしければ目元を布でお隠しください。暗闇のほうが眠りが深くなります」
「……そうか。ありがとう…………。君ももう出ていくといい」
「かしこまりした」
灯りがある場所より、暗闇のほうが眠りが深くなる。
目元に布を置き簡易的に暗闇を作り出した香華は、静かに部屋を出た。
白龍の吐く息が深くなっていったからだ。
たぶんこのまま眠ることができるのではないだろうか?
ひとまず眠れて頭痛がなくなるのなら原因は睡眠不足。
――だがそうでなかったら。
「原因はほかにある」
とはいえそこらへんは香華が手出しするものではない。
今日だけ白龍に香蝶の力を使えばいいだけ。
そしてそれは無事果たされた。
ならもう噂の皇太子とは無関係になれるはずだ。
「はあ、緊張した。もうこりごりよ」
五分ほど部屋の前で待機した香華は、香蝶を消すとその場を後にした。
あとは医師にでも任せれば大丈夫。
自分の役目は終わった。
……そう、思っていたのに――。




