告げる
「皇后様。香華が戻りました」
「通しなさい」
白龍へのおつかいが済んだ香華は、皇后の元へと戻った。
新たらしい本を持って。
「皇后陛下。皇太子殿下より、こちらをお渡しするようにと預かってまいりました」
「ご苦労さま」
香華は下げていた頭を上げると、淑威に白龍から受けとった本を手渡す。
淑威から渡され、皇后の視線が本の表紙を撫でる。
「私が読みたいと言っていた本。……あなたを少しでもよく見せようと必死なようね」
そんなことはないと思うが、ここで発言することはなんとなく最適でない気がしたので黙っていた。
すると皇后の視線が香華へと向けられ、すぐに手首につけられた腕輪を捕える。
「あら? それは白龍の……?」
「あ…………はい。こちらを、皇太子殿下より賜りました……」
なんだろうか。
なぜか皇后にそれを言うのが、少しだけ躊躇われた。
だが問われたのなら答えないわけにはいかない。
ゆえにそう告げれば、皇后は目をぱちくりとさせた後くすくすと笑い出した。
「おほほ! 全くあの子ったらわかりやすい……っ!」
「皇后様。香華がひどく驚いております」
「あら、ごめんなさいね」
よほど面白かったのか、皇后は笑いを抑えるためにふうふうと息をしていた。
一体なんなのだろうかと不思議そうにしていると、皇后の指先が香華の腕にある翡翠の腕輪に向けられた。
「それ、白龍が皇太子になった時に先代の皇帝陛下から下賜されたものよ」
「――…………え」
香華は慌てて腕輪を見る。
まさかそんな大切なものだとは思わなかった。
だが言われてみれば確かに、白龍はよくこの腕輪をつけていた。
となると皇后の言っていることも頷ける。
香華は頭のかんざし以上に、腕輪をつけていることに恐怖し始めた。
「そ、そのような大切なものだとは知らず……!」
「いいのよ。あの子がそれをあげたのなら、それはそれでわかりやすいもの」
「わかりやすい……?」
皇后は本を机の上に置くと、ニヤリと笑う。
「私が渡したかんざしに嫉妬したんでしょう? どうやら私の杞憂も一つなくなりそうね」
「皇后様のお心が健やかなことこそ、我々の望みでございます」
なにやら楽しそうな皇后に、香華は首を傾げることしかできなかった。
一体なにが皇后の憂いを晴らしたのかはわからないが、まあこれで少しでも気が楽になるのならいい。
「しかしそうなると今の姿では少しみすぼらしいわねぇ」
「そうですね。衣装を数着、仕立てさせますか?」
「そうね。それと装飾品もいくつか見立てましょう。私が若い頃つけていたものがあったでしょう? あれはどうかしら?」
「よろしいかと思います」
なにやら本人の知らぬところでよくわからない計画が練られている気がする。
だがしかし、きっと聞いても答えてはもらえないのだろう。
ならここは座して待つべきな気がする。
「ああ、楽しい。やはりこういう話をしている時が一番いいわね」
「皇后様の楽しげなお顔を見れて、我々もとても嬉しゅうございます」
本当に嬉しいのだろう。
いつもは無表情に近い淑威の顔が、にこやかに微笑んでいる。
なんだかわからないが、今この瞬間だけは平和なようで良かったと息をついた時だ。
まさかの来客が告げられた。
「皇后陛下。皇帝陛下がお越しです」
「――皇帝陛下が?」
ざわりと部屋の中がざわついた。
皇帝が艶虎に寵愛を与えるようになってから、皇后の元にくることはほとんどなかったと聞く。
だというのに今更なんのようなのか。
皇后の顔がこわばる。
「……わかったわ。お通しして」
「かしこまりました」
明らかに歓迎されていない。
皇后と皇帝の関係はあまり良好とは言えないのだろう。
先触れどおり皇帝がやってくると、皇后は立ち上がり座を譲る。
皇帝が座ったのち、皇后も少し離れたところに腰を据えた。
「………………よくお越しくださいました」
「………………」
歓迎の言葉を無視した皇帝は、険しい顔のまま皇后を睨みつける。
力の限り机を叩くと、皇后を指差した。
「そなたの育てかたが悪いから、皇太子が父親に歯向かうようなことをするのだ!」
「……申し訳ございません」
驚いた。
大きな音にもだが、皇帝の怒鳴り声にもだ。
だが皇后が一切反応をしていないことを見ても、これはいつも通りなのだろう。
だとしたら吐き気がするなと、香華はバレぬよう皇帝を見つめた。
言い分も酷すぎる。
確かに皇帝として白龍の行いが許せなかったのはわかる。
だがその怒りを白龍へ向けるのではなく、なにも言えない立場の皇后に向けるなんて。
立ち居振る舞いが小物すぎて吐き気がすると、心の中だけで思う。
「皇后から皇太子に言っておけ。次あのようなことをしたら、あやつの皇太子としての地位を剥奪するとな!」
「………………」
ふんふんと鼻息荒くしている皇帝の発言に、この場にいる誰もが息を呑んだ。
本当に、よりにもよって実の母親である皇后の前でそんなことを言うなんて。
眉間に皺を寄せた香華とは逆で、なぜか皇后は静かに微笑んだ。
「――陛下。それは陛下にも無理なことでございます」
「……なんだと?」
皇后は静かに告げる。
「あの子は皇帝になるべくして生まれた子。あなた如きが、下に見ていい子ではありません」




