腕輪
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
「香華! 元気そうでなによりだよ」
白龍の元へとやってきた香華は、変わらない様子に無意識にもホッと息をついていた。
古い紙とインクの香りに、白龍自身の香り。
落ち着くなと胸いっぱいに息を吸いつつ、白龍に本を手渡した。
「皇后陛下より、こちらをお返しするようにと」
「今度でいいのに。人を寄越してまで返すなんてめずらしいな……」
なにやら訝しみつつも香華から受け取った白龍が、本を本棚へと戻し振り返った時、なぜかぴたりと動きを止めた。
「……殿下? いかがなさいました?」
なにやら大きく見開かれた目で香華のことを凝視している。
相変わらずルビーのように美しい瞳だな、なんて思いつつも小首を傾げれば、頭に刺したかんざしがシャリンっと音を立てた。
「…………香華。そのかんざしは……?」
「え? ああ、これですか?」
やはり白龍も気になったかと、そっとかんざしに触れる。
凰輝といい白龍といい、普段の香華を知る人からこぞって聞かれる。
やはり違和感があるのだろう。
帰ったら皇后にお返ししようと決めた。
「皇后陛下より賜りました。私のようなものにはもったいないものでございます」
「母上から……? なんで……?」
「なんで……と言われましても……? 私にもなにがなんだか……?」
二人して頭の上にハテナを浮かべている。
香華としてもなぜこれを賜ったのかわからないのだから仕方がない。
「皇太子殿下、及び皇后陛下にお仕えする身として、少しくらい着飾るべきだといただきました」
「それだけ?」
「も、もしかしたら手のマッサージをしたのがご好評だったのかもしれません……!」
褒美の可能性もあると告げるが、白龍はあまり納得いっていないようだ。
「そんなことで母上がかんざしを渡すかな……?」
「で、ですがそれ以外に賜る理由が――」
とそこまで考えて香華はハッとした。
もしやこれは、白龍に怪しまれているのだろうか?
皇后の元から盗んだと疑われているのでは?
だからあれほどまでにあり得ないと言っているのでは?
「――で、殿下! 間違いなく、皇后陛下より賜ったものでございます! 誓って、誓って盗んだりなど……!」
「盗む? そんなこと疑ってないから安心しなさい」
「あ、はい…………」
本当に全く疑われていなかったようだ。
そのことに安心しつつも、ならなぜ白龍はここまで納得がいかないと言いたげな表情なのだろうか?
「……あの、殿下? ご不興のようでしたら、今すぐお取りいたしますが……」
皇后からのものとは言え、香華の主人は白龍だ。
なので彼が不愉快だと思うようなら、このかんざしはとったっていい。
そう思ってかんざしに手をかけたのだが、白龍がそれを止めた。
「違うよ。そうじゃないんだ。ただ……」
「ただ……?」
「………………うん」
頷かれましても……。
香華は心の中だけでそう呟いた。
かんざしを取ろうとした香華の手首を掴んだまま、白龍は一人静かに首を縦に振ったのだ。
さすがにわけがわからない。
どういうことだと眉間に皺を寄せた香華の腕を離すと、白龍は机へとむかう。
なにやらガサゴソと引き出しを漁っているが、なにかを探しているのだろうか?
急だが、そういうことならなにか手伝おうかと近づいたが、白龍はすぐに顔を上げ腕を組んだ。
「殿下? なにかお探しでしたら、お手伝いいたしますが……」
「……………………うーん」
「殿下?」
「とりあえずで申し訳ないけど……」
なんだろうか?
白龍は至極残念そうにしつつも、己の腕に触れる。
手首につけていた翡翠の腕輪を外すと、なぜか香華の腕をとった。
「え? え? 殿下?」
「香華がつけるにはあまり可愛らしくないかもしれないけど……」
気づいたら香華の腕に、白龍の翡翠の腕輪がついていた。
彼の腕に合わせて作られたのか、香華がつけるとブカブカでするりと手首から抜けてしまう。
(……そうか。殿下は男性だものね)
わかっているはずだったのに、今さら白龍との体格の差を思い知った。
白龍が細身であっても、これだけの違いがあるのだ。
「……って、殿下? なぜこれを私に?」
「香華は僕の女官だよ? それなのに母上のかんざしだけつけていたら、変に思われるかもしれないだろう?」
「そう、でしょうか……?」
「僕も君になにかあげたいんだよ。……とはいえ、女性ものなんて持ってないから、そんなものしかあげられないけれど」
ごめんね、なんて謝ってくる白龍に、香華は腕輪を握りしめながらなんども首を振った。
「そんなことありません! 殿下にはたくさんのものをいただいております。この命だって……!」
香華が今ここにいられるのは全て、白龍のおかげである。
もらいすぎているくらいだ。
「殿下からこれ以上賜っても、私が生きている間にお返しできるかどうか……!」
「それは違うよ。僕だって香華からもらってるよ。お互い様だって、前に言っただろう?」
だが白龍と香華では与えているものの大きさが違いすぎる。
だというのにこれ以上もらうなんて。
どうしようかと腕輪を握っていると、香華の手の上に白龍の手が重ねられた。
「僕があげたいんだ。母上だけずるいからね。……でもそれが香華の重荷になるのなら、やめるよ」
「……殿下。……いえ! 重荷などではございません! こちら家宝にさせていただきます!」
家宝として末代まで受け継がせようと決めていると、白龍が嬉しそうに微笑んだ。
「うん。……今度は香華に似合うもの、用意しておくね」
「これ以上いただくのはさすがに……!」
「僕があげたいんだよ」
「うぅ……。はい……」
申し訳なさすぎると落ち込む香華の頭を優しく撫でた白龍は、そうだと話を変えた。
「そのはんどまっさーじ? っていうの、僕にもやってくれない?」
「――! もちろんです! さっそく今からやってみましょう!」
「うん。楽しみだなぁ」




