手のマッサージ
白龍が作ってくれた機会を、無駄にはできない。
香華は皇后の元へと戻ると、さっそく問うことにした。
「皇后陛下。ご体調の件で――」
だがそこでピタリと動きを止めた。
香華は今、皇后に認められていない。
この機会を与えられたのは全て白龍のおかげ。
――なのに、いいのだろうか?
白龍の件で学んだはずだ。
信頼してもらえていない相手の体を触るというのは、大きなリスクがあると。
特に人体の急所と呼ばれる場所を触れられるのは、皇后にとっては嫌だろう。
原因がわかっても、そこに触れられなくては意味がない。
なら無理やり知るというのは愚策だ。
当初の目的どおり、皇后の信頼を得る。
結局それが一番正しく、早い道なのではないだろうか?
「……どうしたの? 私の体のことを知りたいんでしょう」
ほら。
皇后の顔が嫌そうに歪む。
他人に知られたくないことなのだ。
とくに信頼していない人間には。
なら無理やり進めたところで、いいことは一つもないだろう。
白龍には本当に申し訳ないので、あとで土下座をして謝罪しよう。
多分止められるけれど。
香華はごほんっと咳払いを一つすると、皇后に向かって静かに頭を下げた。
「皇后陛下。よろしければお手をマッサージ……基、推拿をさせていただけないでしょうか?」
「…………手?」
「はい。お手以外に触れないことを約束いたします。……いかがでしょうか?」
今までなら速攻断られたことだろう。
だがあの白龍との話で少し気まずくなっているはずだ。
さらに香華は皇后の表情を読み、体調の件を聞くことをやめた。
そしてそのことに、皇后が気づかないはずがない。
ならきっと、このお願いは断れないはずだ。
「……いいでしょう。右手だけよ」
「ありがとうございます」
やはり、皇后は優しい人だ。
ひとまず受け入れてもらえたことに感謝しつつも、皇后のそばへと向かう。
右側、正面より少し斜めに膝をつくと、差し出された右手に触れた。
(――冷たい……)
それにひどく乾燥している。
皇后の手の状況を瞬時に理解した香華は、すぐに淑威へと頭を下げた。
「申し訳ございません。たらいにお湯とお水を持ってきていただけないでしょうか?」
「――わかったわ」
部屋を出て行った淑威の背中を見ていると、皇后が不思議そうに話しかけてきた。
「なぜお湯を? 推拿をするのでは?」
「はい。ですが皇后様のお手はとても冷えていらっしゃいますので、まずは温めようと思います」
「冷えてる……?」
自分の手を摩る皇后。
どうやら日常すぎて、冷えていることに気づいていなかったようだ。
淑威が持ってきたお湯の入ったたらいに水を入れ、適温にして皇后の前に置く。
「よろしければお手を入れてみてください」
「……わかったわ」
皇后は言われるがままお湯に手を入れる。
「……少し熱いわね」
「お水を入れますか?」
「いいえ。大丈夫よ」
皇后の手が冷たいからか、熱く感じたようだ。
次回からは、相手の手の温度によって変えなくては。
反省しつつ三分ほど待ち、皇后の手をたらいから上げた。
布で簡単に拭き、手が温まったのを確認する。
「いかがでしょうか? 温まりましたか?」
「ええ、とても。……なんだか肩の力が抜けた気がするわ」
ほっと息をつく皇后に微笑みつつ、彼女の手をとった。
「末端を温めるとリラックス……脱力効果があるのでよろしければ今後もお試しください」
「……そうね。そうしてみるわ」
よほど心地よかったのか。
皇后は微笑みながら頷いてくれた。
「では推拿をさせていただきます。痛気持ちいいくらいの力加減でおこないたいので、お気軽におっしゃってください」
「わかったわ」
香華は両手の小指と薬指で、皇后の右手の親指と小指を挟む。
すると手のひらがぐっと広がり、マッサージしやすくなるのだ。
その状態で香華の親指の関節で手のひらをぐっと押していく。
「……意外と痛いものね」
「手はみなさん使いますから。実は凝っていることが多いのです」
特に親指だ。
親指は手の中で一番使うし、力が入ることが多い。
なので親指の付け根。
ふっくらと膨らんでいるところをゴリゴリやると、痛いけれど手の疲れがとれるのだ。
実際皇后も痛みを少し感じているのか、眉間に皺を寄せている。
「力加減は大丈夫でしょうか?」
「……ええ。少し痛いけれど」
やはり凝っている。
だからこそここの凝りをとりつつも、手のひら全体を押していく。
その度に思う。
香油が欲しい……! と。
オイルを使ったマッサージがしたい。
指圧ではなくて。
そのうち香油を用意してもらえないか白龍に聞いてみよう。
いやしかし、やはり迷惑をかけるのは……と考えつつも皇后の手のマッサージを続ける。
最後に全ての指を親指と人差し指を使い、揉むように動かし指抜きすると、皇后の手はさらに温かくなった。
「終わりました。いかがでしょうか?」
「…………」
皇后は己の手のひらをじっと見つめた後、握っては開くを繰り返した。
「……驚いた。手が軽いわ。それに見た目が少しすっきりしたかしら?」
「むくみもとれますので」
「……温かい。不思議な推拿ね?」
確かに、ただ押したり叩いたりするだけでは得られない効果だろう。
実感してくれたのならよかったと微笑むと、皇后は香華の顔をじっと見つめてくる。
「……ど、どうかなさいましたか……?」
「…………あなた――」
なんで見つめられているのだろうか?
なにか不手際でもしたか?
と冷や汗を流していると、なぜか皇后は小さく笑った。
「……なるほどね。もういいわ。下がりなさい」
「は、はい……」
一体なんだったのだろうか?
香華は部屋から出つつも小首を傾げる。
皇后の視線もさることながら、最後の不的な微笑みも不思議だった。
顔に変なものでもついていたのだろうかと擦ってみたが、特に何事もない。
「……なんだったのかしら?」




