皇后の事情
「あなたを受け入れたのは殿下のそばに置きたくなかっただけのこと。そのことを重々承知して暮らしなさい」
「はい、皇后陛下」
頭を下げた香華に、皇后は鼻を鳴らした。
すぐに視界から消すと、そばにいた女官に声をかける。
朝一で皇后の元へとやってきた香華は、さっそく洗礼という名の嫌味を承った。
だがこの程度ですむのなら軽いものだと、笑みは絶やさない。
すると嫌味が効かないことを悟ったのか、皇后は香華に下がるよう命じてきた。
なので壁際で待機していると、皇后の前に朝食が持ってこられる。
「…………」
さすが皇族の食事だ。
白龍の時もその量と質に驚いていたが、皇后のものも同じくらい豪華である。
羨ましい。
一度くらいあれくらい豪華な食事を食べてみたものだと、鳴りそうになるお腹に力を込める。
朝ごはん食べてきたばかりなのに、と皇后の食事を見守った。
「…………もう結構よ」
するとどうしたことだろうか。
食事の時間にして五分程度。
全ての料理を雀の如く小さく一口ずつ食べた皇后は、顔を青ざめさせながら下げさせたのだ。
なにやら苦しそうに口元を押さえているが、みた感じそんな風になるほど食べているようには見えなかった。
よほど少食なのだろうかとも思ったが、それにしても少なすぎる。
そういえば白龍が言っていた。
皇后は吐き気があり食欲もないと。
香華は自身の下唇をつまみつつ、もう一度皇后を見る。
食欲がなくなってからどれほど経っているのか。
あの程度の食事で吐き気を催すなんて、相当体が悪いのではないだろうか?
食事を下げさせた皇后は、そのまま倒れるように横になった。
「皇后様! 医者をお呼びしますか?」
「…………いいえ。大丈夫よ」
はぁ、と苦しそうに息を吐き出す皇后。
その様子が普通ではなく、香華は眉間に皺を寄せた。
医師に見せないということは、これが常ということだろう。
ならやはり、病気ではないのかもしれない。
もしかして白龍と同じ、生活習慣から起こるもの……?
と考えていると、落ち着いたのか皇后が起き上がった。
「お茶をお持ちします」
「お願い」
とはいえまだ顔色が悪い。
これは思ったよりも重症なのではと、香華は一歩前に出た。
「――皇后陛下」
「…………なにかしら?」
「もしよろしければ、症状をお聞かせ願えませんでしょうか? 少しでも改善に向けてお手伝いできればとおも」
「不要よ。あなたに任せるつもりはないわ」
やはりダメだった。
しょぼんと肩をすくめた香華を見た皇后は、少しだけ気まずそうに咳払いを一つする。
「あなたが皇太子殿下を助けてくれたことには感謝しています。……ですがそのせいで殿下と陛下が対立したことを、忘れてはいけません」
「――それは……!」
「わかっているわ」
皇后は額を押さえながらも、話を続けた。
「あの艶妃のせいだということは。陛下は最近、あの娘に夢中で好き勝手させてるものね」
「……それは」
「あなたも苦労しているのはわかっているわ。けれどだからといって、あなた一人を贔屓することはできないの」
皇后の言いたこともわかる。
今まで艶虎の怒りの矛先は基本香華に向いていた。
だがその香華がいなくなった今、艶虎付きのものたちは大変な思いをしていることだろう。
女官なんてその程度の扱いなのだ。
だがその扱いをいつまで甘んじていればいいのか。
香華は自らの力で安息の地を手に入れた。
ならそれを手放したくないと思うのは、わがままなのだろうか?
そんな香華の気持ちがわかっているのか、皇后は代案を提案してきた。
「なのでこのまま、ここで働く気はないかしら? 悪いようにはしないわ。殿下を救ってくれた恩もあるもの。よい待遇を約束するわ」
「……」
どうやら本当に皇后は、香華が白龍のそばにいるのが嫌なだけのようだ。
それなら自らのそばにいるようにとの命令に、しかし香華は頷くことができなかった。
皇后付きの女官。
それは誰もが夢見るものだろう。
実際昔の香華なら、よろこんで受け入れたはずだ。
しかしいまの香華には、白龍への恩がある。
それを返すためにも、彼のそばを離れるわけにはいかない。
だからこそと、香華は皇后に向かって深く頭を下げた。
「ありがたきお言葉に感謝申し上げます。……ですが、私には皇太子殿下に受けた恩がございます。それをお返しするまでは……殿下にお仕えしとうございます」
「…………恩、ね」
「はい。命を救っていただきましたゆえ、この命をかけて殿下にお仕えしとうございます」
香華の言葉にしばし沈黙した皇后は、その後ぼそりとつぶやいた。
「……妃の座を狙って殿下に近づいたわけではないようね」
「え? ――も、もちろんです! 恐れ多い!」
妃になんてなるつもりはない。
香華は慌てて首を振れば、その必死さが面白かったのか皇后が小さく笑う。
「…………ならいいわ。とにかくしばらくはここでゆっくりしなさい。……その間にでも皇太子が妃を決めてくれるといいのだけれど」
やはり皇后の心配の種は白龍のことのようだ。
残念ながらそこを手助けすることはできないなと思っていると、皇后は話は終わりだと手を振った。
「ひとまず横になるわ。みな、出て行ってちょうだい」
「かしこまりました……」
言われるがまま部屋の外に出る。
やはり皇后は体調が悪いようだ。
どうにかできればいいのだが、それも難しいだろう。
「……なにが原因なのか分かればいいのだけれど」
ひとまず当初の目的どおり、皇后に認められたい。
そのためにもまずは行動だと、香華は歩みを進めた。




