母の懸念
香華は白龍とともに皇后の住まいへと向かった。
若干の不安とともに。
なんだか胸がモヤモヤするが、それを無視して足を進める。
そして白龍とともに建物の中に入ると、すぐに皇后の前へと通された。
「――」
建物に入って香華が感じたのは、統率完だった。
中にはほこり一つなく全てが整っており、使用人たちも一人一人がきちんと躾けられている。
白龍と香華に頭を下げる姿は、まるでロボットのようだ。
あまりにも綺麗すぎて居心地が悪い。
香華はなるべく白龍から離れないように動き、そして皇后と対面した。
「…………」
部屋の中、椅子に腰掛ける皇后を見てすぐに、彼女が白龍の母親であるとわかった。
真っ白な髪に赤みがかったオレンジ色の瞳。
白龍にそっくりなその容姿に、香華は思わず見入ってしまう。
「母上。ご機嫌いかがでしょうか?」
「きたのね。わざわざ悪かったわね」
「いえ。驚きはしましたが……」
「まあ座りなさい」
白龍が皇后のそばに腰を下ろしたため、香華はその後ろで控える。
呼ばれたとはいえ、どうせ香華はおまけだろう。
ここで静かにしていれば、何事もなく終わるはず。
そう思っていたのに。
「――その娘が例の女官ね?」
「はい。香華といいます。香華、前へ」
「――はい」
どうやら目的は香華のようだ。
白龍に言われ一歩前に出れば、皇后の視線が突き刺さった。
「……殿下の顔色がいいのはその娘のおかげ、と聞いていますが?」
「そうなんです。頭痛の原因を解明し、なおかつ治してくれたのは彼女なんです。とってもすごいんですよ」
にこにこと嬉しそうに説明する白龍に、香華はなんだか少し恥ずかしくなるのを感じた。
まるで自分のお気に入りのものを母親に説明する小さな子どものようで、可愛らしいなと心の中で思う。
皇后はわざとらしく咳払いをすると、話を戻した。
「あなたがよくなったのは本当によかった。……しかしそのうち医者でも治せたことでしょう」
「――……それは難しいかと思います。これは、香華だから治せたんです」
先ほどのほんわかした空気はどこへやら。
白龍と皇后はお互いに鋭い視線を向け出した。
「そんなことはありません。その娘が医師の真似をして、たまたま治っただけのこと」
「たまたまじゃありません。香華の知識や知恵があったからこそ、僕は今こうして元気でいられるんです」
「……あなたは本当に、昔から私の言うことを聞いたためしがありませんね」
大きなため息をついた皇后は、そのまま視線を香華へと向けた。
「…………殿下をよくしてくれたこと。そこについては礼を言いましょう。――ですが、今すぐに皇太子付き女官の任を解きます」
皇后のその言葉に香華は驚きのあまり叫びそうになる口を押さえる。
一体どういうことなのか。
同じく驚いた様子の白龍は、慌てて立ち上がった。
「母上!? 一体なにを――」
「殿下のそば付きにふさわしくありません。……そのあざがあるかぎり」
「…………っ」
香華は無意識にも自らの顔にあるあざに触れた。
いや、隠そうとしたのだ。
皇后の責めるような目が恐ろしくて。
「関係ありません! あざがあろうとなかろうと、彼女は僕の恩人です!」
「そのようなことは関係ありません。――殿下、彼女は元は後宮の女官。ならその身柄は、後宮の長である私の元にあります」
確かにその通りだ。
後宮を管理するのは皇后であり、彼女の一存でどうすることもできる。
だがしかし、まさかそんな理由で白龍のそばから離されるとは思わなかった。
だが皇后の言い分もわかるため香華が思わず下を向くと、白龍は力強く目の前のテーブルを叩いた。
「お断りします。この件は母上でも口出ししないでください」
「殿下!」
「母上は僕にまた苦しめと言うんですか?」
「ですから医師に任せれば――」
「その医者が治せなかったから香華に頼ったのです。……母上。母上が気にしていることはわかります。僕が香華をそばに置いて、寵愛を与えようとしているとお思いなのでしょう」
そのとおりだったのか、皇后の顔が歪む。
それを見ていた香華はおや? と片眉を上げた。
今更だが、やけに皇后の顔色が悪い。
まるで出会ったばかりの白龍のようだ。
皇后はすぐにいつも通りの表情に戻すと、淡々と告げる。
「わかっているのなら話は早いです。あなたはまだ妃の一人も娶っていない。なのに女官をそばに置こうなんて、要らぬ噂がたってもおかしくありません」
「心配無能です。香華には医師としての立場しか望んでいない。そんなこと、すぐに皆わかる――」
「火のないところにも煙が立つのが後宮です。……あなたもわかっているでしょう」
両者とも譲るつもりのない言い合いが続く。
これはどうしたものかと白龍の後ろ姿を心配そうに見つめていれば、彼は大きなため息とともに首を振った。
「だとしても香華を手放す気はありません。このまま話していても無駄でしょうから失礼します。――香華、行くよ」
「あ、はい」
「待ちなさい、殿下! 私は……」
立ち去ろうとした白龍は、最後にと皇后へと振り返った。
「心配いただきありがとうございます。……ですがこれ以上の干渉は不要です」
白龍はそれだけ言うと皇后の住む建物から足早に出ていく。
それを追いつつ、建物から少し離れたところで白龍に声をかけた。
「……あの、殿下? 大丈夫ですか……?」
「大丈夫だよ。むしろごめんね。気を悪くしただろう?」
「いえ……。皇后様の不安は正しいかと」
今まで頑なに女性を遠ざけていた白龍が、ついに近くに置いたと思ったらそれがあざ顔だなんて。
皇后としては頭の痛いものだろう。
だから皇后の考えに同意したのだが、白龍は強く否定した。
「人を見た目で判断してたら、信頼できる人なんてできないよ。……香華、君の力は本物だ。だからどうが、胸を張って僕の隣にいてほしい」
「殿下……!」
白龍の言葉はとてもうれしい。
実際香華もできることなら白龍の隣にいたいと思う。
けれど、本当にそれでいいのだろうか?
香華は胸を張って、白龍の隣にいれるのか?
白龍の実母であり、後宮の主たる皇后に拒絶されて。
「…………」
答えは否だ。
香華の願いは一つ。
白龍に心穏やかに日常を過ごしてほしい。
だというのに香華という存在が、白龍にとって害になっている。
それだけは、あってはならないことだ。
(そうよ……)
だからといって、白龍の元を去ることは絶対にしたくない。
彼のためにも、香華はそばに居続けなくては。
それならやるべきことは一つ。
覚悟を決めた香華は、前を歩く白龍のあとを黙ってついて行った。




