恩人同士
ベッドに寝転んだ白龍の頭の上で、美琳に持ってきてもらったお湯に浸した布を絞る。
「今から目元にあたたかな布を乗せます。目をつぶっていてください」
「わかった」
目を閉じた白龍の上に、お湯であたためた布を乗せた。
「これはなにをしているの?」
「目をあたためることで、筋肉の緊張をほぐします。これだけでも効果は高いので、もじご自身で今度目が疲れたと感じたらやってみてください」
香華が元いた時代なら、濡れタオルをレンジで温めればいいだけだが、ここではそうはいかない。
ちょくちょく温度を確認しつつ、冷めたらまたお湯に濡らしてあたためる。
それを繰り返すこと十分。
香華は白龍の目元を乾いた布で軽く拭った。
「ひとまず、ホットタオルは終わりました。いかがですか?」
そう問われた白龍は、上半身を上げると目元をぱちぱちと瞬かせた。
「…………びっくりした。なんかすごい頭が軽い……。こんな感覚はじめてだ……」
「よかったです。これだけでもだいぶよくなったようですね」
「うん……。僕の頭痛って、本当に目が原因だったの……?」
未だ信じられていない様子の白龍に、もう一度寝転ぶよう指示を出しながらも香華はとある話をする。
「私は昔、目の疲れを感じながらも無視していたことがあります。その時になぜか奥歯が痛くなり、医者に行ったことがあるんです」
「歯?」
「はい。医者にそんなに痛むような虫歯じゃないと不思議がられていました」
香華は白龍のこめかみあたりを親指でくるくると押す。
すると少し痛みがあるのか、白龍の眉間に皺がよった。
「その後に知ったのですが、目の疲れから歯が痛むことがあるんです」
「目だろ? なんで歯が痛くなるんだ?」
マッサージを見学していた凰輝の質問に、隣に座っている美琳までなんども頷く。
不思議そうな二人に、香華は説明を続けた。
「原因はさまざまですが……。眼精疲労から首や肩の凝り、食いしばりなどの関連性でつながってしまうことがあるんです。あとは三叉神経と呼ばれる顔に広がる神経が刺激により、悪さをしたり……」
香華は人の筋肉を学ぶために読んだ教科書を頭の中で開きながら、うんうんと頷く。
「人の筋肉はつながっていますから、痛みを発する場所が原因でないことがあるんです。厄介ですよね」
「厄介すぎるだろ」
ほぉ、と感心している二人に笑いながらも、香華は白龍のこめかみから手を離すと声をかけた。
「今から目元をマッサージしていきます。怖いかと思いますが……」
眼中の近くを触るため、白龍に確認をとった。
すると白龍はまるで気にしていないかのように、目を閉じたまま微笑む。
「大丈夫。信じてるよ」
「…………ありがとうございます」
信じて任せてもらえる。
これほど嬉しいことはないだろう。
ならあとはその信頼に応えるだけだと、香華は気合を入れた。
「では、触ります」
まずは眉頭に親指を乗せるとグッと押し込む。
「――っ、いたい……」
「やはり目がお疲れですね。痛気持ちいいくらいでいきたいのですが力加減はいかがですか?」
「大丈夫だよ」
ぐっ、ぐっ、と眉毛の上を流していき、そのまま眉尻まで向かう。
少し凹みがあるところを押せば、またしても白龍はうめき声を上げた。
「痛いですか?」
「……とても。でも不思議と頭が軽くなっていっている気がする」
「気がするというのは大切です。病は気から、ではないですが、人間思い込みで治るものがありますから」
「わかった……いたた!」
痛いとは言いながらも体はこわばっていないので、そのまま続けることにした。
さて次は目元だ。
香華は一度目元に優しく触れ、合図を送る。
急に力を入れて触れるより、マッサージを受ける側もリラックスできるのだ。
白龍が怖がっていないことをきちんと確認してから、目頭の上、眼球と骨の間に指を入れる。
もちろん眼球には触れないよう、上向きに抉るように力を込めた。
「――いっ……ぅ」
「大丈夫そうですか?」
「うん。でもものすごく痛い……」
「このまま下のほうもやっていきますので」
宣言どおり目頭から目尻のほうへ場所を少しずつずらして押していき、そのまま下のほうもやっていく。
そちらのほうも痛かったのか、白龍は小さくうめいている。
それをなんどか繰り返し、コリのようなものがほぐれてきたのを確認してから手を離した。
「――よし、目元は終わりましたので一旦確認いたします。ゆっくり目を開けてください」
「………………」
白龍は言われたとおりゆっくりと瞳を開けると、なんどか瞬きを繰り返しながら上半身を上げた。
「……なんだか、すごく頭がスッキリしてる。――それに……」
白龍はなにやら呆然とあたりを見回したあと、そっと己の目元を押さえた。
痛みなどはないとは思うが、大丈夫だろうかと心配になる。
香華は白龍の顔を覗き込みながら、恐る恐る聞いた。
「殿下? いかがでしょうか? ご気分などはどう――」
少しでもよくなっているといいのだが……。
そんな願いをこめて聞いてみたのだが、香華の言葉は途中で息を呑むことで止まってしまった。
なぜなら白龍が静かに涙を流していたからだ。
「殿下――っ!? どどどどど、どうなさいました!? 痛い!? どこか痛いのですか!?」
「痛い!? どこが痛いんすか!? お、俺医者呼んでくる!」
「はわわわわっ! はわわっ!」
三人が三人とも慌てていると、それを見た白龍は違うんだと否定した。
「心配かけてごめん。……思ったよりもつらかったんだなって自分でも驚いてるんだ」
「…………殿下」
白龍はハラハラと涙を流しながらも、三人を安心させるために笑う。
「頭の重みとか痛みとか……そういうのがなくなったことが本当にうれしくて。そんなことで泣くなんて、バカみたいだね」
ごめんね、と謝る白龍に、香華は自分の胸がギュッと締め付けられるのを感じた。
ずっと頭痛を抱えて生きていたのだ。
人の体は痛みに弱い。
痛みがあれば他のところにも支障をきたすし、精神にも影響してくる。
白龍はそれを我慢して日常の生活を送っていたのだ。
どれほどつらかったのだろうか?
どれほど苦しかったのだろうか?
あの白龍が涙を流すほど、きつかったはずだ。
香華は泣きそうになるのを我慢しつつ、白龍の手を強く握る。
「殿下――! 謝ることではありません。殿下の反応は普通です。どれほどおつらかったことか……。私がもっと早く――!」
もっと早く原因に気づけていたら、白龍の負担を減らせたというのに。
己の無力さが歯痒い。
悔しくて涙が出そうだ、と目を潤ませていると、そんな香華の手を今度は白龍が握った。
「違う! ……香華、君はよくやってくれた。君のおかげで僕は今、笑っていられるんだ。……ありがとう、香華」
「そんな……お礼を言うのは私のほうです。だって殿下がいなければ……私はもう……」
ぽろり、と頬を涙が伝った。
一度涙が落ちると、なかなか止めることができない。
すんすんと鼻を鳴らす香華の頰を、白龍の指が触れる。
涙を拭う白龍の指先が優しくて、また涙がこぼれた。
「僕たちは、お互いを救ったんだね」
「……はい。恐れ多いですが」
「そんなことないよ。……君のおかげだ。改めてありがとう」
涙を流しながら、白龍から差し出された手を握る。
二人で泣いて握手して、なんだか変だなとくすりと笑ってしまう。
「お互いお礼言い合って、変ですね」
「そうだね。でもお礼を言いたくなっちゃったから」
「……はい」
白龍の赤い目がまっすぐ香華を映す。
見つめてくる赤い瞳が美しくて、香華は彼の目を見つめたまま優しく微笑んだ。
するとそれを見ていた凰輝と美琳がなにやら嬉しそうに頷いた。
「いい感じいい感じ。できればこのままいい方向にいって欲しいんだけど……」
「甘く! 甘くいきましょう! お仕事じゃなくて! 甘々でお願いします!」
ぜひにと願い出てくる美琳に、香華と白龍は揃って小首を傾げるのだった。




