その座は誰のもの
「…………なんだと?」
「聞こえませんでしたか? 今、ここで、退位なさってくださいと言ったんです」
白龍の言葉に皇帝は肘置きを叩くと、勢いよく立ち上がった。
「きさま! 謀反の意思があるということでいいか!?」
「謀反? いいえ、違います」
ゴロゴロと突如空に暗雲が立ち込め、陽の光が閉ざされあたりが暗闇に包まれる。
「――天命です。僕がその座につくのは。……父上がそうおっしゃったのではないですか」
「…………きさまっ」
「あなたがそこに座れているのは、僕のおかげだと言うことを忘れないでください。そしてその座を、僕が望めばどうなるかも」
暗雲の切れ間から、木漏れ日が差し込む。
その光は白龍の頭上にのみ現れて、まるで彼だけを輝かすスポットライトのように見えた。
「私が黙っているとでも!?」
「禁軍でも動かしますか? 繋ぎだからとなにもせずただ座っているだけの男に、どれほどのものがついてきてくれるでしょうね?」
真っ白な白龍の髪が、陽の光に当てられて黄金のように輝く。
その美しさに香華が息を呑んだ時だ。
――それはゆっくりと、雲の切れ間から現れた。
「やるならやるで構いませんよ。その時は全力で叩き潰すだけです。いいですか? 父上」
それは黄金の鱗を持って、空から現れた。
白銀の立髪に、宝玉を持つ五本の爪。
金色に輝く眼に、鋭く尖る角。
あまりにも巨大な体を持つ、空飛ぶ龍が白龍の後ろに現れたのだ。
「今はまだ、そこに座らせておいてあげます。だから僕のものに手を出そうとしないでください。……さもなくば」
龍の眼が、ギョロリと皇帝へと向けられる。
するとその時、赤いはずの白龍の瞳も金色に輝き出した。
まるであの龍と、同じ存在であるかのように――。
「僕の全てをかけて、あなたをその座から叩き落とす」
あまりにも不遜。
だというのにこの場にいる誰もが、あの皇帝ですらなにも言うことができなかった。
当たり前だ。
こんなものを見させられては、なにも言うことはできない。
「…………きれい」
香華は天に座す龍を見つめ、思わずそう呟いていた。
この龍が白龍の守護獣。
皇帝の象徴ともされる、五本爪の龍を守護に持つ皇子。
これこそまさに天命だろう。
彼は天から皇帝となるべしと言われ、この世に産まれた存在なのだ。
そんな人に、いったい誰が抵抗できるというのか。
皇帝と白龍、そして香華以外の全ての人間は、その龍を前にして膝を折っていた。
「――!」
それに気づいた香華もまた膝を折りつつも、あまりの美しさに龍を見つめ続けた。
どこもかしこも魅力的だが、なによりあの眼が美しい。
人々を魅了する力を持っている。
これが龍。
ここにあるだけでその存在感に気圧される。
すごい……と見つめていると、最後にはやはり眼に意識を持っていかれる。
これが白龍の守護獣……と香華が呆然と見つめていた時だ。
(――あ!)
ふと、思いついたのだ。
もしかしてと白龍のほうを見れば、その一瞬で龍は光の粒子となり消えていった。
「いいですか? 次はないので、そのつもりでいてください」
「……実の父親に向かって、なんて口を――!」
「実の父親? なら父親らしいことの一つでもしたらどうですか? 腐ってばかりいないで」
「…………っ!」
「それでは、失礼します」
白龍はそれだけいうと、香華の手をとりその場を後にする。
その頃には空も晴れていたが、誰一人として頭を上げることはない。
「殿下、その――!」
「言っただろう? 守護獣を出す時は威厳を出す時だって。効果てきめんだったでしょう?」
てきめんすぎてあの皇帝ですらなにも言えていなかった。
艶虎なんて頭を下げたままブルブルと震えていたほどだ。
当たり前だ。
皇帝を睨みつけてくる龍の眼は、美しくも恐ろしかった。
「殿下、ですがあれでは皇帝陛下との関係が……!」
「陛下は僕になにもしてこれないよ。彼が皇帝でいるのは、僕がその座につくまでって決まっているからね」
それはつまりどういうことだろうか?
小首を傾げる香華に、帰るまでの間にと説明してくれた。
「まだ父上が皇子だった頃、僕が生まれた。守護獣が龍だったから、他の皇子たちを押し退けて、父上が皇帝になったんだ。僕が大人になるまでの繋ぎとしてね」
つまり現皇帝は、白龍のおかげで皇帝の座につけたということだ。
なるほどそれなら確かに、白龍にはなにもできない。
「それが悔しかったのかなんなのか、大した仕事もしてなくねて。代わりに僕がやってるから、みんな僕の味方だよ」
「…………それはつまり禁軍も……?」
「どっちの命令聞くのが楽しみなところはあるよね」
皇帝しか動かすことのできないと言われる禁軍。
それを皇帝よりも白龍のほうが動かせる可能性があるとは。
白龍の守護獣もさることながら、人心掌握術もすごいなと尊敬の眼差しを向けた。
「殿下はすごすぎます……。私にはなにがなんだか……」
「別にすごくはないよ。ただ……」
白龍は振り返る。
もう金色ではない、いつもの赤い瞳を香華に向ける。
穏やかに、微笑んで。
「香華を守る力はあるよ。……だから安心して、僕のところにいてね」




