そう遠くない未来の約束
「そうして私には、このあざだけが残ったのです」
その後も散々だった。
香華の叫び声を聞いて駆けつけた父が、最初にやったこと。
それは香華を引っ叩くことだった。
『お前――! 顔しか取り柄のないお前が……っ! 傷が残ったらどうするんだ!?』
爛れた顔とは逆の頰が、父の手形に腫れ上がったほどだ。
父は大火傷を負う香華に罵詈雑言浴びせ、そして結局は捨てた。
美貌を失った香華には、娘としての価値すらなかったのだ。
「とはいえ婚姻の話は父が大きな声で騒いだせいで周りに知れ渡っていました。だから……」
「姉が幻煌国の生きる宝石として後宮入りしたのか……。やれやれ全く、とんでもない話だな……」
確かにとんでもない話だろう。
少なくとも聞いていて気分のいいものではない。
「お聞き苦しい話を聞かせてしまい、申し訳ございません」
「いんや。俺から聞きたがったことだし。なーんであの厚化粧が宝石なんて呼ばれてるのかわかってしっくりしたわ」
そばかすを隠すため。
薄い唇隠すために、艶虎は化粧を濃く施している。
そうするよう言ったのも父だ。
「――あれ? でもなんで姉は皇帝の妻に? 嫁ぐのは皇太子殿下にじゃないの?」
「皇太子殿下自らお断りになられたと聞いています。哀れに思った皇帝陛下が自分の元に……と」
「はーん……」
凰輝は自分の顎を何度か撫でると、なんだか嫌味っぽい笑みを浮かべた。
「たぶんだけどそれ、皇帝が世間体気にしてのことじゃない?」
「世間体?」
「そ。年若く美しい女をただ嫁がせたんじゃ、ごうつくなおっさんだと思われちゃうじゃん。だから最初に美貌の皇太子との縁談って話にして、皇太子が断るようにしたんだよ」
もしそれが本当なら皇帝もなかなかえぐいことをする。
実際艶虎は嫁ぐ先が皇帝だと知って大暴れしていた。
嫌だ嫌だと泣いて叫んでいたが、結局は嫁ぐことになったわけだ。
もちろん今では権力を欲し、皇帝の寵愛を得ようと必死になっているのだから、人間なにが起こるかわかったものではない。
「ぜーんぶ皇帝の思いのままってわけ。でも逆によかったかもね? あんな年寄りに嫁がなくていいわけだし。――って、俺これ最低な発言してる? 気を悪くしたならごめん!」
両手を顔の前で合わせている凰輝に、香華は首を振った。
「大丈夫です。むしろ本当にその通りなので」
皇帝に嫁いでいたら、今のようにマッサージなんてできていなかったはずだ。
それに本来嫁ぐはずだった皇太子に施術を施しているのも、今なら面白い縁だと思えた。
「私に妃なんて似合いませんから。今のように女官をしているほうがずっと楽です」
身軽なほうがいい。
そう告げれば、凰輝も深く頷いた。
「わかるわかる。地位とかしがらみばっかりで大変そう。皇太子殿下見てると特に思うよ」
それは本当にその通りなので納得するように頷いた。
毎日大変そうな白龍のために、できることをしたい。
そのためにも彼の不調の原因を探らなくては。
改めて決意を新たにしていると、そんな香華の隣で凰輝があ! と声を上げた。
「そうだ! 俺、香華ちゃんに伝えたいことあったんだった」
「伝えたいこと、ですか?」
「うん」
こくりと頷いた凰輝の瞳が、金色に輝き出す。
そしてなんてことない、昼下がりの会話のように告げた。
「俺なら君のそのあざ、なかったことにしてあげられるよ?」
「――え?」
「俺の守護獣ね、鳳凰なんだ。鳳凰って再生とか復活の意味も持ってるから、傷とかなかったことにできるんだよね!」
そう言う凰輝の肩に、燃えるような美しい鳥が止まる。
神話の存在である鳳凰が今、そこにいた。
「…………きれい……」
「でしょー? こいつのおかげで俺は今、皇太子殿下の護衛やれてるんだ。だって殿下がいつ怪我してもすぐ治せるもん」
なるほどそういうこともあるのか。
確かに鳳凰を守護獣に持つ人なら、護衛だろうがなんでもできそうな気がする。
すごいな……と感心していると、不意にあることを思いついた。
「……鳳凰様は皇太子殿下の不調は治せないのですか?」
「あ、それね? 気になるよね? 実は治せたんだよ。でもすーぐ元に戻っちゃうから、鳳凰が治すの嫌がっちゃったんだ」
翼が燃える美しい鳥は、凰輝の言葉を肯定するかのように首をいやいやと振った。
その姿が神話の存在に見えなくて、香華は心の中で
(え、かわいい……)
とつぶやいた。
「――そ、そんなにすぐ戻ってしまうのですか?」
「そう。一週間後には重症って感じでさ」
鳳凰が直しても戻ってしまう症状。
ということはやはり、病気などの類ではないということだ。
となると原因は……。
「生活習慣」
「お、なにかわかった?」
「手がかりが掴めた気がします。お話を聞かせていただいてありがとうございます」
お礼を言えば、凰輝は八重歯を見せて笑う。
「いやいや! 俺のほうこそ貴重な話聞かせてもらったよ」
ありがとうねーと言われ、香華は改めて深々と頭を下げた。
そして顔を上げてすぐ、凰輝に向かって一歩歩み出す。
「それでですね、凰輝様。もし、もしよろしければなのですが……。鳳凰様を触らせていただいてもよろしいでしょうか……?」
「え……? あ、うん。いいけど……」
凰輝の反応が変な感じなことに気づき、香華はハッとした。
不躾な願いすぎたかと反省していると、凰輝は楽しそうに微笑んだ。
「普通熱くないかな? とか心配しない? こいつ燃えてるけど」
「……あ、えっと。凰輝様が普通にされていらっしゃったので。ですが確かにその心配をしないとですよね」
凰輝の耳に炎が当たっているが、彼が熱がっている様子はない。
だから勝手に大丈夫だろうと思ってしまったが、言われてみれば彼は特別だ。
香華がその炎に焼かれない保証はない。
鳳凰の可愛らしさ、そして美しさに我慢ならなかった己が恥ずかしくなった。
「すいません、私ったら……」
「いやいや、大丈夫だよ。こいつ触られるの好きだし。……好きな人にだけだけど。殿下もよく触ってるから。そもそも嫌いなやつの前には姿見せないから、香華ちゃんなら触っても大丈夫」
そう言って凰輝は手に鳳凰を乗せると、香華の前に差し出してきた。
凰輝と同じ金色の瞳が香華に向けられて、やがて静かに閉じられる。
まるで触っていいと言っているかのようだ。
なので恐る恐る鳳凰に触れれば、それは不思議な感覚であった。
「不思議……。熱いのに冷たくて……あるのに、ない?」
「お、言い得て妙だな。鳳凰は神話の存在だからか、ここにいるのにいないんだよ。変な感じだよなー」
凰輝の言葉になんども頷きつつ、その手を止めることができなかった。
なんと特別で奇妙な体験だろうか。
こんな機会またとないだろう。
それに鳳凰が気持ちよさそうにしてくれているのもとてもうれしい。
もっと撫でてと言わんばかりに頭を押し付けられて、香華は鳳凰の望み通り撫で回した。
「かわいい……!」
「まあ話戻すけど、もし香華ちゃんさえよければあざ治せるけどどうする?」
そうだった。
そんな話をしていたんだったと思い出した。
鳳凰の登場に意識を持っていかれてしまった。
「失礼たしました。……ありがたいお申し出ですが、今は大丈夫です」
香華はそっと己のあざに触れた。
「これがなくなったら、その時こそ父の望むがままに誰ともしれぬ人に嫁がされるだけです。……なら私は、このままでいたい」
絶望の世界なんて歩みたくない。
己の進む道は己で決めたい。
そんな思いから断りを入れれば、凰輝はやっぱりねと口にした。
「大変そうだもん。そんな父親の元に香華ちゃんみたいな美人さんがいたら」
「……お気遣いありがとうございます」
「いやいや! いらぬおせっかいってやつよ」
凰輝は鳳凰を一瞬にして消すと、だけど……と言葉を続けた。
「いつでも消せるからね? だから香華ちゃんが誰かを好きになって、その人の元に行きたいって思ったら……その時は俺を頼ってね」
「……ありがとうございます。ですがそんな日がくるかどうか……」
むしろこない気がしてある。
あの父親を間近で見てしまって、男性に対してそんな感情を抱ける気がしないのだ。
本人がそんな調子なのに、なぜか凰輝は首を振った。
「くるよ、絶対。俺の予感は当たるんだから!」
「……そう……ですか?」
「そうそう! だからその時は手を貸すから言ってね!」
「はぁ……?」
そんな感じはしないのに、きっぱり言い切られるとなんだか変な感じがした。
納得していない様子の香華の隣を、凰輝は楽しそうに歩んだ。




