第二話
相咲奈津子は。
幼少期に家族で動物園を訪れたことがある。
「図鑑でしか見られないような動物を間近で見ることができて楽しかった。」と両親には感想を述べたが、当然そんなもの、本音ではない。
極上の家族団らんだった。
父と母がパンフレット片手に和気あいあいと先頭に立ち、
祖父と祖母が奈津子と妹をあやしながら誘導し、
動こうとしない妹を奈津子が無理やり抱えて運び出す。
笑顔の絶えない1日だった。
決して忘れることの出来ない日となった。
数少ない幸せな思い出だ。
眩しすぎて目をつぶりたくなる程に。
口に出すのが怖い程に。
だからこそ、鮮明に覚えてしまっている。
本来ならとうに忘れていたであろう出来事を、記憶してしまっている。
猿。
その猿山は、金を払えば餌を与えることのできるシステムにあった。
父が買ってきたバナナを両手に掴み、言われるままにポイっと投げ捨てた奈津子は、子供ながらに、いや子供だからこそ、強いショックを受ける。
ほんの軽い気持ちで無意識の内に投げ入れたバナナを目がけ3匹の猿がやって来て。
互いが互いに噛み付くわ引っ掻くわ体当りするわ鳴き喚くわの、何とも恐ろしい乱闘が開始されたのだ。
それまで楽しかった気分は一転し、奈津子は罪悪感で押しつぶされそうになった。
あんな険しい顔つきで争うことなんて無いのに。
お父さんに頼めばもっとたくさん餌をあげられるのに。
少し待っててね。
もっとたくさん持ってくるから。
「おさるさん、ごめんね。」と、
哀しげな表情を浮かべて後ろを振り返ると・・・・笑っていた。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、周りにいた人達も、笑っていた。
クスクスと、豪快に、上品に、可愛らしく。
それは猿を笑っていたのか、それとも自分を笑っていたのか、彼らが何を見ていたのか、奈津子には分からなかった。
分からなかった。分からなかった。
しかし何かを唐突に理解した、ような気がした。
一方で同時に、別の明確な結論が奈津子の頭の中をよぎった。
自分は猿に生まれなくて良かったと。
私には無条件で両親がやさしい食事を出してくれる。
人間で良かった。
バナナ一つのためにあんな争いを起こす必要がなくて良かった。
あんな顔になる必要がなくて良かった。
だってそんな事になったら、犯罪者として生きなければならないじゃないか。