第一話
目覚めは良い。
が、どこか違和感を感じる。
朝起きて、ご飯を食べて、電車を乗り継ぎ、山を上り、穴に落ちて、意識が途絶えて。
目が覚めたら檻の中。
???
繋がっているようないないような。
事実関係を補完できる気はするのだけれど。
まぁ今言える確かなことは、ここが檻の中だということ。
間違えようがない。
映画やらのメディアで見たものとは大分印象が違うけれど、人権保証が声高に叫ばれている現代、これくらいが普通なのだろうか。
まず低反発ベッドが設けられている。
身体の上に羽毛布団がのっかっている。
枕がふかふかである。
ベッドの上から床を覗けば絨毯まで敷かれてるし。
いや、おかしくね?
しかし辺りを見渡せば金属の棒でこの空間が囲まれている。
きっとこれは牢屋なのだろう。
ステレオタイプな牢屋が未だに使われてなければならない理由もない。
「私」を拘束するのならこれくらいのサービスがあってもおかしくはない、ということだろう。
と、ひとしきり脳内に気信号を巡らせてみて、それでもまだ空っぽの頭を、その女は持ち上げた。
ブゥゥン・・・と機械の動く音が聞こえる。空調まであるのか。
真っすぐ前を見ると、鉄柵の向こう側に男がいた。
ロッキングチェアに座り身体を前後に揺らしながら本を読んでいて、こちらに気付いてはいないようだ。
「おい、起きたぞ。」と女は言った。
「あぁ、腹は減ったかい?」椅子が一層大きく揺れた。
「とりあえずもらっておこう。」
「勝気な性格だなお前。そういう女は嫌われるらしいぞ。」笑いながら男は言った。
「会って間も無い人間にそんな判断できるものか。早く飯を持って来い。」
男はさらに強くロッキングチェアを揺らし、その勢いでもって椅子から腰を持ち上げ、
「ほら意味もなく勝気じゃないか。人間何十年と生きてると、ちょっとした情報から性格の大まかなパターン分けくらい無意識にしてしまうものだよ。そしてそれは案外当たっていたりする。ここで生きていくのに、直感ってのはかなり大切なんだぜ。」
と言いながら扉を開けてその向こうへ消えてしまった。
さて、と女は思考を開始する。
奴の捨て台詞、『ここで生きていくのに~大切なんだぜ。』とはどういう事だろうか。
常識で考えれば、出てくるはずの無い言葉だろう。
少なくともここは常識の範囲内にある場所、例えば警察機関等では無いらしい。
よくよく考えてみれば、意識を失う直前に登ったあの山がいくら国宝だからと言って、いくら立ち入り禁止区域だからと言って、いきなり警察によって牢屋にぶち込まれるなんてありえない話だ。
どう考えたって、ぶち込まれるならまず病院だろう。
あんな深い穴に落ちて、無傷で済むはずがないのだから。
仮に無傷で済んだとしても検査入院とやらをするはずだ。
って言うかそもそも警察機関にこんなゴージャスな牢屋があるはず無いと思う。多分。
あいつも警察関係者だとは思えない。
論点を戻そう。
奴の捨て台詞、『ここで生きていくのに~大切なんだぜ。』とはどのような意味だろう。
命の保証されていない場所、つまりサバイバルを強制されるような場所にある、ということだろうか?
サバイバル。
「より良く生きる」のではなく、「死なないために生きる」。
そんなの、私の住んでいる法治国家、文明社会では起こり得ないことだ。
しかしこの牢屋を見るに、全く文明の恩恵を受けていない場所という訳でもない。
そして、そもそも檻なんてそうそうあるものではない。
なるほど、少しずつ見えてきた。
つまりここは、檻の存在する場所、そしてサバイバルしなければならない場所、そして文明の行き届いている場所、これら3つを兼ね備えている場所。
そんな空間は現代世界において、ただ一つ、唯一絶対のあの場所に限られる!
「上野動物園かッッ!!」
・・・。
あれ・・・違うな。
・・・。
暴力によるものにしろ財力によるものにしろ、サバイバルを強制されるようなバイオレンスな場所なら、私的な牢屋の1つや2つあってもおかしくはないか。うん。
そういえば檻なんて警察じゃなくたって動物園じゃなくたって、作ろうと思えば誰でも作れるもんな。
治安の悪い地域や国なんていくらでもあるしな。サバイバルなんてどこでもできるな。そういえば。
心なしか頭が冴えてきた気がするぞ。
視野を国外に広げればこんなに簡単につじつまが合うじゃないか。
この際、この牢屋のゴージャスさはあまりに意味不明なので考慮外にするとして。
いや、さっきから色々と重要なことを考慮外にしてしまっている気もするのだが・・・。
「ん?動物園?なんか言ったか?」男の声がした。
まぶたを開けて思考の泥沼から抜け出すと、牢屋の中央に置かれた総ガラス製の透明なテーブルにはマーボー豆腐とご飯、さらにわかめスープと杏仁豆腐が並べられていた。
そして男は先刻のようにロッキングチェアに座りながら、こちらをその半開きの目で見据えていた。
一瞬思考停止に陥り妙な間を作った後、女は羽毛布団をモフッと叩き、
「中華料理かよッ!!」
と訳のわからないツッコミを力いっぱいに叫んだ。
うん、そんな事ありえない。
現実は、もっと現実的だ。
なんだって気を失ったらいきなり外国でサバイバルせにゃならんのだ。
とりあえず眠気を覚まさないとな。手足もなんか痺れてる気がするし。
香ばしい山椒の匂いが牢屋中に充満していた。