【番外編】路上ライブと隣に座ったブラック企業にお勤めらしきお疲れおねーさんの話 その1
お盆(は過ぎたが)だからか、夏休み中だからなのか、大通公園の路上ライブは何だか新しい人が一時的に増えて、いつもと違った選曲の曲が歌われていて楽しい。
東京からおひねり(投げ銭)だけで旅して札幌へとやってきたアコギ弾き語りお兄さんや、まだまだ路上ライブに慣れていなさそうな青年など、路上が賑やかになっていい事である。
さて歌が上手いというのは、一体どういうことを指すのだろうか。
音程やリズムがズレていない?ある程度の声量がある?細かいテクニックを使えること?
色々挙げればキリがないし上限なんてものは無いのかもしれないが、路上ライブに限って言えば堂々と最後まで歌えるというのは上手さを表す指標としては大きい気がする。
自信がなさそうに歌っていれば聞いていて申し訳ないような不安な気持ちになってくるし、最後まで歌わずに尻切れになれば、聞き手にモヤモヤとした喉に小骨が刺さったような蟠りを残して、あれは一体何だったのか?ともなりかねない。
また拍手するタイミングも掴めないので非常に困ったりもする。
もちろん、これらはある一定以上のレベルの歌唱力。
つまり、”聞き苦しくない程度”の歌唱レベルがあってはじめて成り立つ話ではあるのだが。
こういう話は、なろう等のweb小説にもいえる事のような気がしないでもない。
さて、今回は7月半ばくらいにあった話を書こうと思う。
大通公園3丁目の噴水前にて、高頻度で出没して歌っているアコギ弾き語り青年(少年かもしれない)がいるのだが、先程書いた基準を満たしていて、路上ライブとしては歌がうまい部類であると筆者は勝手に思っている。
堂々と歌っているし音程を大きく外すわけでもない、自分の音域や声質にあった選曲をしていて高音パートでも発声に無理がないので、自分の持ち味を最大限に生かした「聞いていて安心できる歌声」といった印象だ。
欲を言えばどうしても似たような選曲、似たような雰囲気に陥りがちなので、もう少し幅を広げてみてもいいのかもしれないとは思うのだが……それは余計なお世話というやつだろう。
筆者には関係のない話だった。
時刻は夜の9時30分を過ぎた頃。
アコギ弾き語り青年は既に噴水前で歌っており、筆者は彼が見える範囲にある背もたれのあるベンチの一つ、その端っこに腰をかけた。
本当は彼が歌っている対面には背もたれのないベンチがカーブを描くような形で備え付けられているのだが、そこは少しばかり人が多いのと、何だか勇気が持てなかったのとでこちらを選んだのだった。
そんな訳でその夜は、このベンチから弾き語りを聞きながら”ぼーっと宵涼み”をする、そういう予定になるはずだった。