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白無垢と死に化粧

作者: 滝沢洋一

「若殿の使いである、誰ぞいるか」


大して張り上げた声ではないのに、その声は良く通った。


奥座敷にいたらしい家人が慌てた様子で転げるような勢いで出迎えた。


「お、お待ちしていました、影鷹師範様!!」






「影鷹、ちと用事がある」


「なんなりと」


不機嫌な様子を隠そうともせず、ぶすりとした顔で返答をした。


「そう怒るな、芸子の元で飲んでいたのだあろう?」


「わかっておいでならば、あえて言う事ですかな・・・・若殿」


楼閣に逃げ込んで一時の安らぎ(睡眠)を経ていたのに・・・・この若殿ときたら・・・。


「聞き及んでいるぞ、若い者達より一手指南を問い詰められてほとほと困っているとな」


「男衆に言い寄られてなんぞ楽しいものですか」


「彩乃と彩女、二人の息女に言い寄られる方が良いか」


殺意が噴き出した。


脇に置いた刀にこそ手を伸ばさなかったが、怒りで目が爛々と輝いていた。


「あえて言うがな、影よ。


もう忘れよとは言わぬ、どれほどお前が思うておったのか?知っておるからのう・・・・。


だがな、女子を抱かぬして楼閣に入り浸るのは良からぬことぞ」


「・・・・酒を友とし、歌舞と共に寝入るのは困りますまいよ」


「そうは言うてものぅ・・・・」


ほとほと呆れたように呟いた。


「一夜の伽を求めぬゆえ、なんら困ることはないと申されておりますよ。


せいぜい共に飲み、夜を通して食を楽しみ、傍にて寝入る(注:酔い潰れて寝る)ことしかしておりませぬ故にな」


「・・・・相変わらずよな」


苦笑いとも、呆れ顔とも言えぬ顔で答えた。


「では白無垢の亡者のことを知っておるか?」


「・・・・聞き及んでおりますが、若殿の耳にまで入るとは」


「数件、立て続けに起きている怪異と言うからのぅ・・・嫌でも耳にすることになるわ、影よ、行って片付けて参れ」


「・・・・仰せのままに」






「若殿の使いである、誰ぞいるか」


大して張り上げた声ではないのに、その声は良く通った。


奥座敷にいたらしい家人が慌てた様子で転げるような勢いで出迎えた。


「お、お待ちしていました、影鷹師範様!!」


「(いつ聞いて慣れぬものだ)若殿の使いで参った、奥殿はおるか?」


「もちろんでございます、さ、奥へどうぞ・・・」


家人(注∶商家の使用人、現代でいう会社員)にしか見えないのに、この家の主だと言うのはいつ来ても慣れなかった。


何度か若殿の使いで櫛を買い付けにきていたが、その度にこの男は下にも扱わない丁重な扱いぶりで、誰からも好かれていた。


いかに神剣を所有している身だとしても、商家によっては所詮奴婢として忌々しい目で蔑んだり、わからないだろうとばかりに見下す目を隠さない者が多い。


あまりに多いので気にしないでいるが、武を心得る者として気持ちが良くなかった。


「師範、こちらへ・・・」


離れに近い奥に『それ』はいた。


「死人・・・死に化粧か」


まだ幼い童とも言うべきものが、そこには寝かされていた。


死に化粧とも言うべき白無垢を着せられ、安らかに静かに眠っていた。


『・・・・送らぬのか』


『まだ此方側にいるものを送れと』


人ならざぬものが傍に控えていた。


偉丈夫とも言うべき存在が武装し、緊張を隠そうともせずに答えた。


『離魂か』


『さようで、故に我らが守りにつきましております』


「影鷹師範?」


「・・・・奥殿と二人にしてくれるか」


「余人には、聞かれては良くなきことですか」


「戸の前にいてくれるか?」


「畏まりました」


すっと立つと、寝かされている娘の傍にいる女に目配せして部屋を出ていった。「衣服を脱がせても良いか」


「師範、なぜです」


綺麗な女だった。


筋が通った小顔に似合う、意志が強い凛とした目は信頼と疑問に揺れていた。


「胸元を見るのではない、首元を見るのだ」


「・・・・それでしたら」


女子の肌を男が見るのは、婚礼を意味していた。


歳幾ばくもない娘の肌を見るのは、好意があるか奪い取るかのいずれでしかない。


ましてや親の前で肌を見るのは、金で子を買い受けるようなものでしかない。


「呪詛・・・・御魂奪いか」


喉仏の下、肩の骨が僅かに見えるか否かのところまで肌を露出させ、そっと触れた。


「御魂返しならばあるいは・・・・」


「影鷹師範様?」


「若殿に使いを頼む、しばし道場を閉じると」






人気が全くない、月明かりだけが頼りの山道を迷うことなく突き進んでいった。


かつての合戦で非業の死を遂げた者たちが、魑魅魍魎の類が、己と同じ者の匂いを嗅ぎつけてきたのか、死出の道連れにしようと群がってきた。


それらを一瞬の躊躇いもなく、身に帯びている刀で断ち斬ると、さらに歩みを進めていく。


「社神に願い出る、何故に娘らを御魂奪いとされるか」


『これは意なることを、影鷹殿ともあろうものが・・・・』


荘厳な衣に身を包み、弓を手に持ち束ねた矢をかけ、見事な太刀を身に帯びた存在が降り立った。


「御魂奪いとされる仕置き、そのような行いを成すのは社神をおいて他なるまい」


『妻帯を望む者はあれど、そのような行いを望む我ではありませぬぞ?』


身の丈数丈はあろうかという巨大な白蛇を伴い、受け答えを行った。


「では何者が・・・呪詛の贄か」


『その通りでしょうな』


白蛇が威嚇するかのように声を鳴らした。


『白無垢は死に化粧とも称されるもの、特に絹織物の仕立てならばそれを妬む者は多かりましょう』


「・・・・」


『白無垢を身に着け、身を落とす(注∶心中)ものもまた多いのが当世のこと。


ならば己が奥と見間違える者もまた多かりましょう』


「・・・・御身がそのようなことをなさるから」


苦笑いとも笑みとも言えぬ顔で答えた。


「では向かうと致しましょう、呪詛ならば行いようはあるというもの」


『影鷹殿、いや・・・・殿、危地にあらば呼ばれましょう』


その言葉は届くことはなかった。






酷い死臭が漂う場に、鋭い視線をむけて刀を僅かに抜いて歩き続けていく。


生い茂る草々が揺れながら、鋭い刃のように向かい入れた。


「・・・・出て来い」


合戦で死んだと一目でわかる、みすぼらしい者達がわさわさと寄ってきた。


その目にあるのは憎しみと苦痛に満ちた輝きだった。


『・・・お前達を使う者達の元へ連れていけ』


言葉にならない言葉で命じた。


その言葉を聞き入れたのか、もしくは自分達と同じだと察したのか、何も言わずに道を示した。


「あそこか・・・・解き放ってやる」


刀を抜くと、白い闇が周囲を閉じた。


轟音と共に落雷が起こった。


『・・・・贄か』


呟くと、さらに足を進めた。


暫く歩き続けると、山間部の中腹に見えてきた社に躊躇うことなく、静かに中へと入った。


「・・・・やはりな」


そこには何体もの白無垢姿の女たちがいた。


ある者は干からび、ある者は毒殺されたのか、灰色に滲んだ肌には生前苦しんだとわかる様子が克明に残されていた。


「年端も行かぬ者を、よくもまあ・・・・」


怒りとも悲しみとも言えぬ言葉をにじませると、背後を振り返った。


「招魂してこの娘達を生き返らせようとしたのか」


僧形姿の遺骸がそこにはあった。


『これは異なることを、この者達は己から望んで身を捧げた者達ばかり』


にたりと、欲にまみれた醜い笑みを浮かべた。


『贄として我に身を捧げることで豊作を願い、飢饉を乗り越えようとした者達ばかり。


いわば親どもより身を差し出された質入れに過ぎませぬ』


からからと、笑った。


『白無垢に身を包み、一昼夜祈りを捧げればその身は神と共にある。


故に良き縁を得て望むべき婿と婚礼を営むことができると吹聴して贄を差し出させたようだな』


『うまかったぞう、この上なくなあ・・・・』


にたりと、下品な笑みを浮かべて続けた。


『泣き叫び、恐怖と共に我に生きながらにして喰われる様はなんともいえぬ愉快であったわ。


それを知った者達がここに我を閉じ込め、討伐しようと群れてきおったが、娘達を手にかけることを厭うた者達に何ができる』


『・・・・』


『その娘達によって喰い殺され、死に至った者達の慟哭と苦痛はなんともいえぬ愉快であった。


じゃがこの僧によって封じられ、忌々しい日々を送っておったが・・・・』


わさわさと、どこからともなく夥しい数の蜘蛛が集まりだした。


『お前のようなものがかかりおったわ、神剣を有する者など珍しい。


喰ろうてまずは力を取り戻さぬてはのぅ・・・』


「人の恨み憎しみが一つに集まりて至った化生か」


一際大きな、それこそ人と同じ背丈の蜘蛛が幾つもの人の顔を有してあらわれた。


それぞれにあるのは苦痛と苦悶、絶望と憎悪だった。


「女郎蜘蛛に人の怨念が憑いたのか、よほど共に心中できぬことが恨めしかったとみえる」


『お前如きに何が分かる!!』


夥しい女の声が響き渡った。


『白無垢を身につけて婚儀の宴を行うは女ならば誰もが夢見るもの!!


それを男の慰み者としてなぶられ、折檻を受けて死んだ!!』


声が一斉にわめきだした。


それぞれがどのようにして死んだのか?口々に言葉を紡いだ。


『白無垢姿のものを幼きうちに身に付け、仮の婚儀を行えば禍を避けると称して行わせたのは誰ぞ』


断じるように言葉を紡いだ。


『死に化粧と知りながら白粉を顔につけ、薄紅を口に差した母親の想い、誰がそれを知るか』


身に帯びている刀を、僅かに抜いた。


『白無垢は死に化粧、一度身に帯びれば二度と帰れぬ道と知りながら、誰が子を差し出すものか』


ざわざわと無数の蜘蛛が蠢いた。


「白刃の雷光、その力を示せ!!」






「聞いたぞ、影鷹よ」


一国の主とその妻子が生活を営む奥座敷のさらに奥、ごく限られた者しか訪れることを許されない居室に、二人の男が胡坐を組んで酒を酌み交わしていた。


「『招魂』を行ったそうだな」


「どこよりそのようなことを・・・・」


苦虫を噛み潰すかのように、呆れたかのように呟いた。


「年端のいかぬ娘とはいえ、肌をさらけ出して行うとは、随分とまた思い切ったことをしおったのぅ・・・・」


笑うように、困ったようにこちらも問い質した。


「して、嫁御に迎え入れる気か」


「・・・・私には彩乃と彩女という二人の奥がおります、若殿もそのことは良く存じているはず」


困ったように、何かを耐えるかのように答えた。


「わかっておるわ・・・・奥はいるか!」


張り上げた声に対して、慌てたように腰を上げて、この場から急ぎ立ち去ろうとした。


「・・・・影鷹殿」


「奥方様にあっては・・・・」


平身低頭しながら、隙あらば逃げる為の道を探った。


「逃げようとしても無駄ですよ」


にっこり笑うと、酒器を手に取った。


「さ、是非とも聞かせて頂きますわ・・・・。


これで何度目ですか、殿をたぶらかして国元より飛び出して他国へと向かったのは・・・」


「お、奥方様・・・・殿より命じられて・・・・」


「お黙りなさい!!」


目を吊り上げて怒鳴りつけると、


「師範を勤める身でありながら幾度となく他国へと討伐に向かうとは何事ですか!!


妖物の類など僧や神職にある者に努めさせれば良いだけのこと!!


娘達を泣かせるのも大概になさいなさい!!」


ぴしゃりと言い放った。


「そういうことだ、一国の師範を勤めるものがそう易々と国の外へと出向くものではない」


「若殿!!」






今よりもっと絹が身近にあった頃、婚礼にあたってまっさらな白無垢を身に付けるのは禁忌とされていました。


葬礼にあたって身に付けるものとされ、忌み嫌われていたからです。


そのため仕立て上げたあと、あえて室内に一年ほど飾り、ほんの少し風合いが手で来るのを待ってから婚礼を執り行うことさえありました。


特に縁起を担ぐ公家などにその傾向は強く、婚礼にあたってわざわざ他家の白無垢を借りて仮祝言を執り行うことさえあったほどです。




婚儀を行ってそれほど時間が立たないうちに離婚や死別などを経験したいのでしたら、是非ともそうされることをお勧めします。


そうでなければやめておくことをお勧めします。

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