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短編(過去作)

やんちゃ坊主と猫かぶり

作者: あさろ

中校生時代に書いたものを、一部修正したものです。

 ――ああ、私もここまでか。

 目の前に差し迫る男の下卑た顔に、思わず背を仰け反らせた。尻餅をついてしまったため、もうこの男から逃げることは不可能だろう。にやにやと口元をゆがめ、それでも見開かれた眼は少しも冗談を含まない。

 冷たくなる指先に、もはや私の体を守れるのはご先祖様の加護だけだと悟る。

 まさしく墓参りの最中に、手を合わせるどころかこすり合わせて懇願する展開になろうと誰が思うだろう。助けて、神様、ご先祖様。私が一体何をしたというのですか。

 時は遡り、数分前。それまでの経緯はもはや覚えていない。

 ただ私は父親の命日である今日この日、近所であるにも関わらずあまり立ち寄らない我が家の墓にやってきた。ここに来るのは一年の内、お盆と今日くらいのものだ。苔の生えかけの墓石の掃除と、萎れこそしないが放っておくこともできない造花の手入れ、ついでに線香をあげていこうと思ってやってきた。母親は土曜日でも仕事に行っているので、こうして一人でやってきた訳だがそれがはじめの不運だった。

 気づけばこう、だ。罰当たりにもお寺裏の墓地で盛る不審者に、こうして追いつめられることとなった。

 境内は恐ろしく静かだった。お盆でもないこの時期の墓地に、すれ違うほど人がいることはおおよそないと言ってよい。

 それでもお寺であるここには、仏の一人や二人いるだろう。あれ? そもそも寺院って、神社と違って何かを祀る場所じゃあないんだったか。一応祈っておくことにしよう。もしもおわしますれば、どうか助けて下さい。この際、助けてくれるのならば、誰でも良い。

 なむなむ、なむなむ。

 ろくに知らないお経を、見よう見まねで唱える。

 それが良かったのかもしれない。どこのどなたか存じ上げない仏様に、私の祈りが通じたのだと。うっかりすれば変な宗教に入りかねないほどに、グッドなタイミングでその人は現れた。


「悪霊、退散」


 激しく風を切る音と共に、同じく激しい打撃音が鳴り響いた。

 ぐらりと体を傾けた男、その後ろに見えたのは卒塔婆を持って仁王立ちしている金髪で若いお坊さんだった。いや、もしくはお坊さんではなく、お坊さんっぽい恰好をしているだけの人かもしれない。容姿や衣服だけで人が計れない時代だ、浅慮だったことを反省しよう。

 作務衣を着た金髪の青年は、倒れた男を覗き込んで首を傾げている。


「おや、悪霊ではなかったか」


 男の頬をぺちりぺちりと叩いているが、音からしてそれなり強打だ。力加減が下手なのか、悪人に容赦がないだけか。どちらにせよ、武力として行使されたその卒塔婆は不本意極まりないだろう。


「さて」


 彼はこちらを一瞥することなく、井上さんありがとう、と言って卒塔婆を墓の横に戻した。即席の武器だったのか。井上さんかわいそうに。あわや、自分の卒塔婆を凶器として押収されかねない事態になりかけて。

 尻もちをついたままの状態で、その一連の出来事を見ていた私。倒れた男を見て、もう一度金髪に視線を戻すとぱちりと目が合った。


「お嬢さん、大丈夫ですか? 世の中危険なことだらけですからね…………あれ、今は労働時間外だった」


 にこやかな笑顔を私に向けていた彼だったが、はたと我に返るように天を仰ぎ見て、「あちゃあ」と言った。

 まだ朝だ。労働時間外な訳がない。もっとも、お坊さんに労働時間と言うものがあるのだろうか。本来悟りを開き、修行に勤しむべき人間であるお坊さんに。

 言い様のないミスマッチ感に支配される。


「おまえ、迷惑だからコイツ持って帰れ。やるならホテルでも行ってくれ」

「はい?」


 空耳だと信じて疑わないのは、私のエゴだろうか。それとも願いだろうか。

 助けてもらったことにはかわりないが、こんなことを言われてしまえば少なからず怒りもする。もっとも、私が悪い訳ではないのだ。私は被害者だ。それなのに何故こんな言われ方をしなくてはいけないのか、言うのならそこで伸びている男に言ってほしい。

 そんな感情や思いは全て張り付けた笑顔の裏に押し込んで、私の口から出たのは「不本意ながら、申し訳ありません」という謝罪の言葉だった。処世術とでもいうべきか。揉めることさえ面倒で、気持ちのない謝罪で事が収まるならその方が良いという、我ながら嫌な人間性だった。

 お坊さんも少し怪訝な表情を浮かべていた。私の悪意を見抜かれたのだろうか。

 しばらく考えた後、金髪は黙って手招きした。そして、身を翻し、寺の本殿の方へと向かっていった。手招きした癖に振り返らない。ついて来ないなら、それはそれで良いというような、ラフさ。私はもちろんその後を追う。こんなところにあの下品な男と残されるくらいなら、まだお寺の人間である確率の高いこの男についていった方が良い。

 そもそも、私は墓参りに来た。

 一人で掃除は怖いので後日母親と来るとして、気持ちとしては手を合わせたい。

 父親だったが、私はあまり彼のことを覚えていない。どれだけ思い出そうとしても、黒いもやがかかるようにぼんやりとして思い出せなくなってしまう。父親のことが嫌いだったのか、それさえも曖昧になってしまった。

 私は男に導かれて、本堂ではなく、母屋の方に来た。何故こちらなのか、問うことも面倒なので黙って後をついて行った。

 そのまま縁側に座らされ、待つように言われる。縁側の前には広くなくとも狭くない庭があり、そこには数種類の木々や草花が植えられている。ぼんやりとそれを眺めていると、男は完全な正装で帰ってきた。あれははっきり袈裟だと分かる。お坊さん(仮)はお坊さんに確定した。


「まあ、気楽に座って、しっかり聞け」


 少し横暴で、乱暴な言い方だった。

 しかし、お経を読み始めたお坊さんは、先程までとは別人みたいに凛としていた。

 ぴんと張った糸のように研ぎ澄まされた声が、しかし淡々とお経を読み上げているのは、耳に優しく届いた。

 私にはお経が分からない。どういった意味があるのか、それを読むことに如何ほどの意味があるのか。知ろうともしなかった。だって、死んだ人はお経をあげても帰ってこない。なら意味などない。そう思っていた。

 しかし、このお経は人のために読まれているのだと、何故かそう確信できた。

 ×××××。

 はっきりとは聞き取れないその言葉たちが、すんなり私の中に入ってくる。

 そうだ、父は私に紙飛行機の折り方を教えてくれた。やはりぼんやりとしか思い出せない父親の顔は、それでも私に微笑みかけて来た。どうして忘れていたんだろう。私の大切な家族だったのに。

 優しい記憶はお経とともにほどけていった。

 気がつけばお経はすでに終わっていて、一体どのくらいの時間だったのか分からなかった。さらにいつ用意したのか、お茶やお菓子があった。隣には呑気にお茶を啜っているお坊さんがいて、私もありがたくお茶に手を伸ばした。


「おまえ、難しい生き方しているなぁ」


 ふいに尋ねられた言葉の意味を私は理解できなかった。

 失礼だな、とは思ったがそれだけだった。


「いや、楽をしているっていう方が正しいのかもしれない。本当は、もっと気持ちをぶつけたり、相手を推し量ったり、そうやって関係を築いていくべきなのに、おまえはそれをサボっているんだよ」

「好き勝手なこと言わないでください」


 思わず言い返してしまった。

 それは図星だったからかもしれない。私の生き方が楽で間違っているのは、私が一番分かっている。

 お坊さんは私を冷めた目で見ていた。冷たいというよりも、とても涼やかだ。


「別にいいんじゃない?」


 とても投げやりで優しい言葉だった。

 適当に生きることは難しい。適当とは、「いい加減」ではなく「良い加減」、正しく相応しい様子を指す言葉だ。裏表があるという意味では、まさに私を的確に表しているのかもしれない。

 私だって真面目に生きたい。でも、それはとても難しい。

 庭には砂利が敷き詰められ、大きな石だったり、何かしらの花が咲いた植木鉢がぽつぽつと並べられていた。盆栽なんかはこだわりがありそうな、なさそうな、これまだ色んな種類が煩雑に並んでいる。でも、どれも誰かにとって大切なものなのかもしれないし、そうでなくて何の思いもなくあるだけかもしれなくて、それは私には分からない。


「ほら、三千円」


 突拍子もなく、彼は私に手を出した。文字通り、手を出した。犬にお手を促すような仕草。


「三千円。読経代。これでもまけた方だぞ」


 開いた口がふさがらない。

 自分で勝手にしておいて金銭の要求だなんて、とんだ悪徳商法だ。

 確かにこの人がいなければ私の体は危なかった訳だが、それにしてもお坊さんにカツアゲされるというのは不思議で嫌だった。実際問題、お坊さんも商売なので本来なら渡すのが正しいが、こんな押し売りされると反骨精神が生まれる。質の悪い詐欺だ。

 視線を戻すとすでにお坊さんの顔からは笑顔が消えていて、まるでたちの悪いチンピラのような顔をしていた。

 本当に質が悪い。

 ため息をつくと、幸せが形になるように白い息がもれていった。

 私はいつも笑顔の仮面をつけている。それはもうきっと外せない。でも、ずっとつけている必要もないのかもしれない。

 すっと息を吸うと、男に笑顔を向ける。


「金なんて持ってねぇよ、チンピラ坊主」


 私は彼にそう言った。

 鳩が豆食ったような男の顔がおかしくて、声を出して笑う。腹の底から笑ったのは久々かもしれない。男もすぐにつられるように笑った。

 性格は悪いかもしれない。でも、性格の悪い奴には、お人好しでいる必要はないと思う。

 ひとしきり笑った後、男はずずっとお茶をすすり言った。


「利子つけて、待ってやるよ」


 これが私達のはじまりの関係。

【言い訳 (あとがき)】


お経って、聞いていると眠くなりますよね。

お線香の匂いも苦手で、どこか懐かしいのがさらに苦手でした。


大好きだった祖父が亡くなって、その時のお経は、なんだかすごく痛かったんです。


今回は、大切なものをポロポロとこぼしながら生きている2人。

猫を脱げない女。

猫を捨てた男。


どちらの生き方も、ありだと思います。


結局は楽な生き方なんてないんです。

人は誰でも苦しみながら、生きづらさを背負って、それでも生きている。

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