3.地獄-後編-
※控えめですがガールズラブ表現あり。
蝶子は可愛い。
蝶子はキレイ。
小さい頃から蝶子の周りにはたくさんの子がいて、わたしはいつも遠くで見てるだけ。
それなのに蝶子はわたしを見つけてくれた。
友達になろうって言ってくれた。
蝶子は明るい。
蝶子は優しい。
そんな蝶子が友達なのがわたしの自慢だった。
蝶子の周りにはいろいろな人が集まって、蝶子はその誰とでも仲良くなれた。
そんな風にしていたら蝶子に彼氏が何人も出来た。
他にも一回きりの相手やメル友、リスカを教えてくれた先輩、UFOを一緒に交信する友達や、また別の友達で悪い霊を払うための水晶のブレスレットを売りつけて来たりしたのも、皆みんなその集団の中の人達だった。
でもそんな人達はすぐに蝶子から離れて行った。
「尋恵ちゃん。あたしもう疲れちゃった」
そうあの日。
蝶子は包帯だらけの痩せ細った手足でわたしの部屋に来て、そんなことを行った。
「占い友達の子に言われたんだ、あたしの血は不純物で濁ってるから儀式には使えないって。彼氏とそういうことするからいけないんだって。だから彼に別れようって言ったの。そしたら殴られちゃった。また血も濁っちゃったし……。でもこれで大丈夫、これでやっと儀式の仲間に入れてもらえる。そう思ってたのに、なんでかな、駄目だって」
わたしは何も言えなかった。
何が悪くて何がいけなかったのか。
わたしにはどうにも出来ないし、どうにもならないことばかりだったから。
だからわたしに出来るのは蝶子のそばからいなくならずにずっと一緒にいることだけ。
「尋恵ちゃん、一緒に死のう」
わたしは死にたくなかった。
死んでも何の解決にもならないし、何の救いにもならないのはわかっていたから。
だからといってこのまま生きていても蝶子は心を擦り減らすだけできっと今よりもっと酷いことになる。
しょうがなく生きる人生に一体どれほどの価値があるのだろう。
でもわたしは死にたくなかった。
それが蝶子を裏切ることになっても死にたくない。
そして蝶子にも死んで欲しくない。
それが蝶子にとってどれだけ残酷なものであっても。
あぁこの包帯だらけの細い腕のどこにこんな力があるんだろう。
きぃぃぃんと響く耳鳴りの中で唯一拾える音「一人にしないで」、圧迫された血が集まった顔に冷たく零れた涙。
わたしはそのまま窓の外に落とされて、その後に蝶子がわたしの上に落ちてきた。
青空にひらひらと薄っぺらい黄色が飛んでいた。
なんてまあ不快な光景だろう。
これが私達の最後だっていうのに。
ああ、これだから春は嫌い。
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「そんなことが……」
「そうだニシナさん、蝶子がどこいるか知りませんか?自殺ならこの河原のどこかにいますよね?」
「残念ですが……蝶子さんはここにはいません」
「どうしてですか?それなら、蝶子はどこにいるんですか!」
「殺人を犯した者は、例え子供であろうと地獄行きです。ここより下の深い深い地下層へと送り込まれて罰を受け続けることになります」
そんな……せっかくまた一緒にいられると思ったのに……。
こんな事なら、
「一緒に、死んでればよかった」
そうすれば、蝶子ひとりが罪を背負うことなんてなかったのに。
地獄でふたり、同じ罪を分かち合えたのに。
「……本当に死ぬしかなかったんですか」
ニシナさんが悲しそうな顔で呟いた。
「だって、そうじゃないですか。蝶子はどうしようもないくらい不幸体質だったんですよ?この先生きてたっていいことなんてないに決まってるじゃないですかっ!」
「でもキミさぁ、それ自分でやったんじゃねーの?」
さっきまで携帯をいじりまくって我関せずだったチャラ鬼が、突然話しかけてきた。
チャラ鬼、イマガワさんのわたしに向けられた真っ直ぐな目に、なぜだか薄ら寒いものが背筋を走る。
「イマガワ君、何を突然……」
「や、ただの勘っスよ?単なる思いつきっつーか。だって蝶子って子だけしか友達いなかったみたいじゃないっスか。それならたった一人の友達誰にも取られたくなかったんじゃねーかな~って」
その通り。
わたしはいつも一人ぼっち。
外も、教室も、いっつも一人で隅っこに座ってた。
ただ蝶子だけがわたしに話しかけてくれた。
友達になろうって言ってくれた。
蝶子がそばにいてくれさえすればいい。
それだけでわたしは幸せだった。
でも蝶子はそうじゃなかった。
蝶子の周りにはいつもたくさんの人が群がっていた。
そのたくさんと蝶子は仲良くなりたがった。
わたしはそれが許せなかった。
蝶子にはわたしがいれば十分なのに、どうして蝶子は他の人達を必要とするの?
わたしには蝶子だけなのに。
わたしは蝶子と周りの人達との仲を裂くようになった。
しょうがなかった。こうするしか蝶子を守る方法がなかったから。
蝶子が重度の不幸体質だったのは本当だった。
蝶子の周りに寄って来るのは変な人間ばっかりで、そんなの蝶子にとって絶対よくないのは決まりきっていた。
害虫駆除。次から次へと湧いて出る男やお金を吸い尽くそうとする連中が害虫に見えた。
挙げ句おかしな思考まで植え付けてお前らは宿主を洗脳する寄生虫かとさえ思う。
本当、吐き気と不快感で気が狂いそうだった。
それでも人間相手に殺虫剤を振り撒く訳にはいかず、仕方なしに人間的対応を取って地道に奴らを蝶子から遠ざけるように仕向けた。
とは言え大半の人間はわたしがどうこうするまでもなく用が済んだらさっさとどっか行ってしまう蚊のような連中がほとんどで、わたし自身があれこれ働き掛けたのは物の数人だけで済んだ。
これで蝶子の友達はわたしだけ、蝶子はわたしだけのもの。
それがやっと二人だけになれたというのに、蝶子は死にたいと言うようになった。
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「なんで?ねえっ、なんで死にたいなんて言うの?どうしてわたしと離れ離れになりたいみたいなこと言うの!?」
「痛いっ、痛いよひろえちゃん……」
あの日。
わたしの部屋で、包帯だらけの手足でやって来た蝶子は、なんにもない表情を浮かべて、死にたいと言った。
その目は、なにも映してなかった。
目の前にいる、わたしでさえも。
それが無性にわたしを腹立たせた。
「痛いっ、痛いよ……!」
気が付くとわたしは蝶子の腕を掴んで、なんで、どうしてとヒステリックに喚いていた。
蝶子の腕の包帯にはじわじわと血が滲み出てくるのが見えた。
「放して!」
蝶子がわたしを突き飛ばした。
(あっ。)
我に帰って、慌てて謝罪を口にしようとした時。
蝶子の顔を見て、それがもう手遅れだと知った。
「ひろえちゃん、なんだか最近怖いよ……」
蝶子の目には、明らかにわたしに対する恐怖が滲んでいた。
それはもう、どんなに手を施したって修復不可能なもの。
これまで何年もかけて築き上げてきた信頼関係が、この時、すべて崩れ落ちてしまった。
あるいは、もっとずっと前から――――。
ふと窓の外が目に入った。
外は陽気な春の空。
暖かな日差し、緑のにおい、色とりどりの花々。
そして、どこもかしこも虫達の気配でいっぱいだ。
気持ち悪い。
気持ち悪い、気持ち悪い、
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
気が付くと、そこに蝶子はいなかった。
たった今まで目の前にいたはずの蝶子は、忽然と姿を消した。
蝶子がさっきまでいたはずだった場所のすぐ後ろにある窓から吹いた風が、レースのカーテンをふわりと踊らせているのが見えるだけ。
(おかしいな……わたし、夢でも見てたのかな)
窓から吹き抜ける風と、時折風に煽られて頬に触れるレースカーテンの感触が心地良い。
なんとなく、蝶子の髪や手に触れた時の感覚に似ていて……。
ふと、視界の隅に、なにかがチラチラと動いているのが見えた。
ほんの少し、視線を落とすと黄色い小さな蝶々が飛んでいた。
さらにその下にも、チラチラと動くものが見える。
するすると視線を降ろしていくたびに、点々と視界に入る黄色、白、ヒラヒラと舞ういくつもの薄い羽。
下へ、下へ。
ゆっくり、一段、一段と。階段をおりて行くように。
そうしてたどり着いた視線の先、色とりどりの花が植えられた花壇の上で、まるでそれらを絨毯のようにして寝転がる、蝶子の姿を見つけた。
ううん、違う。
寝転がってるんじゃなくて、あれは。
落っこちちゃっただね。
まったく、蝶子ったら。
本当、ドジなんだから……。
大きく見開かれたまま、ピクリとも動かない蝶子の目は、『なんで?』と私に訴えていた。
その目を見ていたら、なにかを“良くないこと”を思い出しそうで……例えば手のひらに残る重たい感触とか、蝶子の『えっ?』ていう表情とか、遠ざかる悲鳴、とか、なにか重たいおと。
それと、あ、ああ。
あああ。
いけない。
それは違う。
私は、
違うの。
ただ、蝶子が好きだっただけ。
「ごめんなさい、蝶子……」
濡れた視界はどんどんぼやけて、まともに前が見えやしない。
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「――――それでは、イマガワくんは蝶子さんをこの賽の河原へ連れて来てください。私は彼女を地下まで、送り届けて来ます。……行きましょう、尋恵さん」
「了解っす。ヒロエちゃん、達者でな~」
わたしは、はい、とかどうも、とかいうような事をぼそっと呟いたような気がする。
「おにーさーん!そろそろ俺、降ろしてほしいんだけどー!」
「あー、ハイハイ。超絶美少女のご案内済んだら戻ってくるから」
「えっ、なに、それまで放置なわけ?マジでか」
「マジで~っす」
「えー……まあ、いっか。それより、今から自殺した娘連れて来るんだろ?だったら俺の彼女も連れて来てよ。多分あの様子だと、俺のあと追って来てるはずだからさ!」
「あ~、ハイハイ。後でね~」
軽やかな足取りで走り去って行ったイマガワさんの姿はすでにない。
ニシナさんも特に問題はないといった風にそのまま歩き出す。
わたしもそれに続いて重たい足を踏み出した。
背後ではまだ何事か喚いているのが聞こえたか、しばらくすると「うわ本当に放置かよー」という言葉を最後に、静かになった。
ざく、ざく、ざく。
じゃり、じゃり、じゃり。
小石や砂利の上を歩く二人分の足音が延々響いている。
言葉を交わす事はない。
生きてた頃ならきっとこの間が気まずいと感じたかもしれない。
でも今のわたしは死んでるから、もうなにも感じない。
これからわたしは地獄の最下層に連れて行かれるみたいだけど、特に怖いとか不安だとかは感じない。
本当になにも無い。
あるのは、もう蝶子に会えないってこと。
そしてこれから先も、蝶子とずっと一緒にいたいということ。
その事実と気持ち。
だからって、それが何?って話。
もう、どうでもいいや。
「恋なんてするものじゃないな……」
ざくざく、じゃりじゃり。わたしの小さな呟きは砂利を踏み締める音にかき消され、埋められて、それから一歩一歩進む事に遠ざかって行く。
気が付くと辺りは随分薄暗くなっていて、目の前を歩くニシナさんの背中が、かろうじてぼんやり浮かび上がって見える程度だ。
ただただ前に向かって歩いて行く後ろ姿は、朝の通学中に幾度となく見かけてきたサラリーマンに似ている。
そんな発想に、少し懐かしさを覚えた。もうあの退屈な日常には戻れないんだな。
どこの誰とも知らないおじさんのような背中は、そう言えばお父さんにも似ているように思えた。
お父さん、お母さん、元気にしてるかな。
わたしがしたことで、きっと迷惑かけただろうな。
駄目な娘でごめんなさい。
ざくざく、ざくざく。
じゃりじゃり、じゃりじゃり。
相変わらず辺りには砂利を踏み締める音だけが響いて、いつの間にか独り言さえやめたわたしは、薄ぼんやりとした頭の中で反芻した取り留めのない考え事を、道の下に埋めていった。
恋なんてするものじゃない。
了