3.地獄-前編-
「あの~………すみません、起きてください」
ごんッ!
「ごふゥッ!!」
「いたっ!」
起きろと言われ慌てて身体を起こたら、お約束すぎるくらい見事にぶつかった。
ぬぐぅう~!とうめき声が聞こえる。
おでこを押さえながら声がする方を見ると、そばで見知らぬおじさんがのたうち回っていた。
「ご、ごめんなさい……」
「いえいえ、とんでもない……いきなり声をかけた私が悪いのですから、気にしないでください」
そう言ってにっこり笑う、紳士なおじさん。
いい人だなぁ……。
ぷっくりと腫れたタンコブの痛みなんか、まるで感じさせられない。
それに比べてわたしときたら、ぶつかって真っ先に心配したのが、わたしがおじさんでおじさんがわたしで的な展開だなんて……。
「そんなこと、とてもじゃないけど言えないよ!」
「すみません、丸聞こえです……。申し遅れました。私、ニシナと申します。地獄の案内人でございます」
地獄の住人っぽくない礼儀正しいさで深々とお辞儀をするニシナさん。
「どうも……」
つられてわたしも深く頭を下げる。
それを見たニシナさんがわたしより下にぐぐーっと頭を下げた。
それよりもわたしはぐぐぐーっ頭を下げる。
ニシナさんは負けじとさらにぐぐぐぐーっ頭を下げた。
どんなことでも誰かの上にいるなんて、なんておこがましい。
「モトアキ……ヒロエ様、でございますね?ようこそいらっしゃいました」
地獄の案内人に歓迎されているということは、やっぱりここは地獄なのだろうか。
ニシナさんに尋ねると左様でございます、と返ってきた。
「証拠は?」
探偵にトリックを見破られた犯人のように、何となく詰め寄ってみた。
特に意味はない。
「しょ、証拠ですか?ええと……そうだ、あちらをご覧下さい」
ニシナさんが慌てて指差した先には、川があった。
先が見えないほど遠くまで続く川の周辺には、沢山の子ども達が群がっている。
「賽の河原でございます。親より先に死んでしまった子どもの償いの場です」
正確には地獄に程近い所にある入口と言った方が正しい表現ですが……とニシナさんは付け加えた。
「ああ、あれが……。ということは、わたしも?」
「ええと、少々お待ちを。確か資料によると……」
何処からともなく取り出した分厚いファイルをぱらぱらとめくって、ニシナさんはあるページを開いた。
「あった、ありました。飛び降り自殺ですね」
「違います。わたし自殺なんかじゃないです」
「証拠は?」
どうやらニシナさん、さっきの事を根に持っているらしい。
お辞儀の時もそうだったように、案外負けず嫌いなのかもしれない。
自分は他人より劣っていて、自分は他人より特別なのだ。
「てふ子を捕まえようとしたら、誤って窓から落っこちちゃったんです。だから、わたしは自殺してません。事故です」
「てふ子……ですか?」
「ペットの蝶々です」
「…………嘘ですね」
「嘘じゃないですわたし虫好きなんですよまじ大好きです口いっぱいに頬張りたいくらいですからうえああああ!」
「ななな泣かないで下さいよちょっと!あわわっ」
想像して涙が溢れた。
キモチワルイ。
何でわたしはこんな嘘をついちゃったんだろう。
「本当は虫駄目なんです苦手なんです怖いんです茶色あれが出ただけで奇声上げてなりふり構わず逃げて部屋散らかすしその拍子に足ぶつけて流血したり家族が引くレベルで駄目なんです……」
「そ、それは相当な虫恐怖症……資料の通りですね」
「窓から蝶々が入ってきて……もう嫌だったんです、虫に煩わされる人生は……。逃げました。窓の外に出れば虫から逃げられると思って。…………でも、」
窓の外には、もっとたくさんの蝶々が飛んでいました。
「当たり前ですね、蝶々は外からやって来たんですから。だから春は嫌いです。春は頭の中だけで十分でしょう……?」
逃げても逃げても逃げても、どこへ行っても邪悪な春のざわめきが息づいている。
「ここは、わたしからすれば天国です。ヤツらがいないから……」
「天国ですか……残念です。あなたは天国へは行けません」
ニシナさんはまるで自分のことのように悲しそうな顔をした。
「親より先に死んでしまった子供はここで石を積み続けることになります。
積んでは崩されて、また積んでは崩されて……それでも休むこと逃げ出すことも許されず、ただただ石を積むばかりです。
そうして途方もない年月をかけて罪を償うのです」
そうまるで人生の縮図のように。
「けれどあなたの場合は違います。
自殺です。自殺は大人も子どもも関係ない。
自殺をした人間は永遠に救われることがありません。
天国でも地獄でもない、今まであなたがいた所に戻されるのです。人間がいうところの幽霊となって。
あとはただ彷徨うだけです。そして大抵の自殺者は自殺を繰り返します。許せないのです、自分も、他人も。
それは、とても悲しいことです……」
河原からは子ども達の悲痛な叫びが絶えず響いている。
私の目と届く範囲で石積みをしているのは小学生くらいの年齢の子がほとんどで、中には見慣れた中学校のセーラー服や学ランもあった。
他は高校生であったりまたそれ以上、はたまたそれ以下だ。
「あの子達の中に事故に遭った子っていますか?」
「もちろんいらっしゃいますとも」
「事故でも……石を積まないといけないんですよね」
「ええ、そうです」
あんなに幼い子どもでも、自分の過失のあるなしに関係なく死の責任を取らされる。
不条理。正しく不条理だ。
「私には絶えられません、そんなの……」
子ども達の悲鳴がよりいっそう大きく響き渡った。
惑う子ども達と、それを追う鬼。
真っ赤な顔をしたその鬼は、たった今ここにいたはずのニシナさんだった。
しばらくすると別の鬼達が現れ、泣き叫ぶ子ども達を引っつかんでどこかへ消えて行った。
私が唖然としていると、汗だくのニシナさんが眼鏡をかけ直しながら戻って来た。
どうやら眼鏡で性格が変わるキャラらしい。
「お見苦しいところを見せてしまいました。私の仕事は案内人兼鬼なのです」
「今のは……」
「脱走しようと試みたのです。そんなことをしても無駄だというのに……」
ニシナさんは酷く悲しそうな顔をした。
「………長話が過ぎました。そろそろ参りましょう。監視の仕事に戻らなければなりませんし、目の届かないところで脱走されては敵いませんからね……」
じゃりじゃりと小石を踏み締めて歩くニシナさんの背中は、ホコリを被った記憶の片隅の何かとそっくりだった……ような気がした。
「ニシナさぁ~ん。ニッシ~!ちょっといいっすかぁ~」
「おい離せ!離せっつってんだろ!」
声がする方を見ると、そこには若者の鬼と人間の姿があった。
見るからにチャラチャラした鬼は、手足を縛られた高校生くらいの男の子を手押し車に乗せ、ガタガタいわせながらこっちに歩いて来る。
チャラ鬼は左手の携帯から顔を上げることなく、もはや携帯付きストラップ状態になっているそれを物凄い勢いで早打ちしていた。
「イ、イマガワ君……その呼び方は止めて下さいと何度も……いえ、それよりどうしたんですか?」
「あ~、何だっけ……あ、思い出した。コイツ新入りなんスけど~なんかぁ、その子と間違っちゃったみたいで~」
「間違った……?」
「なんか~似てたから上がミスっちゃったらしいんスよ~。コイツの名前『ヒロエモトアキ』っつーみたいだから~」
「えぇっ!?」
「モトアキくんが自殺でヒロエちゃんは他殺で~す」
他殺?
わたしが、殺された……?
「えーっと~、
『本秋尋恵(十四)
死因:転落死(他殺)
友人(春丘蝶子)に自宅二階の部屋から突き落とされ死亡。』
………て、書いてま~す」
「蝶子……てふ子」
ニシナさんが呟いてゆっくり顔を上げてわたしを見た。
ああ、そうそう。
わたし蝶子に部屋の窓から落とされたんだ。
今やっと思い出した。
全部ぜんぶ。
続