P.01:仲間たち
紅鞍 煕陋は新聞を読んでいる。朝の図書室、この時間には人の出入りなんてほとんどない。図書委員は、不憫だが、煕陋の貸し切り状態のこの寂寞の中で仕事をしなければいけない。
煕陋は、図書室にあった本日付けの新聞を開き、一面をまじまじとそのゴシック体を見つめている。
窓から入り込むひんやりした風に、無造作な茶髪を揺らしながら眼光を鋭くする。それは朝食時に新聞を広げる父親のようにのんびりとはしていなく、だからといって、会議の書類を確認する会社員のように、殺気立ってもいなかった。
図書室はコンピューター室と一体となっており、煕陋は使うわけでもないコンピューターの前に座り込んでいる。
「“名古屋が一瞬で新地に”ねぇ……。これでこの国の警備体制も、ちょっとは改善されるかな……」
そんなことを文面に反響させた。煕陋の言葉に、隣の席で液晶ディスプレイのモニターを眺めていた男が答える。
「どうかな。最新ニュースの載ってるブログページには、“東京のシェルター、まだまだ建設困難”だって書いてあるけど」
マウスのホイールを転がしながら、謌陬 式埜は読み上げた。
――式埜のボサボサとした髪の毛に包まれた顔は、ほとんど日に焼けていない肌の色だ。細い目からは、肌の色とは相対する黒曜石のような瞳をぎらつかせている。
「この間の報道では、近々着工って言ってたけど……それいつのログだ?」
「2034年、4月16日。正真正銘、昨日の日付……」
煕陋の質問にそれだけ返すと、式埜はまたホイールを弾く。どうやらそのページに目当ての情報がたくさん記載されているようだ。
「ったく、なんのために働いてるんだ? この国の官僚は……」
そんな煕陋の言葉に、今度は違う少年が反応した。
「仕方ないよ。最近はあちこちでテロが頻発してるんだし」
軽くて今にも空気中に溶け込んでいきそうな声。それは、煕陋と式埜の背後から投げかけられた言葉だった。
「そうは言ってるけどな、零臥。これで、大都市が潰れたのは2回目だぞ。前回空爆にあった博多から少し経つのに、未だたいした解決策も打ってないってのはどう思うよ?」
――眞華 零臥……煕陋はその少年に自分の意見をぶつけた。零臥はさらさらの蒼い髪をぽりぽりとかきながら、眉間に皺を寄せながら目を細めていた。煕陋への返答を一所懸命考えているようだ。
零臥は線の薄い輪郭線をしていて、ほっそりとした印象は一見、優男として見られる。性格は温厚で軽やか、物腰も柔らかい方だ。
しばしの間考え込み、零臥はやっと煕陋に返答できるような答えに辿り着いたようで、くわえていた棒つきキャンディを手に取って明るく返した。
「対策は打ってるんじゃない? 例えば……この学校とかさッ」
「いや、まぁそうだろうけどな……」
零臥の返答は正しい。しかし、煕陋の訊きたいこととは的が外れている様子で、少し困っているようだった。
「零臥の言う通りよ、煕陋……」
煕陋が次の言葉に迷っていると、図書室の入り口から颯爽とした歩調で入ってくる女子が1人いた。遠くから見てもわかる、それは擱岾 神瀞だ。凛とした目つき顔つきで煕陋たちの方に近づいてきている。
――また誰か来た……。
そんな事を心の中で呟く図書委員には目もくれず、神瀞は真っ直ぐ煕陋たちの前へとやって来て言った。
「博多空爆の際、同時に流されたテログループの犯行宣言。“日本を火の海にする”ということに出した日本政府の決断は、この学校の設立よ。
襲われる危険を背負った首都――東京は、護衛を任せるために国連軍へ明け渡した。そして、首都機能はこの秋田県、由利本荘区に移した。
したがって、ここには日本の中枢であった閣僚たちが集まり、その閣僚たちの護衛や、テロリストへの対抗手段としてこの学校が設立され、その生徒としてあたしたちがいるわけであって……」「あ〜、はいはい。わかったわかった」
「もう! 人の話は最後まで聞きなさいよぉ!!」
煕陋に軽くあしらわれた神瀞は、さっきまで以上にかみつく。
――擱岾 神瀞。明るいしっかり者で、皆に慕われている。朱色の髪と、薄い青色の瞳が特徴的だ。この学校でもトップレベルの美麗な容姿で、その上頭脳も聡明であるため、周囲からの人気は群を抜いている。
「せっかく残念な頭の持ち主である煕陋のために、こうしてあたしが日本情勢と本校の沿革を優しく教えてあげてるって言うのにぃ……」
「そのくらいのことは知ってる。それに俺とお前じゃ、頭脳の良さなら同じ程度の筈だ」
神瀞の皮肉にムッとしたのか、煕陋が冷静な口調で返す。その声は静かではあったが、明らかに少しいらいらしたような感情も盛り込まれていた。
「へぇ〜、そう。でも、学年トップの成績を修めるあたしに言えることではないと思うけどなぁ」
「それは学業の成績だろ。俺が言ってるのは、思考力、情報処理能力、分析力、読解力、想像力……それらを総合的に考えた結果で言うと、俺とお前の頭脳の力は同じだって言ってるんだ」
神瀞の絶対的地位に、煕陋が精一杯の不満をぶつけた。学業成績が全てだと考えるなと、ただそう言えばいいだけの話なのだが、煕陋は神瀞に負けない一心でわざと回りくどい説明をしてみた。
「それ、虚勢って言うんじゃない……?」
コンピューターの画面を見ながら式埜が投げかける。
グサッ!
今にもそんな効果音が聞こえてきそうなほどに精神ダメージをくらった煕陋。
「右に同じ♪」
楽しそうな笑顔で同意する零臥。口にはさっきはずしていたキャンディーをもう一度くわえていた。そんな2人の連続攻撃に、煕陋の胸には精神ダメージを具現化したような矢が無数に刺さっているような感覚がした。
そこまで来ると、言い合っていた神瀞も、自分が哀れむような顔で煕陋を見つめていることに気づいた。
「すぅー……。く〜……」
放課のベルが鳴ったのにもかかわらず、頬杖をつきながら眠りこけるその姿は、まるで子供のようだった。
「起きなさいよ煕陋!!」
「う、うわぁッ!?」
突然の怒号に煕陋は叩き起こされた。神瀞のものであるとすぐにわかったが、なにせありったけの咆哮が耳元に轟いたのだ、どう反応していいのかもわからない。その上、寝起きということもあって、煕陋のテンションは一気に大暴落を果たした。
「んー……。なんだよもぅ……せっかくいい気持ちで寝てたのに。“みくるちゃん”に膝枕してもらってた花畑へ帰りたいー……」
「ひ、膝枕ですってぇッ!?」
うろたえる神瀞は、ひくつかせていた眉をいよいよ“逆ハの字”にして、拳をつくった。そして、世紀末覇者さながらに拳を天高くかざしたと思うと、勢いよく煕陋の上に――ガツンッ!!
「いってー……」
脳天にできたたんこぶをさすりながら、煕陋は未だほっぺたの膨れを崩さない神瀞と、零臥、式埜たちと飛行場の滑走路とでも思うほどの長い廊下を歩いていた。
いや、歩いていたわけではない。廊下の床には、その場に立っているだけで道なりに運んでいってくれるコンベアが取り付けられている。
この学校には、他にも便利な機能が多数取り付けられている。朝に煕陋たちが過ごしていた第二図書室に加え、第二図書室の5倍以上の内容量を誇る第1図書室。食道、売店、カフェテリアといった、食事の際までに至る生徒各個人の自由性を重んじた構造だ。建物全体を通して、バリアフリーも取り付けられているため、大会議室を利用する官僚たちも多数来校するほどの便利さだ。
「ど、どうしたのかな……」
零臥は巨大なたんこぶを頂いた煕陋の方を一瞥し、式埜にこそこそと耳打ちして問うてみた。しかし、式埜にも心当たりがないようで、肩を竦めて首を振っている。
なんとなく変な空気を感じつつ、零臥も式埜も、何事もないふうを装うことにする。触らぬ神に祟り無し。知らぬが仏。そんなことわざが身に沁みた瞬間だった。
間もなく目的地へと到着する頃、煕陋が不満そうにぼそぼそと呟きだした。
「……で、いきなり叩き起こされた上に実戦訓練かよ。面倒だなぁ……」
「仕方ないでしょ。今日は放課後も訓練のある日なんだから。もう2年生なんだからそれくらいでぶーぶー言わないでよね」
神瀞はいつも煕陋といがみ合ってばかりだ。
普段がしゃきっとしていない煕陋にもその責任があるのかも知れないが、神瀞の強気な口調も考え物なのも事実。彼女のそんな性格上、煕陋が日頃から「女らしくない」と言ってしまう所以でもある。零臥も式埜もそんな事は薄々感じているのだが、口に出してしまえば鉄拳制裁が来る事を知っているため、わざと控えているのだ。
しばらく進んだと思うと、いよいよ目的地へと到着した。
“第1VR訓練ルーム”――そう呼ばれるこの部屋では、軍事技術の実戦訓練を、ヴァーチャル世界に溶け込んで行うという講習や授業が開かれる。煕陋たちは、まさにその実戦訓練の講習にやってきていたのだった。
ここはちっぽけな島国、日本――東北地方の、秋田県の、国より特別発展支援区に選ばれた由利本荘区、その中の広大な田園風景の真ん中にある建物、“国立聖京学園高等部”。
煕陋たちも通うこの学校では、対テロ組織専用に戦士を養成している。彼らは戦車や自走砲を操る者たちではない。己の武器を手に戦場を駆け抜ける、1人1人が一騎当千の強者の少数精鋭部隊なのである。
今日もこの学校では、大勢の生徒が己の武才を武器に託し、国の未来を担っている……。




