第五話 先輩の依頼
入学式から一週間たった日の午後。気温は日に日に上昇し、旧棟と新棟を一階で繋ぐこの外廊下を抜けるのも億劫ではなくなってきた。
授業では二校の進度をすり合わせるために一年の復習程度の内容が続いている。そういえば藤は高校の雰囲気に慣れただろうか。家ではまったく問題ないと嘯いてはいるが果たしてどうだか。
横を見やるといつの間にかフキノトウが顔を出してきている。この地域では雪解けが遅いゆえ発芽はよそに比べ比較的遅い。
「やっと芽を出したのね。今年は例年にも増して遅いかしら。」
鈴の音のような声で御来屋まとめは新棟のある向こう岸から姿を現した。風というにはいくらか弱すぎる空気の流れは彼女のスカートをそよと揺らす。相変わらず見るだけで他者の心を強く揺り動かす佇まいである。しかし気のせいだろうか、今日はいつもの余裕が少しばかり薄れているように感じた。
「椿木くんは山菜って好き?この時期になるとうちの裏手の山にたくさん自生しているんだ。もしよければ今度食べにおいでよ。」
「先輩にお誘い頂けるなんて光栄の極みです。明斗と那月には僕の方から連絡しておきますよ。」
「あらわたし、椿木くんに、来てほしいって言ったのよ。」
「えっ。そ、それは。」
彼女は悪戯をうまく成功させた子供のようにはにかんだ。こんな表情もするのだと意外に感じる。
「とまあ、この話はまた今度にして。今日は榛彦くんにお願いがあって連絡したんだけど・・・。」
昨日の夜中に御来屋先輩から突然連絡がきたときには大いに困惑した。新生活のスタートダッシュに失敗した俺の友達欄には家族と明斗に那月、そしてネトゲで知り合った顔も知らないフレンドしか名前が載っていない。なんで藤は連絡先を交換してくれないの?
「明斗に伝えればそれで良かったんじゃないですか?」
「最初は私もそう思ったんだけどね。話の冒頭だけ伝えたら明斗が部長を通してほしいって言うものだからさ、それならって連絡先教えてもらっちゃった。ごめんね。」
明斗の行動を察するに彼女のお願いは個人ではなく部として聞くべきものであると感じたのだろう。そして知り合いのよしみでなし崩しに受諾することを善しとしなかった。
御来屋先輩も明斗のそういった律儀なところを知らないわけではないだろうから、その提案もすぐに受け入れたはずである。
「じゃあ話は近くの喫茶店でいいかしら?」
そういうと彼女は即座に身を翻し、昇降口のある方へと向かっていった。まだ着いていくとは言っていないのですが。私の事そんなひょいひょいとついていく軽い男だと思わないでね!今日はよろしくお願いします!
学校を出て少し歩くと駅周辺の商店街につく。数年前までは駅前に大きなショッピングモールが建てられており、シャッター商店街さながらだったのだが、地方の産業空洞化を懸念した国の施策により徐々に活気を取り戻してきている。
御来屋先輩は慣れた足取りで裏路地に入り、少し奥に進むとそこには感じのある洋風の喫茶店が建っていた。
中はマスターの趣味なのか、様々なアンティークが飾られており中々雰囲気があった。
この時間帯の客足はそこまで伸びていないようで、自分たちの他には壮年の男性が一人、サンドイッチを口に運んでいた。
「意外です、御来屋先輩はあまりこういうところに入らないイメージだったんですが。」
「そうかな?ここお気に入りなんだ、マスターのブレンドコーヒーが美味しくてね。・・・あとあんまり人が来ないから。」
御来屋先輩は軽く手で覆いこしょこしょと耳打ちをしてくる。本当にパーソナルエリアの近い女性だ。これが彼女の素らしく、勘違いする男は山ほどいるだろう。まあ僕はそんなこと、一切、まったくもってないんですが、グヘへ。
「ちょっと、あんた鼻の下伸ばし過ぎよ。それと先輩は榛彦に馴れ馴れし過ぎなんじゃないの?」
脛に強い痛みが走る。ロナウドのフリーキックかと勘違いするほどの衝撃を、並榎・リェータ・那月はその細い脚から生み出す。君、その右足で世界を獲ってみないか?
「那月さん、なんで貴方がここにいるのかな?」
席に着く段階で持って欲しかった疑問を先輩は俺の右隣から問う。
「今日のお願いってやつは元々うちの部に対してのものだったんでしょ?じゃあ私がこの場にいることは何の違和感もないわ。」
「いやいやそういうことじゃなくてね?なんでこの場にたどり着けたのかってことを先輩は聞きたいわけなんだよ。ていうかいつ那月はうちの部に入ったの?」
那月の行動に合点がいった、と隣の生徒会長は手をポンとたたく。その仕草があまりにかわいらしいため、少し顔がほころぶ。
「明斗ね。私が椿木くんを連れて密談をするならこの喫茶店しかないと貴方に教えたんでしょ。」
「なるほど、昔馴染みである明斗であれば御来屋先輩の行きつけの店を知っていてもおかしくない。そうだな?」
「ふっ、馬鹿ね。GPS発信機よ。」
してやったり、と那月は俺の前に置かれたコースターの上からコーヒーを奪い取り「ん、おいしい」と満足げに再度口に運ぶ。横に置いたバッグを調べると外ポケットに見覚えのない機械が入っていることに気づいた。カウンターにいるマスターと目が合った俺は、初対面ながらにして「もう一つ持っていくよ」という気遣いの意思を感じ取ることが出来た。
「それで話っていうのは?明斗が部長としての俺に話を回したということは、なかなかに厄介であるという点は間違いないと思うんですけど。」
マスターが改めて運んできてくれたオリジナルブレンドを口に含む。自分からすすんでブラックを選ぶことはないのだが、このコーヒーは酸味と苦味のバランスがまろやかさを生み初心者にもやさしい口あたりを生み出している。その育ちから庶民より舌が肥えている那月をうならせたのも納得がいくクオリティである。
お気に入りの店のコーヒーがいい印象を与えたことを俺の反応から察したのか、いつの間にか那月と席を入れ替えた御来屋先輩は満足げな表情を浮かべている。
「話に入る前にさ、私そもそもあなた達の部活動がどういうものかを知らないんだよね。名称は生徒会の資料には載っていたけれど、私事部っていったい何?」
御来屋先輩は当たり前の疑問をぶつける。だが聡明な彼女のことだ、その名前から大まかには予想はついているのだろう。
「高校生ぐらいにもなれば人には言えない悩みの一つや二つ存在しますよね。友人関係や恋模様、部活動や勉強、数えたらきりがありません。そんな悩み多き青少年たちが持っている私事に一緒に向き合う、というのがまあ私事部における大体の活動内容ですよ。」
「要するにうら若き青少年たちのお悩み相談をいつでも受けつけます!って感じかな。殊勝だねー、かっこいいね。なかなか出来ることじゃないよ。」
那月はいつの間にか注文していたパフェをおいしそうに頬張っている。話を聞かないなら本当になんで来たの?
「それじゃあ私の悩み事も私事部として聞いてもらえるのかな?」
「まあ内容にもよりますけど。・・・それで?学校ではよっぽど聞かれたくない話だからわざわざ遠くまで出てきたんでしょう。」
「君は話が早くて助かるよ。」
御来屋先輩はそういうと自分の鞄を手に取り、中から一枚の紙を取り出した。たたまれた紙を開くとそこには、
『御来屋まとめは今すぐ生徒会長選を辞退するべき』
との文字が印刷されてあった。
「三日前、学校の掲示板に貼り付けられていたらしくてね。昇降口を入ってすぐ曲がったところにあるアレさ。君たちも場所ぐらいはわかるよね?」
「見たことあるわ。部活動勧誘とか校内新聞が載っているやつね。」
合併し名を只野木学園と改めたこの高校は、もとより運動系、文化系問わず部活動が盛んな二校の併合であったため、あいも変わらず多くの部が存在している。先ほど御来屋先輩が言った掲示板には、この時期はそれら多数の歓迎ポスターが多く貼りだされていることが恒例となっている。
「そんな目立つところに貼りだしてあったんですか?なかなか大胆なやり口ですね。」
「ええ、案の定貼りだされていたことの報告は一般の生徒から来たんだ。噂の流布度を聞く限り結構長い間貼りだされていたみたいだね。」
大方、悪ふざけの類だと思った生徒たちが誰かに報告するまでもないと思ってそのままにしておいたのだろう。誰でも面倒ごとに自分から首を突っ込みたくないだろうし。
「でもこんなの軽い悪戯ですよね?御来屋先輩の人気を妬んだどこかの誰かがちょっと嫌がらせしてやろう、そのぐらいのモノだと思うんですけど。」
「私も最初はそう思ったんだけどね・・・。」
彼女はそういうと、膝に抱えたカバンの口をもう一度開き、先ほどと似たような紙を取り出す。
『再度警告する。御来屋まとめは生徒会長をやめるべきだ。警告を無視した場合の不利益は覚悟してもらう。』
「今日の朝、これが私の家のポストに投函されていたんだ。朝の配達物の確認は私の仕事だから家族には見られていないんだけどさ、軽い悪戯にしては少し悪質すぎると思わない?」
路地裏のストリートペイントのように、掲示板に貼られていた紙だけでみれば単純な悪戯であると処理してしまっても構わないだろう。
しかし、自宅にこの脅迫状まがいの紙が送られてきたとなれば話は変わってくる。もしかしたら家族に影響があるかもしれない、と少なからず状況が変化しているのであれば彼女の動揺も生じて然るべきである。
「つまり僕たちへのお願いっていうのはこの脅迫状を出した人物の特定ってことですか。」
「あーちがうちがう。私の願いはこの学校の生徒会長になること、それ以外にはないよ。今回の物騒な手紙はただの悪戯で、これから何も起こらないで済めばそれに越したことはないんだ。」
テーブルの上に置かれた右手に力が入っている。彼女としても犯人捜しのようなことはしたくないのだろう。
「こんなことで家族や先生方にも心配はかけたくないし。それに・・・。」
「それに?」
「アハハ、わたし実は友達ってあんまり多くないんだよね。だから明斗とその友人である君たちに頼らせてもらえるならそれが一番助かるんだ。」
御来屋先輩は俺と那月の分も合わせた会計を済ませると、足早に帰宅していった。那月には勝手に頼んだパフェぐらいは自分で払えといったが、話を聞いてくれたお礼だ、と気にも留めていなかった。
カタカタと、懐かしく聞き心地の良い音が聞こえてくる。幼いころ、父さんからはコーヒーの香りがした。今思えば焙煎から豆を挽くところまで自分で行っていたのだろう。今となっては台所の下棚奥深くに眠っている思い出だ。
「彼女の依頼を受ける気ならちゃんと説明した方がよかったと思うのだけど。」
「さて、何のことかね。」
おいしいコーヒーを淹れる店ではカレーも出来が良いらしいと聞いたことがある。メニュー表を開くと店長オリジナルカレーと書かれた品が載っている。気になる。晩御飯の担当が自分でなければここで食べて帰るところだった。
まあいい、またこの店に来る機会はそう間が空くことはないだろう。
もう冷えてしまったコーヒーの残りを流し込む。
三通目の脅迫状が御来屋先輩の家に届いたのは次の日の朝のことだった。