第二話 物語にかわいい妹は必須である
起き抜けの頭に差し込む日差しは眩しすぎる。今日はカーディガンはいらないだろうな、とゆっくりと思考を巡らせていく。昨日は少し寝つきが悪く、まだ布団の中に潜っていたい気分だった。しかし今日は入学式であり、胸躍る新たな高校生活の幕開けだ。無理やり体を引きはがし、階下に向かう。心なしか足取りが軽く感じるのは気のせいではないだろう。なんといっても今日から我が高校には共学となるのだから!
眠気眼をこすりながら階下に降りる。朝食作りは毎朝の日課だ。家族そろってのにぎやかな食卓はついぞ懐かしいものだった。ここ三年間、朝食のこの時間は一人である。
両親は研究者をしており世界各地を回っているため、家にとどまっている期間は少なかった。家を建てる際に子供達には都会の喧騒を感じさせたくないと考えこの田舎に居住地を構えたらしいが、アクセスの関係でなかなか帰りにくくなっているらしい。そんな両親を尊敬もしているのだが、ときにうら寂しい気分になることもまた本音ではある。まあそのおかげで料理の腕は上がっているんですけどね!いつでも綺麗なお姉さんの婿養子になる準備はできているんですがそこのところいかがでしょうか。
やれやれ、僕はハムとレタス、トマトで作った簡単なサンドウィッチを苦いコーヒーで流しこんだ。最近は村上〇樹の主人公の気分を味わうのが日課である。あとは薄幸の女性がいれば完璧である。うーんハードボイルドな朝。
「髪の毛とかセットしていった方がいいのか?」
慣れない朝の準備に手間取る。いつもより少し早く起きたはいいが、それでもかなり手間取っているようで、階段を勢いよく駆け下りる音が聞こえてくる。この騒々しい音が、家を出る時間を時計がなくとも教えてくれる。
「ちょっとお兄ちゃん、なんで起こしてくれなかったの!今日は早く起きるって言ったじゃん!」
少し肩を揺らしながら、家にいる貴重な家族の生き残りである我が妹、椿木 藤は洗面台の前にいる俺に悪態をついてきた。ちなみに朝食が毎朝一人なのはこの妹の寝起きがとても遅いからである。元々は隣の只野木女学園を志望していたのだが、今年の併合に伴い、晴れて俺と同じ高校に入学してきたというわけだ。
「げ、またサンドウィッチ?最近朝食いつもこれじゃん。コーヒーもすごく甘いし。」
「毎朝作ってもらってるくせに文句を言うんじゃないよ、あとモノローグではブラックってことになってるから甘いって言わないでください!」
「一体誰がお兄ちゃんのモノローグを聞いてるっていうのよ。とにかく、準備するからそこどいてよね。」
この傍若無人っぷりがこの年までまかり通ってきたというのだから恐ろしい。親の顔を見てみたいものザマス、きっと教養のない息子さんもいらっしゃるのザマスね!もう学校に行きましょうねスネちゃま!
「ちょっと待って!私まだ準備できてない!」
「学校では極力関係のない振りをしろと言ったのはそっちの方じゃないか。あれはどうしたあれは。」
「まだ学校じゃないからノーカンです!はいバリア!」
「今どき小学生でも使うか怪しいノーカンバリア理論を振りかざすんじゃねえよ、ていうかほんとに遅刻するから急いでね?」
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外は少し肌寒いくらいの気温であり、中に軽く羽織っていて良かったと改めて感じた。
「そういえば学校要項はしっかり読んだのかね?昇降口とか、教室の場所とかはさすがにわかると思うけど。」
「いや、全然?そもそも受験は只女の方で受けたからこっちの校舎はさっぱりだよ。」
「なんでそんなに自信満々なんだ・・・。」
あっけらかんとした彼女の表情は自信すら伺える。これで学校では品行方正、眉目秀麗で名が通っているらしい。しかしこの態度では本当は嘘なんじゃないのかとすら思えてくる。というか本当は嘘ってどっちがどっちかわからないな。どのくらいわからないかっていうと最近の新生児につける名前の読み方ぐらいわからない。でも最近はキラキラネームって落ち着いてきていて〇郎とか〇子とかが再燃してきているらしい。時代の満ち引きを読んだちび〇子まじぱねえ。
「あたし中学校も女子校だったじゃん?だからその、彼氏とか出来ちゃったりするのかな。」
「なぬ、そんなこと許しませんよ!どこぞの馬の骨ともわからん奴に妹は渡せません!」
「なんでお兄ちゃんが決めるのよ、まあそもそも作る気ないけど。」
「そうなの?」
そうはいっても共学では男どもは獣であってものけ者にできる環境ではない。かけっこが大好きなだけがフレンズではないんだよ!まあ、そもそも身内のひいき目無しでも藤は器量が良い。学校での猫かぶりもこの外面がうまく作用しているのではないかというのが俺の予想である。人の印象は見た目で決まるとはよく言われており、現に就職活動でも外見が良いと採用確率が上がると統計的に出ているらしい。でも仕方ないよね、外見は内面の一番外側ってそれアイドルの世界でも一番言われてるからね。
「公園の桜、まだ七分咲きだね。」
「関東の方ではもう桜見が大盛況らしいけど。こっちではまだもう少し先かな。」
「おはようご両人、兄妹仲良くご登校とはお熱いね。これは満開の桜が見られるのも近いかな。」
朝から溌溂とした挨拶だ。小学校からの幼馴染である洒脱男に、俺は振り返らず後ろ手で挨拶をした。
「お久しぶりです明斗さん、今年からまた同じ学校ですね。よろしくお願いします。それと・・・。」
「いやなに、今日は藤がどうしても一緒に登校したいっていうからさ。」
「ちょっと兄さん!でたらめなこと言わないでください!」
全く、素直じゃないぜ。ここで藤が敬語なのには理由があり、学校で謹厚として通っているため、長年一緒にいる相手でないとその言葉遣いすら変わってくるのだ。もちろんそのことは仲の良い人物も承知の上で、このことを理解して臨機に接しているのは学校では俺や明斗ぐらいのものである。あれ、じゃあなんでいま敬語なのん?
「ふふっ、あなた達とても仲が良いのね。」
その声を発砲音とした俺の首の振り返りは音を置き去りにした。身だしなみに拙いところはないか、これからの素敵な学園生活を送る上で、最適な返しは何だろうか、思考はコンマ一秒の中でさえ深みにありそれ以外の無駄な問答は減っていった。椿木榛彦、齢一六にして完全に羽化する。男は代わりに祈る時間が増えた。
「御来屋先輩、おはようございます。今日もこの咲き誇る桜のようにお綺麗ですね。」
「あら嬉しい、それとも満開には程遠いという意味として受け取ったほうがいいかしら?」
彼女は俺が至高の思考から引き出した口説き文句さえ一笑に付した。
「あれ、まとめさんと榛彦って知り合いなんだ。なんで?」
俺たちはおおよそ2週間前に冬の終わりの物理準備室で出会い、さらに言えば彼女の問答によってまんまと真帆先生に捕まってしまった。ああ、あの日は結局夜遅くまで真帆先生の作業に付き合わされたんだよな・・・。ほんと、教師の残業時間も大概にしたほうがいいんじゃないだろうか。
「俺のセリフだよ。なんで二人は一緒に登校してるんだ?」
「お家の都合上、昔からの知り合いだからね。家も近いし折角だから最初は一緒に行かないかって話になったんだ。」
「あら明斗君、女性の方から誘ったことを隠してくれるのは嬉しいけれど、気にしなくていいのよ。」
明斗と御来屋先輩の楽しそうな姿をみて、俺はすぐに偉丈夫の肩を腕で巻いた。これはしっかり問い詰めなければいけないだろう。先輩に聞かれないように背を向けると、
「なあ明斗くん?一緒にくるなら一言あってもいいんじゃないのかな?」
「なに怒ってるんだよ、二人に会ったのはたまたまなんだって。くだらないこと言ってないで、ハルヒコが今フォローしなきゃいけないのは藤ちゃんの方じゃないの?」
そうだった、藤は我が妹。友達の友達で、しかもあんな綺麗な先輩が突然現れたら借りてきた猫のようになるのはDNAから想像できる。しかしながら振り返ると自己紹介もとっくに済ませたのか、にこやかに談笑している藤と御来屋先輩の姿があった。ほう、コミュ強ですか。たいしたものですね。
「杞憂だったみたいだね。」
「ああ、藤が他の人の前では優等生だったの忘れるところだったぜ。」
「二人でなにをそんなに楽しそうに話しているのかしら?」
「いえ、なにも。それより先輩、見てくださいよ。クラス発表されているみたいですよ。」
ふと耳をすませば春に似つかわしい高らかな声々が学校の外へも響き渡っている。どうやら今年の春は少し黄色く光っているようだ。