第一話(2) 実際は少子化の影響のほうが強いらしい
窓の外に目をやると、外はまだ暗くなりきっておらず、朝方から降っていた雪もいまだ止んでいなかった。雪(ここでいうと結晶)はその特殊な構造から光を空気中で散乱させる。その性質から降雪量の多い地域は本来の日照時間よりも明るい時間帯が増加するらしい。つまりこの夕暮れに近い時間帯も本来であればとっくに暗くなっているということだ。
そんなくだらないことを考えつつも俺の足は一年生のクラスのある旧棟から、職員室のある新棟への渡り廊下に差し掛かる。勇む我が足は真帆先生から直々のご指名があった職員室・・・、ではなく全くの逆方向へ踵を返していた。いや、本当に今の今までは覚悟はしていたんです。でも怖かった・・・!!怒られたく、ない・・・!そもそもなんで怒られることを分かっていて自ら死地に向かわなければならないのだ。シンジ君だって着いて早々にあんな目に逢うと分かっていたらそもそもネルフなんぞに赴いていたわけがない。乗らないから、帰る。凡人には当然の考えだよね。
この只野木第一高校には多種多様、千差万別な部活動が存在している。それというのも、この学校の部活動申請システムはひどく単純なものであり、顧問を用意することが出来る限りはどんな内容でも部として申請できるのだ。魔術研究会などという怪しげな活動もあるのだがこれまた正式な部活動として認められている。これは只野木学園グループ全体の方針であり、なんでも自主自立の精神を養うためであるという。
そういうことで放課後の旧棟は部活動に打ち込む生徒たちでいつも騒がしいのだが、補講として春休みに休日登校している間は、どうやら人の多さによる喧騒は生まれていないようだ。新旧二棟をつなぐ渡り廊下は増築の都合上でいまだ二階の一本しか存在せず、現在は新棟の玄関のみ開放されていることから移動が少し面倒くさいことになっている。その旧棟二階の一番奥に存在するこの物理準備室は、本来であれば担当の松井先生のスペースとなるはずだが基本的にこの部屋が使われることはない。高齢であり、移動に都合の良い職員室にも席を持っているため、せいぜい物置ぐらいにしか思っていないだろう。そのおかげで部室として使用することが出来るのだが。私物を自由に保管でき、空いた時間や放課後はいつもここで過ごしているのだが、今ここで悠長に過ごしていられるほどに時間があるわけではない。真帆ちゃんに捕まらないうちにさっさと帰宅しないと。どうせ今日が終わったら入学式まで会うことはないし、職員室に行かなかった言い訳は何とでもなるかな。明斗に頼まれた戸締りを済ませたらさっさと帰ろう。いつまでも座っていたいソファから重い腰を上げた矢先、準備室の入り口からノック音が聞こえた。軽く、それでいて冷たい音が。
――明斗、ではないよな。部室に来るならわざわざ用事があるから先に出るなんて言わないだろうし。気のせいかとも思ったが、入り口のドアにはめ込まれている擦りガラスからは動く人影が見える。コツコツとすぐに鳴った再度の撞音は聞き間違いではないことをすぐに教えてくれた。この部屋が部活動の拠点として開かれている以上、不意の来訪者が現れることはおかしくはない。おかしくはないのだが・・・。
「あのー、誰かいませんか?」
ドア越しから聞こえてくるのは若い女性の声だった。この男子高校で女性の声を聴くことは珍しい。女性教師のそれを聞くかぐらいしか日常にはないだろう。だがドアの向こうの主はこの学校の教師のそれではない、気がする。
「すみませーん、・・・誰もいない?」
「あ、いま開けます。」
待たせてはいけないと立ち上がり、扉を開ける。そこには濡れ羽のような黒髪の女生徒が両手をふさげて立っていた。息を呑むとはこのことだろうか。それほどの存在感を彼女は有していた。美しいという形容詞だけでは一意に言い表せない、そんな存在感が。
「あの、ちょっとよけてもらってもいいかな?この荷物、結構重くてさ。」
「ハッ!すみません、すこし意識が飛んでいたもので。」
「あはは、なにそれおかしい。」
上の口が開いた段ボールを両の手で抱えたまま、彼女は準備室の中に入ってきた。荷物を机の上に置くとうーん、と気伸びをし、本来は来客用のソファに座り一息。携帯を開き何か短い文章をしたためると、段ボールの中のものを机の上に広げ始めた。一連の所作には、同年代かと見間違うほどの気品が感じられる。その間、俺は何をしていたかというと、感謝。感謝である。彼女の一人も出来たことのない、しがない男子校の一生徒の身分としては、同い年の女生徒と日常会話をするこの類まれなる奇跡に静かに、そして深く感謝をしていた。奇跡も、魔法もあるんだよ!
彼女がせっせと何かの作業をしている間に、俺は一つのことを考えていた。彼女は何者なのか、である。男子校の校舎に教師や事務員など女性は少なからずおれど、女生徒がいることはない。つまり有り体に言えば異分子的存在である。そんな彼女が当たり前のようにここにいる理由が少し気になった。そんな思索の念を感じたのかどうかはわからないが、彼女は一人で処理しきるとは到底思えないほど大量の経理書類から、ちらと腕時計に目をやり、続いてこちらへと視線を向けた。
「君、名前はなんていうの?」
話しかけられた!女の子から話しかけられて不愛想に返事をするのは男が廃るというものだ。同年代の女子と会話するなんていつぶりだろう。動揺を見せないように慎重に、慎重にだ・・・。
「ごほん、はじめまして。俺は椿木 榛彦といいます。一年生、いやもう二年生って扱いになるのか?」
同年代と喋る経験はここ1年間ないが、こういった事態を想定し常に女性と話すシミュレーションは重ねてきました。綾辻さん、森島先輩、俺に力を貸してくれ。
「はい、はじめまして。私、初対面での礼儀がしっかりしている男の子は好きだな。」
「す、好き!?そんな突然告白されても、どんなルートにもこんなの無かかかk。」
「うーん、おかしな人と関わっちゃったかな?」
この短期間に二度も無様な姿を露呈してしまった。話の継ぎ目を繕うように話をつなげる。
「申し訳ない、少し動揺してしまいまして。ごほん。それで君は?」
彼女は顎に手を当て、少し不自然なくらいに考え込んだ。
「ここで自己紹介をしてもいいんだけどさ・・・。少しクイズをしようか。」
「クイズ?」
うん、と眼前の彼女は頷く。先ほどまで感じていた無造作とも感じられる視線には、いつの間にか好奇心ともとれるような感情が見て取れることに気づく。
「思考実験とでもいうのかな。ねえ、突然だけど私は何者だと思う?」
質問を質問で返すんじゃない!と、そう言ってやりたい意気など、彼女の楽しげな笑顔を見た折にはすぐに失せてしまった。
「君が想像しているような面白い話はできないとは思うけど・・・。」
「面白いか面白くないかとかは気にしなくてもいいよ。さあさあ、君の考えを聞かせてよ。」
他者への関心を積極的には、あるいは全く持ちえなさそうな印象を受ける涼しげな目をした謎の美少女は、興味津々な面持ちでこちらを見つめてくる。先ほどまでせわしなく動いていた手は、完全にこちらに意識を移したのかぴたりと止まっていた。
面白い話は出来ないとは言ったけれど、ここで何か印象に残る推察ができないようであれば、今後の高校生活でも女子との円滑なコミュニケーションは取れない、ような気がしないでもない。ましてやこんな美人が相手だ、予行演習に願ってもない相手である。
一つ呼吸を落とし、周囲を見渡す。なに、いつもとやっていることはさして変わらない。変わっているとしたら、すり替っているとしたらその目的だけだ。