言葉を学ぶ
夜になるまで、ラルフはタリアから言葉を教わっていた。
ひとまず分かったのは、それほど難しい言語体系をしていないということ。それぞれの単語を含めた言葉だけを喋ることで、あとはニュアンスでどう言っているか分かる、といったところだ。
例えば走るという言葉であれば、強く「ヌル!」と言えば「走れ!」という命令形であり、「イ・ヌル」ならば「私が走る」ということになる。そのあたりの区別は、一応理解することができた。
もっとも、まだ理解できない単語も多いため、完全にタリアの言葉が解読できるわけではにないけれど。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十」
「ホ! セイ! レヴムン・ルフレッドノゥ!」
指を一つずつ折って、教わったばかりの十までの数字を数えてみる。
字を書けないラルフは、帝国の共通語も繰り返し繰り返し自分で言って覚えたのだ。完全に一から言語を学ぶことになるとは思っていなかったが、とりあえず一つ一つの単語を繰り返していけば、そのうち覚えることだろう。
そしてまた、新しい単語が出てきた。
「レヴムン・ルフレッドノゥ……? 言葉、何?」
「レヴムン……アー……ネオ、オゥツ、エールフト……」
「あー、数ってことか? いや、数えるってことになるのか?」
「ルフレッドノゥ……オス・フクム。エシァルプ。コ?」
「……ぜんっぜん分かんねぇ」
名詞については、大体分かってきた。果物ならばティウルフ、肉ならばタェム、人ならばナムフなど、形で説明できるものは教えてもらった。それと同じく、狼ならばフロゥ、猪ならばアォブなど、獣はそれぞれの種類によって異なる。
だけれど、これが形のないものになると、その難易度が跳ね上がるのだ。間に通訳がいて教えてもらうのではなく、完全に言葉の通じない相手から言語を教わるのが、これほど難しいとは思っていなかった。
ラルフはそれでも、どうにかタリアの動きなどを見ながら、理解できるように努める。
「ルフレッドノゥ……ディク・ナック。デフ・エコルツ」
「ディク……確か、子供だったな。ナックは分からんけど……デフは頭……」
「エコルツ。ホ! ホ!」
タリアがそう「ホ!」と繰り返しながら、何かを撫でるような仕草をする。
その仕草に、ようやくラルフは頷いた。
「なるほど。エコルツは撫でるってことか。デフ・エコルツは頭を撫でる……子供……あー、もしかしてルフレッドノゥってのは、褒めるってことか?」
「ルフレッドノゥ、ホ! ホ!」
「あー……じゃあ、こういうことか? 子供、肉、狩る……褒める?」
「セイ! ディク・タェム・テグ、ルフレッドノゥ!」
「あー……じゃあつまり、さっきのルフレッドノゥはあれか。俺が上手く数を言えたことを、タリアが褒めてくれてたわけだ」
はー、と大きく嘆息。
もしもタリアがいなければ、こんな言語体系など絶対に分からなかっただろう。そして、あまり頭がいいわけではないラルフは、一つ単語を覚えると一つ溢れていくのが分かる。ひとまず、使用頻度の高いものだけでも覚えておけばいいか――そう、半ば諦めの気持ちだ。
ぱちぱちと枝の爆ぜる音がする焚き火――そこに、適宜枯れ枝を追加しながら、さらにラルフは勉強を続けた。
「あー……タリア……子供、大人、たくさん?」
「ディク・トルダ・ィナム……エビルト? ユリマフ?」
「エビルト……? 多分、どっちかは部族って意味だと思うんだが……エビルトかな。タリア、部族、何?」
「エビルト? ツサェ・ノイル・エビルト。ディク・ィナム」
「ツサェ・ノイル……? それが部族の名前ってことか? 子供が大勢ってことは……部族、大人、たくさん?」
「オン。トルダ・ウェフ。ネット・ルォフ。イ・トルダ」
「待て待て待て……ええと」
頭の中を整理して、覚えている単語をひたすら引っ張り出す。
「大人、少ない? ネット・ルォフは十と四だから、十四人しかいないってことか。イは私だから……え、タリアって大人なのか?」
「ィナム・フロゥ・エビルト・モック。ィナム・トルダ・フロゥ・ルリク」
「ィナムが多く、フロゥは狼、エビルトが部族……つまり……大勢の狼が部族を襲った? それで大人が大勢殺された……? ルリク……は、ブシュッ、ギャー?」
「セイ……」
自分の首を切る仕草をすると、タリアが悲しげに頷いた。
どうやら、予想と合っていたらしい。そして、「セイ」とは肯定の意味だ。つまり、狼の群れに襲われて部族の大人は大勢死んだということだ。
そして、同時に理解する。
この島において、人間は王ではない。常に野生動物に怯えて暮らす、捕食される側だということだ。
「――ッ!!」
「ん……?」
「フロゥ!! ィナム!」
「狼、たくさん……? あー、なるほど。確かに囲まれてるな」
ラルフは気付かなかったが、既に周りを囲まれているようだ。
よく耳を澄ませば、「グルル……」という唸り声が聞こえてくるし、暗い中に爛々と輝く双眸が幾つも見える。どうやら日中では不利と考えて、夜陰に紛れて襲いかかってこようとしているらしい。
だが、ラルフとて何の準備もしていなかったわけではない。
血の臭いに誘われて、何かは来るだろうと思っていたのだ。そして、そのための武器も調達した。
「まぁ、狼が何匹掛かってきたところで、敵じゃねぇよ」
ラルフが両腕に持つのは、猪の骨。
人間よりも遥かに巨大な猪は、肉も大味だったけれど同じく、骨も太く固かった。その肋骨をへし折り、並べて乾かしたものである。その中でも、持ち手の部分がしっくりくるものを厳選した。先端の部分も、タリアが持っていた石器で削り、鋭くしてある。
気配だけで察して、十数匹の狼が周りを囲んでいるのが分かった。
「ラ、ラルフ……! エシゥ・フロゥ! エシゥ・フロゥ!」
「おう。待ってろ、タリア。俺、狼、たくさん、殺す」
「ラルフ!」
狼の群れが、恐らくリーダーだろう狼の吠える声と共に、一斉に襲いかかってくる。
ラルフはそんな群れに対し、骨の槍を構えたままでまず動かない。それと共に、自分の周囲に領域を張る。
領域――ラルフは勝手にそう呼んでいるけれど、実際の呼び方は分からない。その領域が、ラルフが一手で攻撃できる距離だ。気配を読み、動きを察知し、領域に入ってきた瞬間に切り捨てる――戦場では常に、そう気を張って生きてきた。
「ふんっ!」
領域へと一歩入ってきた狼――それを、まず槍で一突き。
それと同時に、二ヶ所に一気に侵入してきた狼たちを、左右それぞれの槍で突く。その隙を見て襲いかかってきた狼を、前蹴りで沈める。
無駄のない、ただ敵を殺すための動き。
タリアが目を見開きながら、まるで舞いを踊っているかのように動くラルフと、そのラルフの一撃で散っていく狼の群れを見ていた。
これが、『帝国の黒い悪魔』と囁かれた男が、たった一人で敵陣を葬ることのできた技である。
「うらぁっ!!」
最後一匹――他の狼よりも一回り大きいそれを、正面から槍で突き刺す。
それで、ラルフの死を奏でた舞踏が終わった。
狼からすれば、十数匹で一斉に襲いかかって怯まない人間など、今までいなかったのだろう。周囲に散る狼たちの屍と、既に返り血で黒く染まった囚人服。狼の血で染まった顔を、乱暴に袖で拭いて。
よいしょ、と再びラルフは座った。まるで、何事もなかったかのように。
「あー……ええと、次は何を聞くかな。木とかは……」
「ラルフ……?」
「ん? どうした、タリア」
ラルフの周囲に転がる、狼の屍を見て。
どこか恐怖に染まったような表情で、タリアが。
「ラルフ……ゥオィ、アウリアリア・ドグ……?」
「……?」
残念ながら、後半の言葉が何なのかラルフには分からなかった。
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