意思疎通
ひとまず、手早く猪を処理し、内臓を抜いて土に埋めた。
元々は槍だったナイフの切れ味は、残念ながらあまり良くなかった。まぁ、それでもまだ切ることができるだけましだ、とラルフは諦め半分で解体を続け、一部の肉をまず切り出した。
それを薄く切り、木の枝の先端に刺し、火からやや離れた位置で炙る。
次第に肉へと火が通っていき、ぽたぽたと油が滴った。それを口に入れ、その美味さに悶絶する。限界に達した空腹は、塩すらない焼いた肉ですら甘露のように感じた。
次の肉が焼けるまでに、さらにラルフは肉を薄切りにし、枝に突き刺していく。それを繰り返し、まず自分の腹を満たした。
「ふぅ……さすがに、食べ過ぎたか」
巨大な猪――その肉は、まだ大量に残っている状態だ。そもそもラルフは、それほど大食漢というわけではない。むしろ、軍でさもしい食事ばかりを与えられていたこともあり、小食な方だと言っていいだろう。脂がたっぷり含まれている猪の肉は、さすがに大量には食べられなかった。
せめて塩があれば干し肉にできるのに――そう思うけれど、ないものねだりをしても仕方ない。あとはどうにか、燻製にするような手段でもあればいいのだが、そのあたりの知識をラルフは持ち合わせていなかった。
まぁ、とりあえず焼いてさえおけば、一晩くらいは保つだろう――そう思いながら、猪の薄切り肉を枝に突き刺し、何本か焼いておくことにする。
「……」
ごくり、と喉の鳴る音。
それは当然ながら、焚き火からやや離れた位置にいる少女だ。ラルフが肉を食べる姿をじっと見ながら、時折喉を鳴らしている。
足が折れてからどのくらい経っているのか分からないが、腹は減っているのだろう。
「あー……食うか?」
「ッ!! イ・タナゥ・タェム!」
「何言ってるのかは分かんねぇけど……まぁ、同じ人間だし、食べるものは一緒だよな?」
ひょいっ、と焼けた肉の刺さった枝――それを手に取り、少女に差し出す。
相変わらず槍の穂先をこちらに向けたままで警戒していたが、恐る恐る少女はラルフの手から肉の刺さった枝を受け取り、そのままかぶりついた。
そんな少女を見て、思わずラルフは笑みを浮かべる。こんな風に、誰かと食事を共にするのも久々だったからだ。
戦地での野営でも、ラルフはほとんど誰かと食事を共にしなかった。過酷な最前線で、ラルフ以外に生き残りが誰もいない戦場ばかりを渡り歩いてきたがゆえに、ラルフには『味方殺し』の悪名も轟いていたのだ。そんなラルフと仲良くしようと思うような輩もいなかった。
食べ終わり、手についた脂を舐め取る少女に対して、ラルフは次の肉を与える。嬉しそうに少女はその肉にもかぶりつき、次々と腹の中におさめていった。
結局、ラルフの切り出した分の肉では足りず、新たに切り出すことになってしまった。
「はー……しかし、ここ、どこなんだ……?」
「……?」
食料を与えたためか、少女は少しばかり警戒を解いたらしく、槍を置いている。代わりに、腰につけてあった固い果実の実から、水を飲んでいた。恐らく、果実の実をそのまま水筒の代わりにしているのだろう。
ラルフは、手元の石器を見る。
細かい部分まで削られ、鋭さを見せる槍の穂先――その加工技術は、それなりに高い。そして少女が胸元と腰に布を巻いていることから、完全な野生児というわけでもあるまい。つまり、何かしらの集団はこの島に存在しているのだと思う。
「あー……ええと、俺は、ラルフ。分かるか? 俺、ラルフ」
「……?」
「ラルフ。名前。ラルフ、だ」
「ラルフ? ホ! エマン? ゥオィ・エマン・ラルフ?」
「そう、ラルフ」
「セイ! ラルフ!」
少女が、嬉しそうにそう言ってくる。
相変わらず何を言っているのかは分からないが、どうやら通じたらしい。ラルフの方を指差しながら、ちゃんと「ラルフ!」と発音している。
どうやら、無茶苦茶な言葉を喋っているわけではなく、ちゃんとした言語体系があるらしい。「ゥオィ」とかは何度も聞いたし。そして、言語があるということは、この島に人間の集団がいることもまた確定だ。もしも少女一人しかいなければ、言語など何の意味もないのだから。
「えーと……きみは、名前は?」
「……? エマン? イ・エマン?」
「ああ。多分そう」
「タリア! イ・エマン・タリア!」
「タリア……が名前、ってことか?」
一応、指を差してタリア、と呼んでみる。すると、少女が大きく頷いた。
どうやら、名前ということは認識してくれたらしい。ラルフはそれに安心して、ほっと息を吐いた。
「ええと……タリアには、仲間は、いるのか?」
「……? イッロス……イ・トン・ドナツスレドヌ。ゥオィ・ドロゥ」
「いや、だから、仲間とか……ええと、家族とか、部族とか、そういうの。仲間」
「ナマカ? ゥオィ・エビルト? エビルト・ナマカ?」
「あー……分かんねぇかぁ」
腕を組む。どうすれば、この少女、タリアの言葉が理解できるか――考えるけれど、答えが出ない。
そして同時に、思う。
ラルフは、流刑に処された結果、この島にいる。そして、今後の生活はこの島で送ることになるのだ。つまり、タリアのいる部族――のようなものがあれば、今後付き合っていかなければならない相手だということになる。
ならば、こうして動けない状態のタリア――彼女を保護する形で、言葉を教えてもらえばいいんじゃないか、と。
足が治るまで、言葉を教えてもらう代わりに、ラルフは彼女に食料と水と安全を提供する。これは、タリアにとっても悪くない提案なのではなかろうか。
もっとも、そう提案する相手に言葉が通じないのだけれど。
「よし、決めた」
「……?」
「ちょっと、俺に言葉を教えてくれ。今後の人生、暮らしていかなきゃいけない島だ。えーと……言葉、俺、教える。オーケー?」
「……? ドロゥ?」
口から声を出す仕草をしてみるが、あまり通じた様子はない。
まぁ、どちらにせよ足が折れているタリアは、一日二日で動ける状態でもないだろう。ラルフの方から幾つかの単語を聞いて、それを教えてもらう形にすればいいか。
「まぁ、まだ日も高いし、時間はたくさんある。まずは……そうだな。これ、名前、何?」
「……タェム?」
俺が、タリアに示すのは木の枝――その先に刺してある、肉だ。
それを指差すと共に、タリアが発するのは『タェム』。つまり、彼女らの言葉で肉のことは『タェム』というのだろう。
「これは?」
もぐっ、と口の中に肉を入れて、噛む。
タリアはそんな俺の様子を見て、小さく呟いた。
「……タナゥ・タェム。ゥオィ・タナゥ・タェム」
「ちょ、ちょっと待て。タェムが肉だろ。つまり、食べるって仕草がタナゥ? 肉を食べる、がタナゥ・タェム……ええと、ゥオィ、何? ゥオィ」
「ゥオィ?」
タリアは、そんなラルフの質問に、顎に手をやって。
それから、ラルフの方を指差した。
「ゥオィ」
「……俺?」
そしてタリアは、自分を指差して。
「イ」
「イ……? あー……もしかして、ゥオィは二人称か? つまり、お前ってことか。あ、なるほど。ということはゥオィ・タナゥ・タェム……お前が肉を食べる、ってなるのか。じゃあ……イが自分のことを示すから」
別の肉を、ラルフは手に取り。
再び、口の中に入れて頬張る。ラルフの解読が正しければ、この仕草は。
「イ・タナゥ・タェム」
「ホ! セイ! ゥオィ・タナゥ・タェム!」
タリアの、嬉しそうなそんな声に。
ラルフは笑みを浮かべ、ようやくタリアと意思疎通ができたことを喜んだ。
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