オオカミ退治
「ゥオィ・イ・タェ!? ツナゥ・タフゥ!」
「……」
興奮しているように、ラルフへ向けて槍を構える少女。
今にも突き刺してきそうな勢いではあるけれど、その手が震えているのが分かる。そして、本来ならば関節の存在しない場所が折れ曲がっている足は、彼女がそれ以上動けないことも示している。
頬を流れている脂汗は、痛みを我慢しているからだろう。
せめて、言葉が通じるといいのだが――そう思いながら、ラルフは溜息を吐き。
そして、鋭い眼差しで周囲を見た。
「ちっ……もう集まってきたかよ」
グルル……と唸る声が、周囲一帯から発せられる。
どうにか捌いて持っていけば回避できるかと思っていたが、野生の鼻はそれほど甘くなかったらしい。周囲を、血の臭いに集まってきた狼に囲まれている。
どれも大きさは並の狼であるため、魔物化している個体がいないことは、幸いと言っていいのだろうが――。
「フロゥ! ユナム!?」
少女もまた、周りを取り囲む狼の群れに気付いたらしい。
野生の獣は、血の臭いに敏感なのだ。そして思った以上に早く現れたということは、この近くに、そもそも群れがいたのかもしれない。
喉の渇きは満たされたが、ラルフの腹はまだ満たされていない。そして、ここで狼の群れから逃げるということは、ラルフの狩った猪――その戦利品が、そのまま狼に奪われるということにもなる。
ちっ、とラルフは舌打ちを一つ。
そして、構えた。
「来いよ、ワンコロども。俺の肉は渡さねぇ」
「グルル……」
視認できる数だけで、八匹。
比べてこちらは、武器の一つもない。石斧は折れてしまったし、槍は少女に返してしまった。そして、槍の穂先はラルフを向いているのだ。
つまり、武器の一つもない状態で、八匹以上いる狼の相手をするということだ。
「グオオッ!!」
先走った狼の一匹が、大きく顎を開いてラルフへと襲いかかってくる。
ラルフはそれを冷静に判断しながら、身を躱して拳を振るった。狼を避けるように腰の回転と共に繰り出された拳が、思い切り狼の首を打ち抜く。
めしっ、と骨を折る嫌な感触が、拳の先で分かった。そして弾き飛ばされた狼が、やや離れた位置でぴくぴくと痙攣し、やがて動かなくなる。
ラルフは十五年、最前線で敵兵と戦ってきた。
当然、武器を失ったことだって一度や二度ではない。そして、そのたびにラルフは次の武器を得るまで、素手で戦い続けなければならなかった。拳だけで倒した敵兵の数など、それこそ数知れないほどだ。
ゆえに、たかが先走って本能のままに襲いかかってきた狼など、ものの数ではない。
「……」
狼からすれば、味方が一匹殺された状態だ。少し警戒しているのか、慎重に距離を取りながらも、しかしラルフの周囲を取り囲んでいく。
あくまで、一匹が先走ったから殺されただけ――そう、甘い希望を抱いているのだろう。数匹で一斉に襲いかかれば、武器を持たない人間程度は相手にもならない、と。
野生がゆえの傲慢か。狼はラルフへと、三方から一斉に襲いかかる。
右と左と前――その三方からやってきた狼に対しても、ラルフは慌てず落ち着いて。
「ふんっ!!」
まず、足元の土を前から来る狼にぶつけ、視界を奪う。
そのまま左の狼の下顎を拳で打ち抜き、返す足で右の狼を蹴り飛ばす。そして前の狼へと鋭い突きを放ち、それぞれを沈めた。
一瞬で、三匹の狼を始末する早業。
ラルフにとっては、ただ肉の数が増えただけのことだ。
「グルル……」
「まだ来るのか?」
「……」
狼たちが、じわじわと後退していくのが分かる。
それなりの知恵を持つ狼は、理解したのだろう。目の前に居る人間――ラルフが、警戒すべき対象であると。
一匹をあっさり殺され、三匹でかかっても即座に沈められ、残る狼は四匹。
野生であるがゆえに、その判断は早い。狼四匹は踵を返して、そのまま森の奥へと去っていった。
ふぅ、と小さく息を吐く。
全員がラルフに向かってきてくれたから、助かった。もしも少女を守りながらだと、怪我くらいはしていたかもしれない。
「ア、ア……」
しかし、そんな少女の方も恐怖にか、表情を歪めたままでラルフを見ていた。
圧倒的な強さを持つ男が、足の折れた自分の前に立っているのだ。それは、少なからず恐怖を抱く理由にはなるだろう。
ラルフは小さく溜息を吐いて、折れている少女の足に触れた。それと共に「ウグッ!」と痛みに表情を歪め、目に怒りを浮かべると共に槍を突いてくる。
その槍をあっさり受け止めて、ラルフは少し離れた位置に投げた。
「ヒッ!」
「別に、取って食ったりしねぇよ。落ち着け」
「タフゥ! イ・タェ!?」
「だから落ち着けって」
少女の足を、本来あるべき位置へとまず戻す。
その間も、ラルフを叩く手は止まらなかった。まぁ、それなりに鍛えているらしい体つきではあるけれど、若い少女に殴られて痛いほど、ラルフは弱くない。
近くに落ちている、それなりに頑丈そうな枝――それを添え木代わりにして少女の足に、草の蔓で巻き付ける。綺麗に折れているならば、これで回復してくれるはずだ。
少女もようやくそこで、ラルフが治療を行っていることが分かったのだろう。
不思議そうに自分の折れた足と、ラルフを交互に見ている。
「ええと、俺は敵じゃない。つっても分かんねぇよな……」
「ィフゥ……イ・プレフ……?」
「まぁ、また狼が襲ってきたら、あんた死ぬだろうし」
「……?」
恐らく、狼以外にも血の臭いを嗅ぎつけた獣はいるだろう。
猪の死体がここにあり、現在も血を噴き出しており、それが風に乗って流れる以上、それは仕方ないことだ。
ここから早々に離れてもいいのだが、問題はここで足の折れているこの少女である。
血の臭いに集まった獣の前で、抵抗することもできずに食われる――そんな未来が、間違いなく訪れるだろう。
「ナイフとかありゃいいんだが……お、そういえばこの槍の先、結構鋭いな。これなら肉切れるか……?」
先程、少女から取り上げた槍――その先端に備えられているのは、石でできた穂先だ。
随分上手いこと加工しているのか、紙くらいなら切れそうなくらいに鋭い。
わざわざ槍にするために、しなりのある木に縛り付けてあるところを、申し訳ないが。
「よっ、と」
「タフゥ!? イ・ニレヴァジ!」
ぼきんっ、とへし折る。
これで、丁度いいナイフの完成だ。あとは、猪を解体して肉を取り出して、焼いて食うだけである。
少女から離れた位置で、適当な枯れ枝を集め、一つの山にする。とりあえず、野生動物ならば火を熾しておけば近づいてこないだろうし、猪の肉を焼くための火が必要だ。枯れ枝の中に枯れ草を敷き詰めて、そこで指先に魔力を集める。
「《着火》」
「ィフゥ!?」
指先から、僅かな火が出る。初歩の初歩である魔術の一つ――《着火》だ。
あくまで、火種を生み出すだけの魔術であり、行軍する兵士は全員が覚えさせられる。もっとも、ラルフが使える魔術はこの《着火》だけだ。雑兵に他の魔術など教えてくれなかったから。
ラルフは枯れ草に息を吐き、火の勢いを強め、そして枝の方に火が移ってくる。あとは、繰り返し枯れ枝を焼べていけば、焚き火が消えることはないだろう。
「ィフゥ……ゥオィ・エリフ・ロルトノック……?」
しかし、そんなラルフの所業に対して、目を見開いて少女は驚いた様子で。
まるで、確認するかのように、ラルフへと恐る恐る、尋ねてきた。
「ゥオィ……レトスノーム……?」
当然その言葉の意味は、ラルフには分からなかった。
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