宴の終わり
飲んで騒いでの宴は、夜もとっぷりと更け、月が中天に届くまで続けられた。
ラルフは宴の間、何度となく運んでこられたエソン・グノル――象の肉を、ひたすら食べていた。だが、元々それほど食欲が旺盛というわけではなく、粗食で育ったラルフからすれば、山盛りの肉はなかなか全部食べることができないというのが本音である。
仕方なく、ある程度食べて水を飲み、あとは少しずつ少しずつ切って口に入れて咀嚼し、水で流し込む作業だった。
「ラルフ、腹が減っていないのか?
あまり食べていない」
「あー……ええと。大丈夫、タリア」
「本当に?
肉を食べて、戦士は力にする。
肉を食べなければ、獣を狩る力が出ない」
「いや、マジで腹一杯なんだが……」
目の前には、まだエソン・グノルの肉がたっぷりと残っている。
そして、部族の人間たちも思い思いに食べて飲んで騒いでいる。ラルフからすれば、こういう平和な景色を見ているだけで十分だった。
そもそも、ラルフの人生において、戦場にいた時間の方が圧倒的に長いのだ。時折帝都に戻ることはあっても、間を置かずすぐに最前線に送られた。だから、こうしてのんびりと過ごすことのできる時間も、ほとんどなかったのだ。
流刑に処された後も、武器も何もない状態で密林の中で過ごすことになってしまって、心が安まる暇もなかったし。
くぁ、と思わず欠伸が出てくる。
「えーと……タリア。明日、白い肌の一族、行く」
「……白い肌の一族行って、何する?」
「タフゥ・エブ……何をする、か。あー……交換、見る。葉と実、見る」
「葉と実? ああ、なるほど。
どのような食べ物を交換しているのか、見てみたいということ?
てっきり、私はラルフが白い肌の一族の族長になるのかと、驚いた」
「相変わらず早いな……まぁ、分かってくれたみたいだけど」
せめて間で、通訳みたいな風に説明してくれる人がいてくれると、助かるのだが。
もし、白い肌の一族――彼らの出自がラルフと同じであれば、そういった通訳の役割も担ってくれるかもしれない。通訳とまではいかずとも、せめて言葉を教えてくれると助かる。
どうしてもタリアとの会話は、身振り手振りで説明できるものでなければ理解できないのだ。
「宴は楽しんどるかね?」
ラルフがそう考えていると、唐突に老婆が割り込んできた。
先程、ラルフに羽根飾りを渡してきた老婆だ。後からタリアに聞いた話では、彼女はテフポルプ・ジャリエというらしい。テフポルプとジャリエのどちらが名前なのかは分からないけれど。
とりあえず、ラルフもタリアが呼んでいるようにレドレ、と呼んだのでいいだろう。意味は未だに分からないけれど、族長とかそういう意味なのだと勝手に思っている。
「長老!
私、鼻長の肉を初めて食べた!
すごく美味しい!」
「それはあたしもさ。
鼻長の群れを狩ってくれた族長に、心から感謝しているよ」
「勿論だ! ラルフは私の良人だからな!」
「ただ」
ぎろり、とレドレがタリアを睨み付ける。
「タリア、他の女が近付くのを、妨害するのはやめな。
お前が正妻に決まったわけじゃない。
部族の女、全員がラルフに子種を授かる権利がある。
部族の女は、強い男の子を求める。
強い子を産み育むのが、部族の女の仕事だ」
「うっ……で、でも、ラルフ、タリア、いいって言った!」
「ああ、だったらタリアも愛してもらうといい。
だが、それは他の女も一緒だ。
ラルフの口から、タリア以外駄目だと言うなら、それも認めよう」
「本当だな!」
レドレの言葉は、やはり癖が強く全く聞き取れない。
タリアの言葉はそれなりに分かるけれど、それでもレドレと話していると早くなるため、半分も理解できないというのが本音だ。先の言葉も、「いい」「言った」くらいは分かったけれど、全体的には分からない。
だが、きっ、とタリアがラルフを見てくる。
「ラルフ!」
「ん……あ、ああ?」
「私がこれから言うこと、もう一度言って。ラルフ、タリア以外駄目」
「は……?」
「言って!」
「タリア、お前な……それはさすがに、見過ごせんよ。
言葉がろくに分からん状態だ。
タリアから無理やり言わされたことまで、認めるわけがないだろうが」
「うっ……」
何故か怒られているタリア。
泣きそうな顔でラルフを見て、それから顔を伏せる。そういう仕草がどこかおかしくて、ラルフはつい笑みを浮かべてしまった。
「まぁ、いい。
今日はお前の妨害が入ったが、明日からは違う。
部族の女が、族長の家に次々と来るだろうね」
「あ、明日は、ラルフいない!
ラルフは出かける!」
「出かけるだって?
狩りに行く必要はないよ。
鼻長の肉が、それこそ腐るほどある。
燻して干せば、しばらく保つよ)」
「違う! ラルフ、白い肌の一族のところに行く!」
「白い肌の一族……?」
癖の強いレドレの言葉――しかし、最後の言葉は分かった。
白い肌の一族。
そう呟いたレドレが、訝しげに眉を寄せてラルフの方を見てきた。
「そりゃ、丁度いいね。
鼻長の肉が大量にある。
折角行くなら、ついでに持っていきな。
こっちで食いきれないくらい大量にあるから、対価はいらないって伝えな」
「葉と実を、求めないのか?」
「たまには、隣人に恵みを与えてもいいだろうよ。
それに、白い肌の一族はラルフの同郷かもしれん。
手土産があった方が、話が進みやすいだろう。
元々ラルフの狩った肉だ。
少しくらい、隣人に恵むのもアウリアリア神の導きだよ」
「わかった!」
「ただし」
レドレは、そう呟いてから、真剣な眼差しでラルフを見る。
腰が曲がり、顔には深い皺が刻まれている老婆でありながら、その視線で人が射殺せそうなほどに、鋭く。
「ラルフ。あんたは、あたしらの族長だ。
いくら故郷が同じだからといって、東の獅子一族を捨てるような真似はするんじゃないよ。
必ず帰っておいで」
「……」
前半の言葉は分からない。
だけれど、最後だけは分かった。
「必ず帰ってこい」
戦場に送り出されるとき、誰にも言われなかったその言葉を。
「……ああ。俺、帰る」
「なら、いい。
宴は、そろそろお開きだ。
家に帰って休むといいよ」
「ラルフ、家、行く! 寝る!」
「あ、ああ……」
ずっと、戦場に身を置いてきた。
帰る場所など、どこにもなかった。時々戦争と戦争の狭間でどこかに行っても、常にラルフは余所者だった。
だけれど。
今、ラルフには帰る場所が――東の獅子一族という、居場所がある。
それが嬉しくて、思わず目頭が熱くなった。