神の武勇
激しい轟音と共に、ラルフの振り下ろした棍棒。
その一撃が、エソン・グノルの頭蓋骨を激しく打つ。棍棒といっても、その実は常人では持ち上げることすら不可能である、巨大かつ重い石の塊だ。それを抱えて走り、跳躍することのできる人間を、タリアはラルフ以外に知らない。
一撃を入れると共に、くらりとエソン・グノルの体が傾き、ゆっくりと大地に伏す。激しい一撃を受けた額が割れ、毛皮の隙間から砕けた骨が突き出して脳すら見えているのが、離れた位置でそれを見ていたタリアにも分かった。
あまりにも、異常な膂力。
初めてエビルト・アォブを目の前で倒したときとよく似た、頭蓋への一撃。しかし、あのときは生木に石を結っただけの簡素な斧でしかなく、ラルフの攻撃と共に柄が砕けていた。恐らく、打ち所が良かった――そう、タリアは思っていたのだが。
違う。
あのときの攻撃から、既に人が獣に与えるそれではなかったのだ。
例えるなら、エソン・グノルの踏み込み。エビルト・アォブの突進。エソン・ンロゥの角での一撃――そんな、理屈ではない重さが加えられたことで、エビルト・アォブは抵抗することもできずに昏倒したのだろう。
そして、それは現在、エソン・グノルを圧倒しているラルフを見ても、よく分かる。
一駆けで最も大きいエソン・グノル――エビルト・エソン・グノルの高さまで跳躍し、その頭を砕く力技。狩人がどれだけ槍で突こうと、一切動じないエソン・グノルが、ただの一撃で倒れるのだ。
これを、神の御業と呼ばずして、何と呼ぼう。
「ラルフ……やはり、アウリアリア神の化身……」
「ば、化け物だろう! あれは、人間じゃない……!」
エビルト・エソン・グノルの後ろに続く、六頭のエソン・グノル。
リーダーだったエソン・グノルを一撃で倒されたことに激昂した二頭が、一斉にラルフへと向かう。しかしラルフは、あれほど重い石の塊を抱えながらにして、軽やかに二頭の攻撃を避ける。
そして、エソン・グノルの突進に合わせて、その晒された無防備な腹へと、思い切り石を突き立てる。当然、ラルフの棍棒は先端を削っているわけでもない石の塊であり、それは殴打に近いものだ。
その一撃を喰らい、ガフッ、とエソン・グノルが血を吐き、悶える。
そして別のもう一頭に対しても、ラルフは跳躍すると共に背中へと棍棒を振り下ろした。めしぃっ、と骨を折る音が、離れたタリアにも聞こえるほどの勢いで。
ただの三撃。
ラルフがエソン・グノルに攻撃したのは、たったの三度。
それでエソン・グノル三頭を、そのまま無力化した。その事実に、タリアは体が震えてくる。
東の獅子一族は、強き者を尊ぶ。
強くなければ獣は狩れない。強くなければ子を守ることができない。強くなければ生きてゆくこともできない。それが東の獅子一族の考え方だ。ゆえに戦士は強くなるために努力し、鍛える。集落で一番強い戦士は誰からも尊敬される存在であり、一族の誇りとなる。
だがタリアが見てきた、集落で一番強い戦士――そのどれよりも、ラルフは強い。
否。
強さの桁が違う――そう言ってもいいほど、並外れている。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ラルフが雄叫びを上げると共に、次のエソン・グノルを打つ。
集落にとっての災害――エソン・グノルの群れが、まるで逃げる耳の長い小動物、兎の群れであるかのように容易く。激昂し突進してくるエソン・グノルを、まるで意に介することなく。
そもそも、ラルフに武器を与えると最初に言ったのは、長老だった。
伝承においても、アウリアリア神は両手に武器を持って戦う、とあったからだ。そのため集落の武器師が作った、様々な武器を並べてラルフに示した。
しかし、ラルフはどれも必要ないと言った。
その代わりに、集落の外れにあった、異常なまでに巨大な石の塊を示し、「これをくれ」と言ったのだ。長老もタリアも、そのときには何を言っているのか分からなかった。
その棍棒は、集落一番の武器師マドマドが、戯れに作ったものだった。岩から石を削り出し、それを石器に加工していくうちに、残った部分。あのとき、マドマドは嬉しそうに「巨人の武器を作ったぞ」などと言っており、集落の大人たちで笑っていた。
まさか、それを使う者がいるなど、考えもせずに。
大人の男が四人で、必死に腰を屈めて運ぶことができるほどのその棍棒を、あっさり片手で持ったラルフに対しては、ジェイルが「化け物……!」と失礼な感想を口にした。タリアも言葉にこそ出さなかったが、同じ思いだった。
「そうだ、ジェイル。ラルフ、人間じゃない」
「あんな人間がいてたまるか! あれは化け物だ! 怪物だ!」
「違う。ラルフ、人を超えた者。アウリアリア神の化身。いや……ラルフは最早、アウリアリア神そのもの」
「か、神……本当に、あの男が神だと、そう言うのか……タリア……?」
タリアの視線の先で、次々と倒れていくエソン・グノル。
残りの一頭になった時点で、恐らく恐慌にかられたのか、思い切り背を向けて駆け出した。そんな逃げたエソン・グノルを、ラルフは棍棒を抱えたままで追い、跳躍してその背中へと飛び乗った。
そして、恐らく幾つかの言葉をかけたのだろう――エソン・グノルは大人しくなり、踵を返してずしん、ずしん、と足音を立てながらこちらへと向かってきた。
その背に、ラルフを乗せて。
「は、はは……本当に、鼻長の群れを、一人で倒した……」
「ラルフ……」
「あれが……あの男が、神なのか……俺は、神に何ということを……!」
「ジェイル。ラルフに謝れ。ラルフは優しい。許してくれる」
タリアも心の内では、どこか疑っていた。
エソン・グノルの群れを相手にしたら、さすがのラルフでも死んでしまう――そう思っていた。
自分こそが、ラルフをアウリアリア神の化身だと、そう言ったというのに。
そんなアウリアリア神の武勇を、何故信じることができなかったのか。
疑ったことを、心から恥じる。
アウリアリア神の強さを、少しでも疑ってしまった自分を。
「タリア! 終わった! 肉だ!」
「ああ、ラルフ! 私は鼻長の肉を、初めて食べるぞ!」
エソン・グノルに騎乗したままで、タリアにそう告げるラルフ。
ラルフが乗っているエソン・グノルは、恐らくラルフの持つ神としての力によって、使役したものだろう。アウリアリア神は全ての獣と心を通じさせ、悪い獣は皆殺しに、良い獣は己に仕えさせるという伝承もある。
悪いエソン・グノルは、ラルフによって皆殺しにされた。
良いエソン・グノルは、ラルフに仕えることになった。
まさしく、神の所業。
「集落の皆で、祝いだ! 宴だ! 神の降臨に、感謝を!」
そして、同時にタリアは歓喜した。
強い戦士を尊び、アウリアリア神を信仰する東の獅子一族――その中で、最初にラルフに命を捧げたのが、自分であることに。