Part.1 普転成異
朽ちた建物の中でも比較的マシな建物に逃げ込む。ここなら奴らを撒けるだろう。しかし何故俺はこんなことをしているのだろうか。昨日までは普通に仕事を終わらせて、普通に食事をとって普通に眠りについた。何なら今朝もいつも通りに仕事場に向かっていたはずだ。それが何故、俺は今この場所で得体のしれない化け物から逃げ回っているのだろう。戦ってみるのも悪くはない、とは思うのだが、未知の相手は何をしてくるかわからない。相手が取る行動の一つ一つが致命傷につながるかもしれない。だからこうして逃げ回る、それこそが最も安全な方法である。だがこうして逃げてばかりいても、この事態が解決することはない。
「これから…。どうすれば…。まずここは何処なんだ…。」
ひとまず自分の置かれた状況を整理しようとする。まず自分はザナドゥ支部に所属する秩序使で、階級はヴァーチェス、まあそれなりにキャリアは積んできた。いつも通り仕事場に向かおうとしていたところで意識をを失ってしまい、気づいたらこの廃墟都市にいた。そこで迷っていたところ、得体のしれない何かに襲われた。逃走の果てに、今いるこの場所に逃げ込んだ。ダメだ、思い出せることを全部思い出しても今の状況がわからない。どうすればいいというのか。さっきから支部に連絡しようとしても通信がつながらない。それよりもここは何処なのだろうか。考えても考えても答えは出てこない。
「ここで立ち止まってても仕方ないな。ひとまずここを出よう。」
「ねえそこのお兄さん。出る前にまず私のことを助けてくれないかな?」
出ようとしたところで、誰かに声をかけられた。声の聞こえた方に目をやると、縛られて転がされた女が一人いた。よく見ると女の腕には、鈍く光る刃のようなものが刺さっていた。
「大丈夫か!?こんなところで何をしているんだ!?」
「そんなのどうでもいいから助けてよ。縛られた腕もいい加減痛いんだからさ。」
「ああそうだ。待ってろ!今すぐ解いてやる!」
俺は懐からナイフを取り出し、女を縛っているロープを切り裂いた。肉を切っているような感触を覚えながらも、なんとかロープを切った。続いて刺さっている刃に手を伸ばしたが、女に止められた。
「ああそれ、やめたほうがいいよ。どういう訳か知らないけど引っ張っても抜けないんだ。痛みも無いし血も出てないから放っておいても大丈夫だよ。」
俺は女の腕を見た。明らかに刺さっているが、どういう訳か血は一滴も出ていない。
「とにかくありがとう。私はラプサ。貴方は?」
「無事なようでよかった。俺はアトラ=デモニア。ザナドゥ支部に所属する秩序使だ。ところでラプサ、一つ聞きたいんだが…。」
ラプサにここは何処かと尋ねようとしたが、彼女は何処かぎこちない笑顔を浮かべていた。
「ん?私にわかる範囲なら答えてあげるよ。」
「まあいい。ここは何処なんだ?」
「ここは何処って…。貴方、おかしなことを聞くのね。ここは『桃源の廃都』。アガルタの東部だよ。」
彼女の言葉に耳を疑った。アガルタと言えばマグナ・バベルの最下層。支配者すらいない無法地帯だ。自分はザナドゥにいたはずだ。それに桃源の廃都といえば、アガルタでも屈指の危険地帯だと聞いたことがある。そんな危険な場所に何故俺はいるのだろうか。
「お兄さん大丈夫?そんなに目を見開いてさ。」
「ああ…。ちょっと信じきれなくてな…。そういえばラプサ、君のことをどこかで見たことがある気がするんだが…、気のせいか?」
「き、気のせいだよそれよりも解いてくれてありがとうね。私そろそろ帰るから、お兄さんも気を付けて帰りなよ。」
ラプサはそう言って建物の奥にある、その場には似合わない電子錠の付いた扉に向かっていった。
「おい。出口はそっちじゃないぞ。」
「これは近道なんだ。それよりも早く行かなくていいの?」
彼女はそう言って扉に触れた。しかし何が起こるでもなく、女は首をかしげながら何度も扉に触れた。
「???おい。何をしているんだ。」
「おかしいな…。何で使えないんだろう…。」
「????」
「ねえお兄さん…、どうやら重大な問題があるみたい…。」
「どうした?」
「…私ね、どんな扉でも開けられるデザイアが使えるんだけどね、どうやら使えなくなってるみたい…。」
「ああ…。だからさっき何度も扉を…。ん?ちょっと待て。開錠のデザイアに、ラプサ…?お前!通り屋の鍵師ステラ=レアスか!!」
「あっ、バレちゃった…。」
今日はどうにも不思議な日だ。突然アガルタに来たと思ったら、通り屋の鍵師が目の前にいた。不思議なことが多すぎてどこから突っ込んでいいかわからない。
「何故こんなところにいる!?」
「…それ答えたら見逃してくれる?」
「そんなわけがあるか!いいから答えろ!!」
「王国のフード女に捕まって起きたらこのザマって感じよ。」
「王国?それは何だ!?」
「私たちの敵。ねえ、いつまでこれを続けるの?」
「まあひとまずはこれでいいだろう。詳しいことは支部で聞く。お前を連行する!」
「連行するって、ザナドゥ支部に?」
「ああそうだ。」
「どうやって行くつもり?」
「それは…。」
彼女に言われて気付いた。すっかり熱くなって頭から抜けていたが、俺は今アガルタに、それも危険地帯である桃源の廃都にいる。確かにアガルタには上の階に転移するための転送機がいくつかある。しかしどこにあるか、そこまではわからない。しかもここは危険地帯だ。さっきみたいな化け物にいつ襲われるかもわからない。どこに行けばいいのかわからない中で化け物に襲われ続けるのは危険すぎる。俺が思案しているとステラが声をかけてきた。
「ねえお兄さん…。ひょっとして、どうやって帰ればいいかも分かってない?」
「ち、違う!」
「ふぅん…。」
「な、なんだよ…。」
「ねえアトラさん。今は互いに困ってる時だよね?お兄さんは帰れなくて困ってる。私はデザイアを使えなくて困ってる。ここはお互い助け合うべきだと思うんだよね。」
「何を言ってるんだ?」
「私は無事に使える転送機の場所を知ってるよ。」
「!!」
「私のデザイアを取り戻す手伝いをしてくれるんだったら、その場所を教えてあげるよ。」
「いや、しかし…。」
「じゃあ一人で探す?大丈夫?ここは本当に危険なんだよ?」
ラプサが言っていることは嘘ではないようだ。しかし自分が帰るために犯罪者に手を貸していいのだろうか。俺が迷っていると、彼女が再び聞いてきた。
「ねえアトラさん。貴方を転送機のところまで送ってあげるからさ、私の手助けをしてくれない?」
「…俺はお前たちのやったことを絶対に許さないが、目の前で危険に晒されている奴を見捨てるほど冷血じゃない。今回のことはあくまでも一時的な協力だ。二度はないぞ。」
俺は答えた。確かに通り屋は許されない罪を犯している。だが、目の前で困っている者を見捨てるのは秩序使としてあってはならない。あくまでも一時的、一時的なことだ。
「やった!じゃあしばらくよろしくね!」
俺は頭を抱えた。まったく、俺の日常は何処に行ってしまったのだろうか。
皆さまこんばんは。縁迎寺 結です。今回は新たな第1話をご覧いただきありがとうございます。さて今回からアトラ=デモニアを主人公としたinfected DESIREが始まります。またこれからもお願いいたします。短いですが今回はこれで締めさせていただきます。また次回お会いいたしましょう。