萌えるゴミ、萌えないゴミ
おっさんでも泣きたいときくらいはある。午後十時、そんなことを車の中で叫びながら彼は帰宅した。
太田九朗三十歳。おっさんに片足を突っ込んだしがない独身のサラリーマンである。
帰宅し、家のゴミを整理した九朗は袋を抱えてゴミ捨て場に向かう。害獣避けのケージの戸を開けると彼はよく確認もせず袋を投げ掛けた。
「う!!!」
投げ掛けたが、九朗は寸前のところで踏みとどまる。遠心力で転びそうになりよろけた彼はそのまま柔らかな何かにぶつかった。
「ひゃん」
その黄色い声に九朗は驚いた。
アレはやはり見間違いではなかったのかと。そしてこれはちょっと古くさいがアレではないかと。
「(この人、もしかして)」
変態だと思っても仕方がないこの状況で、九朗の眼前にいる少女は目を輝かせた。
「あ……あう……」
少女は九朗に話しかけようとしたがうまく言葉を発せられずにいた。
太ももを股がられて、ゴミの上に押したおされたからではない。小ぶりながらも胸を揉まれたからでもない。
それは少女がこんなところにいる理由と繋がっていた。
「ごめんなさい」
そうとも知らない九朗はとりあえず体を起こして謝った。下半身がちょっと貼りつめていて痴漢扱いされても仕方がない状況に、九朗の頭の中は真っ白である。
一方で少女は言葉を交わそうともがくがあうあうとうめくことしかできない。九朗からすれば痴漢である自分に萎縮して声が出ないのかといたたまれずに頭を下げたままにいたのだが 、しばらくするとトントンと肩をたたく少女にスマホの画面を見せられた。
その文面に九朗も驚く。
「お兄さんの家に、連れていってください?」
スマホに表記された文字を読み上げると、少女はこくりと頭を下げた。
少女の頼みにしたがって九朗は彼女を部屋に上げた。1DK独り暮らしの狭い我が家に女性を招くなど初めてのことに九朗も緊張してしまう。
幸いゴミを出したばかりで汚れていないことは九朗にとっての救いだろう。もしゴミを片付けていなければ恥ずかしい染みのついた異臭のする塵紙を見られていただろう。
九朗は少女を炬燵に入れるとお湯に溶かしたココアを振る舞った。
「えっと……とりあえず、暖まっていきなよ」
九朗はたどたどしく少女に話しかけた。
本音を言えば年下の女の子、しかも未成年というだけであらぬ妄想が捗ってしまう。
そんな中で口数が少い九朗を輪にかけた無口振りを発揮する少女は再びスマホの画面を叩いた。
変なことを聞いてごめんなさい
お兄さんには私のことがどう見えていますか?
画面に打たれた文章を読んで、九朗も小首を傾げた。彼にとっては少女は制服を着た女子校生としか見えていない。空想じみたシチュエーションに困惑こそしているが、それ以上でも以下でもない。
「───どう見えていますか? か……か、可愛いとは思うな」
九朗の感想は率直な意見だった。不意に女子校生を見かけると興奮してしまうこともある女慣れしていない彼にとって、少女と二人きりで一つの部屋に向かい合うというだけで勃起ものである。
九朗の言葉に少女は一方的な好意を抱いた。
本当ですか?
ゴミには見えていませんか?
久しぶりに人間扱いをされたことで少女は少し舞い上がっていた。
興奮しながら画面をタッチする彼女の様子は、彼女の身に起きた不幸を知らなければ理解できないものだった。
話は二週間前に遡る。
少女の名は古見弥子、つくうら二中に通う三年生である。
高校受験を控えた冬のある日、彼女は不幸に襲われた。
「おはよう」
いつものようにクラスメイトに挨拶をしたが、誰も彼女には返事をしなかった。まるで彼女のことを認識していないかのように。
最初は誰も彼もたまたま虫の居所が悪かっただけと甘く見ていた弥子だったが、次第にそれは異様になってきた。
二日目の朝、再び無視され続けた彼女は教師すら自分のことを認識していないことに気づいたからだ。
朝の出欠で点呼をとらないし、出欠票を確認しても欠席ですらなく自分のところは空白になっている。
そして極みつけは掃除の時間、仲の良かった一人の少女に言われた言葉だった。
「誰? ゴミを起きっぱなしにしたの」
弥子は何をいっているのか最初は理解できなかった。だが友人が弥子の腰を持ち上げようとしたことで、嫌でもその事実に気づいた。
「待って」
弥子の声は友人には届かなかった。結局のところその子に弥子を抱えて行くことは出来なかったため、隙を見て逃げ出すと友人は「ゴミは綺麗に片付いた」と言わんばかりの態度で一息ついた。
そう、弥子は皆からゴミと認識されていたのだ。
何故かなんてわからないし、給食は並べばちゃんと貰えるし、両親も炊事洗濯の世話は欠かさない。
だが彼らは何故か弥子当人をゴミとしてしか認識しない。まるで弥子という少女の存在がすっぽりと抜け落ちた世界で、彼らは弥子が抜けた穴に気づかないよう無意識に動いている。
こういう不思議な現象に詳しければ「精神攻撃を受けている」とでも考え付くのだろうが、ただの少女である弥子には思い付かない。思い付いても頼れる相手などいない。
コンビニで会計するときは機械的に店員も応対してくれるが弥子の言葉は一切聞いてくれない。
気が狂いそうな状況の中で弥子は次第に口を閉ざし、壊れかけた心で彼女はゴミ捨て場に閉じ籠った。本当に自分がゴミとして捨てられていったら、皆はどう思うのだろうか。
こうでもすれば人間として扱ってくれるかもという淡い期待にしがみついていた弥子こそが九朗が出会った少女だった。
九朗は気づいていなかったが弥子の目は先程まで虚ろになっていた。いわゆるレイプ目である。その目に今は光が戻っていた。
弥子が自分に起きた不幸を長々と書き綴ったスマホを読み終えたところで、受け手の九朗は困惑していた。
ゴミ扱いされる怪現象だと言われても、その影響を受けていない自分には皆目理解できないからだ。
エロ本のようによくわからないからとりあえずえっちなことをしようと行動に移せたらどれだけ楽だろうと九朗は気を揉む。
可愛い女子の言葉なので信用したいが、おかしいのは周囲ではなく弥子の方だったらどうしようという不安もある。
しかし九朗とて三十路である。恋人なんて彼方の存在になっている彼にとっては、救いを求める手を利用でもしなきゃ女性に踏み出す勇気が持てない。
仮に騙されていたとしても自分だって彼女を都合がいい天使扱いしそうだし同じ穴の狢だ。そう思いながら九朗は答えを決めた。
「キミが望むのなら力になるよ。とりあえず、今日のところは送っていくから住所とか色々と教えてくれないかな? 明日は二人で出掛けよう」
彼女の思い込みにせよ真実にせよ、とりあえず他人との接点を作ってみようと九朗は考えた。
それにはもうすぐ日付も変わるこの時間では遅い。動き出すのは朝を待ってからと九朗はエスコートを提案した。
帰らなきゃダメですか?
彼女の返事に九朗はドキッと脈動した。まさかこの子は泊まっていくつもりなのだろうかと。
「帰らなきゃダメかって……家に帰りたくないの? だって俺、キミから見たらおじさんだよ。襲われそうとか、そういう不安はないの?」
「あ……そ……」
弥子は九朗の言葉に声を出しかけるが、途中で止めて再びスマホを叩く。
お兄さんの変態!!!
頼りたいが、それはそれとして襲うなんて言われれば弥子も拒絶せざるをえない。だが弥子の言葉の選択も良かったのだろう。変態と罵られたことで理性を保った九朗は彼女に返す。
「そう……おじさんだってやろうと思えばそれくらいできる。でも、ぶっちゃけその気ならとっくにキミのことを犯しているよ。こんなことを言ってるのもキミを心配してのことだ」
炬燵の中で下半身を肥大化させての言葉なので真実を知れば弥子も拒絶したかも知れないが、それを知らない弥子に残ったのは九朗が紳士的な対応をしたという事実だけだった。
「(この人ならきっと大丈夫)」
実際には辛うじてこらえている九朗を信じて弥子は改めて画面を叩いた。
怖いんです
もしお兄さんが明日の朝になったら、他のみんなと同じにならないかって
もちろんえっちなこともされたくないですけど
それ以上にわたしにはゴミのように見られるのが怖い
「……弥子ちゃん……」
弥子の吐露に思わず立ち上がった九朗は後ろから彼女を抱き締めた。
「へたれで無力なおじさんで良ければ、キミを守護るよ」
九朗はテンションに酔っていたのもあるが、普段の自分からは想像もできないようなキザな台詞を弥子に向けた。
思い返せば初対面の女子中学生に何てことを言う。下手すれば警察案件になりかねない告白だが、心が弱っていた弥子にはとても嬉しい。
もう少し抱き締めてもらいたいが、弥子はつい呟いてしまった。
「───え……っち……」
この日ようやくまともに出せた弥子の言葉に九朗も正気になって離れる。
「あ! ごめん、つい」
「いい」
勢いに任せて胸でもさわってしまったり、股間を押し付けてしまったかとテンパる九朗に弥子は受け入れる言葉を投げる。
そしてその続きはスマホの画面に打ち込んだ。
えっちなことは止めてほしいけれど、もう少しだけ抱き締めてください
文面を読んだ九朗が「いいの?」と確認すると、弥子もこくりと頷く。
「(夢じゃないよな?)」
困惑と誘惑への葛藤に頭を回しつつ、九朗は優しく弥子を抱いた。
柔らかい肌と女の子の匂いにくらくらと目を回しながら、九朗は彼女に抱いた劣情を押さえる。
一方で背中に感じる男の人の熱に弥子は壊れかけた心を暖めていく。
ストレスで気が狂いかけていた弥子は寝不足でもあった。夜中に安心して神経が緩んだ弥子は、そのまま九朗の腕の中で眠りについた。