ダルマ
主な登場人物
・反町友香(ソリマチ ユウカ
中華街に暮らす探偵少女。中学2年生。
ピンク味の帯びた白い髪に、赤い瞳を持つ。
茉莉花茶が好き。
・九重優衣(ココノエ ユイ
友香のクラスメイトであり、親友。
活発な金髪サイドテールの少女。
機械仕掛けの身体を持つ。
・生天目 響(ナマタメ ヒビキ
友香、優衣のクラスメイトで親友。
黒髪ロングをハーフアップにした少女。
天才ハッカー。バニラアイスが好物。
5-1
国立学校法人緋梅学園。
臨港パークから700mほど東の海上に作られた学園群。初等部から大学部までの教育機関に加え、学生寮や数多くの研究施設が創設されていると言えばその規模の大きさが分かるだろう。
その巨大キャンパスの中等部に友香はいた。
『この説一切有部の主張に対し発生したのが、空性思想を掲げた大乗仏教であり、彼らは「我」に代わる輪廻の主体をーー』
すり鉢状の教室で講義を受ける友香。
天井に取り付けられたアンプを通して、教授の声が聞こえてくる。
少女はシャーペンを動かし、広げたノートにメモを取っていた。その度に、クリップに取り付けられたストラップがカチャカチャと鳴った。
彼女が受けている講義は初期仏教学。
文系宗教学を専攻している友香の必修科目であった。
ただ、この講義は一般開講もされているようで、理系の学生もチラホラ講義に参加していた。事実、友香の隣にはこの場に似つかわない顔があった。理解が追いついていないようで、その顔は苦悶の表情を浮かべている。
「わ、わけわかんねぇ……」
「はぁ……最終週に初受講って……そりゃ、わかるわけないでしょ」
友香の親友であり、サイドテールの金髪が印象的な少女、九重優衣であった。
彼女は本来、理系のコースに在籍しており、この専門的講義とは無縁なはずだったが何故か受講していた。
友香がその疑問を投げかける。
「何で受けに来たのよ?」
「いやぁ……今日は響いないし、つまんないなぁって思って」
「え?今日、響いないの?」
意外な返答に友香が手を止め、優衣を横目で見る。
響とは、彼女たちの親友である。普段は優衣と1限を受講しているので、学校にいると友香は勝手に思っていたが、どうやら違ったようだ。
「あー、なんか家の手伝いが忙しいんだって」
「ふーん……で、優衣は寂しくなってこっちに来たわけね」
「ま、まぁ、そんな感じかな?」
苦笑する優衣。
そんな彼女に友香は、満更でもなさそうな笑みを浮かべた。
「でも、だからといって講義に出る必要は無かったんじゃない?」
「あー……それなんだけど、実は私、宗教学に興味を持ったんだ……最近だけど」
「へぇ、そうなの?どうしてまた」
「それはーー」
優衣が答えようとしたとき、2限講義終了のチャイムが鳴り響いた。
学生たちが、一斉に荷物をまとめ始める。ノートを閉じる音とペンをケースに仕舞う音が聞こえてくる。
『おっと時間か。それじゃあ今日はここまで。来週はレポート提出だからな。忘れるなよ』
ガヤガヤとし出す中、教授が課題のアナウンスをして壇を降りる。
それを契機に学生たちが立ち上がり、教室の外へと出始めた。
「とりあえず、お昼食べに行きましょうか」
「そうだな」
友香たちもそれに続き、ひとまずは教室を後にすることにした。
5-2
購買でハンバーガー3つと缶コーヒーを購入した優衣を待って、ウッドデッキで昼食を取り始めた。
友香は弁当を持参したので、自販機で水だけ購入していた。
「それにしてもまぁ、良く食べるわね」
「あー……まぁね、あはは」
ハンバーガーにかぶりつく優衣に対し、友香は感心したような口ぶりで言った。
優衣がバンズから口を離し、苦笑する。
「で、さっき言ってた話だけど、何故、あなたが急に宗教学に興味を持ったのかしら?」
優衣が1つ目のハンバーガーを食べ終えた頃、友香が話を切り出しだ。
優衣は下を向いて暫し沈黙した後、そのワケを語り出した。
「最近になって思うようになったんだ。いや、なんかさ、笑わないでよ?私って、本当に生きてるのかなって」
思いがけない真剣な話に、目を丸くする友香。
その彼女の表情に優衣が笑う。その笑みは、自嘲するニュアンスも込められていた。
「ほら、私って生身の身体じゃないだろ?だから、検査や整備が必要でさ、この前の検査の時にふと思ったんだ。本当に、これで生きてるって言えるのかなって……」
だが、語尾に至る頃には彼女らしい元気は無く、顔は暗く下を向いていた。それだけ、真剣に悩んでいるということなのだろう。
特に優衣は、周りの人とは置かれている立場が違う。
彼女は、幼い頃に遭った事故で身体の大半を失っている。今、彼女が生きているのは生身の身体を捨て、全身をサイボーグ技術に依存したからである。
今まで、それが当たり前として生活していたが、歳を重ね、友人と日々を過ごしていく中で、それが周囲との隔たりに感じたのだろう。
「なるほど、どうしても納得できる答えが欲しかったのね。でも、どうしてそれで宗教学に行き着いたのかしら?」
「あー……友香はさ、いつも自分のやることなすことに自信を持ってるだろ?そんな友香が学んでることを学べば私も、生きてるって自信持って思えるのかなって」
「そう……」
友香は、過大評価のし過ぎだと思った。
だが、それを言ったところで謙遜どころか嫌味にしか聞こえないだろう。
彼女に何と声をかけてあげるべきか、友香は言葉に詰まった。
「なぁ、私は生きてるっていえるのか?生きていないんだとしたら、私は一体誰なんだ……?」
優衣が真っ直ぐに見つめてくる。その瞳は悲しみに彩られていた。
「優衣……」
友香は、彼女にかける言葉を探した。
だが、適切な模範解答などありもしない。でも、どうしてもこれだけは聞いておきたかった。
「優衣、あなた、さっきの講義ちゃんと聴いてた?」
「へ?」
ただ、純粋に友香が疑問を投げかける。
それは、優衣にとって思いもよらないものだった。事実、彼女が豆鉄砲を食らったような顔をする。
一方、その様子に困惑する友香。
「いえ、あの、さっきの講義、だいぶ今の疑問のヒントになること言ってたと思うんだけど……」
そんな彼女に、苦笑してみせる優衣。
「い、いやぁ、聞いてはいたけど何言ってるかわからなかったから……」
「あー……」
友香は納得した。よくよく考えてみたら、優衣は初参加の講義である。加えてその内容は仏教学である。どんなに頭のいい人間でも、ちんぷんかんぷんだっただろう。
状況を理解した友香が、口元に笑みを浮かべる。
「そうね……なら私が、今からあなたの疑問に答えてあげるわ」
優衣の瞳には、いつも通り自信満々の笑みを浮かべた少女が映っていた。