第八十八話 ヴィネッサさんと出掛けることにした
手紙で指定されたその日は、休みだった。いや、ちょうど休みになった。
レッドベアがだいぶ減り、あの夜の大量発生以前の水準に近づいてきたので、今後どうするかを一度協議するとのことであった。
誘いに乗るとしても、荷運びを任されているこの状況で休みを取るのは勇気が要る。
そう感じていたところでの、既に外堀を埋められていた事実。
社交的なあの人のことだ。きっとどこかで、先にこの話を仕入れていたのだろう。
別に不審を抱くレベルではないが、それでも若干面白くない思いである。
「ジョージ、明日予定はあるか」
手紙を忍ばされた翌日、依頼から戻るとジェイコブ支部長に声をかけられた。
「えっと、その」
ヴィネッサさんとのことが頭を過り、少し言い澱んでしまった。
それだけで、彼は「ああ、構わん」と手を振る。
「予定があったなら、気にしないでくれ。少し、物資や帳簿を手伝って欲しいかっただけだ」
元の世界では、上手く断れずなし崩しに休日も仕事をすることがあっただけに、この対応には驚かされた。
「別に、そういう理由なら断ってそっち行きますけど」
と申し出ても、とくに嫌味な様子もなくきっぱりと断られてしまう。
「いや、若いんだから休みの日ぐらい街へ出たいだろう。聞けば、全く遊び歩いていないそうじゃないか」
「その、同期のみんなと食べ歩きをしたり、本を買ったりはさせてもらってますが」
別に、まったくでもないのだけど。そんな思いで言った僕に、ジェイコブ支部長はあの馬車の中で向けてきた、馬鹿を見る憐れみと軽蔑の眼差しを向けてくる。
「そんなの、遊んだうちに入らないだろう。ほら、軍資金だ」
それにしても、目尻や額に刻まれた幾重もの皺に、苦労の滲んだ禿髪。お堅い雰囲気の壮年から、こんな言葉をかけられるなんて。
やっぱり、元冒険者だけあって感覚が違うのだろうなあ。
そして無理に付き合わせようとしなかったり、遊ぶお金まで気前よくくれるあたり、伊達に支部長に就いていないのだなあ。
「そういうことでしたら……というか、こんなに貰っていいんですか?」
「君のことは、Fランクということもあり格安で使い倒させてもらっている。報酬を上げてやることはできんが、予定より随分早く討伐が終わるのだ。この程度は還元するべきだろう」
袋の中のお金より、この言葉のほうが胸に重く響く。依頼単体でのお金も、既に充分な額を貰っているというのに。
仕事を評価される喜びを味わえるなんて、こっちに来て本当によかった。
「ありがとうございます!」
長めに頭を下げながら彼を見送り、顔を上げたとき、ふと視線を感じた。
見ればそこには、ヴィネッサさんの姿がある。僕へとニヤニヤ笑いかけながら、口を『また明日』と動かし、ギルドを去っていく。
少し胃が痛い。これで、明日の予定が空いてしまった。
翌朝、寝つけないまま悩んだ末、約束の場所へ行くことに決めた僕は、のそのそと着替えをはじめた。
別にデートでもないのだし、適当な服でいいだろう。失礼さえなければ、それでいい。
アンナさんに選んでもらった、多少ガラの悪い服を纏う。もう背なんか伸びるわけもなく、多少ダボつく袖や裾は自分で縫った。
そうして出掛ける前、僕はオリヴィアさんの部屋をノックした。
一昨日のことがあって以来、多少気まずい感じだ。別に無視をされているとか、皮肉を言われるというわけではない。
むしろ、そっちのほうがまだ安心もできるというもので、昨日のオリヴィアさんの様子と言ってはなかった。落ち込んでいるのが、丸わかりなのだから。
今からヴィネッサさんのところへ行くのは、オリヴィアさんの事情を嗅ぎ回るということでもある。
基本的に、冒険者はお互いのことを詮索し合わない。そういう意味で、僕の行為は裏切りと取られても仕方のないのだろう。
聞けば、話してくれるのかも知れない。けど、今はまだ気が引ける思いだった。
まだ、そこまでの信頼関係を築けているとは思えない。強引に訊ねるのが、よいこととも思えない。
だいたい、オリヴィアさんは鈍いわけではない。むしろナイーブなぶん、変に気づきのよいところがある。
何もかも打ち明けるのは甘えだが、この人に嘘を突き通す自信はない。
ならば、せめて事前に報告を……というのが今回訪問に至った理由であった。
「あの、俺だけど」
「す、少し待って下さい」
ノックをすると、そんな言葉のあと少ししてから、オリヴィアさんがドアを開けてくれた。
「お、おはようございます」
「おはよう。ちょっと、話しておきたいことがあって」
オリヴィアさんが、不安そうな顔をしながらも丸まっていた背筋を伸ばす。
「その、どこかへお出かけされるんですか?」
「一昨日の人と、少し話をしてくる」
言葉のあとすぐ、オリヴィアさんの表情が曇った。
「夜まではかからない。夕方には必ず帰るから」
顔を上げた彼女の瞳には、色濃い困惑が浮かんでいた。
『どうすればいいですか?』
そう言わんばかりの顔を前に、小細工は無用なことを悟る。もう、直球をぶつけてしまおう。
「俺はオリヴィアさんのそばを離れないから、待ってて」
彼女は目を丸くし、息を飲む。その様子からは、昨日からの気に病んでいる雰囲気が薄れたようには思う。
けど、これでよかったんだろうか? なんだか、単にびっくりさせてしまっただけのようにも思える。
でも、もう言い直すこともできない。
「じゃあ、行ってきます」
「い、行ってらっしゃい。お気をつけて」
オリヴィアさんは、かしこまった感じで僕を見送ってくれた。混乱しているようにも見えたけど、誤解や齟齬を含みながらも、何かしらは伝わった感じはあった。
たぶん、今はまだ正解に近づく過程なのだ。
もしかしたら、そんなものは一生見つからなかったり、またはその状況によって違うものなのかも知れない。
その手掛かりを得るためにも、ヴィネッサさんと会って、はっきりさせなければ。




