第七話 あーんされた
二人がよく来るという料理屋に着き、テーブル席
に料理が運ばれた次の瞬間には、アンナさんがその中の分厚い肉にかじりついていた。
「うまっ!! うまっ!! うまい~~!!」
「もう、そんなにホフホフとはしたない……せめてゆっくり食べられるときぐらいはお祈りをしてからーー」
「心の中で零・一秒で祈ったからいいんだよ! あったけーステーキ最強にうまーっ!!!」
「小さな子供ですか、まったく……」
意に介すどころか、ますます勢いよく頬張るアンナさんの横でため息を吐いたあと、エマさんは姿勢を正し目を閉じて、よく洋画で見るような恵みを与えてくれた神への感謝を述べはじめた。
「ん? どうしたジョージ、冷める前にさっさと食えよ」
「は、はいっ。いただきます」
手を合わせてからナイフで肉を切ろうとしたとき、ふと気づく。何気なくやってしまったけど、よく考えたら今のはこっちじゃ邪教扱いの可能性もあるんだよな。もしこっちに、魔女狩りのような悪習があったとしたら……。
一抹の不安が過り、ヒヤリとしながら顔を上げたものの、アンナさんは一切気にせず料理に夢中だし、エマさんは僕へ満足げに笑いかけている。よかった。少なくともこの二人は寛容な人たちらしい。
「あら、ジョージさん。どうされましたか? 先ほどから召し上がる際に少し体を傾けて」
「ん、ああ。お二人やハワードさんと会う前に、レッドベアに右腕を振り払われたのがまだちょっと痛くて。すいません、みっともないですよね」
気を使わせないようにしていたつもりだったのだけれど、つい気が緩んでしまったようだ。恥ずかしい。
「まあ、そうだったのですか。辛いときは我慢なさらず、私たちを頼って下さい」
「あはは、ありがとうございます」
なるべく、気をつけなければ。そう思ったとき、エマさんはおもむろに席を立つ。そして……。
「では、お隣に失礼して……はい、あーん」
なんと、フォークで刺したポテトを、もう片方の手で添えながら僕の口へ近づけてきたのだ。しかも満面の笑みで。
「ええ!? あの、エマさん!?」
「いかがなさいましたか? ここはお肉だけでなく、お野菜だってとっても美味しいんですよ? はい、あーん」
「じ、自分で食べられますから!」
「あっ、ひょっとしてお野菜が苦手なんですか? お百姓様方が丹精込めて作って下さったと言うのに、いけませんよそれは。こうして、小さく切ってあげますから。では気を取り直して、あーん」
僕はいったいどういう扱いなんだ!? 困惑していると、他のテーブルにいた、先ほどギルドに居た人たちと似た雰囲気の男たちが茶化す声をかけてくる。
「そうだぞ坊主! 野菜も残さず食わなきゃな!」
「まったく、エマさんにあーんで食べさせてもらえるなんて羨ましいぜ!」
彼らのあのニヤケ方からして、完全にここでの僕は子供扱いである。二十も半ばに差し掛かっているというのに、なんでこんな扱いを受けなければならないというのか。
そんな中、エマさんはフォークで刺したポテトを小さく揺らしながら、裏声で小芝居まではじめてしまった。
「『ジョージ君、僕とっても美味しいよ! ジョージ君に食べてもらえたら、とっても嬉しいな!』」
店内に弾ける爆笑。それでもエマさんは、僕に食べさせる気だ。「マジ」だ……。この状況にも関わらず、自分の手で料理を僕の口へ運ぼうとしている。
「『わあ~、早く食べてくれないと僕落ちちゃうよ~。床さんとごっつんこしちゃう前に食べてー! 早くー!』」
馬鹿にしているわけではない芝居と気迫だ。エマさんには、食わすと決めたら食わせる………『スゴ味』があるッ!
これで解放されるなら。そう思いながら口に入れると、まるで病人の世話でもしているかのようにエマさんはそっとフォークを抜き出した。あ、あれ? よく考えたらこれって間接キスか!?
「おっ、偉いぞ少年! これで大きくなれるな!」
あまりの恥ずかしさに俯きながら咀嚼していると、冷やかしの指笛まで吹かれてしまっている中、エマさんが僕の頭を優しく撫でてきた。
「はい。よく好き嫌いを克服できましたね。ジャガイモさんもお腹の中でジョージさんと一つになれて、とっても喜んでいますよ」
いや、別にジャガイモ嫌いじゃないし……。それにしても、美人というのはズルいよなあ。こうしてあたたかな微笑みを浮かべながら優しくされると、それが例えどれだけズレたことでも怒る気が失せてしまう。それどころか、ほんのちょっととは言え嬉しいなんて思ってしまうのだから僕はチョロい。
そう言えば、メジャーリーグでセットアッパーやクローザーとして活躍した日本人選手が、もう四十歳なのだからと髭を剃って夜出歩いたところ、警官から不良少年だと誤解されたという話を聞いたことがある。彼と違い小柄な僕では、アジア人という特徴も相まって仕方ないのかも知れない。とは言え、よしんば酒や吸わないがタバコのような嗜好品を嗜められるのは仕方ないにせよ、この扱いはどう考えてもおかしいと思うんだけど……。
そんなとき、エマさんはフォークを皿の上に置いて立ち上がると、周囲で囃し立てるお客たちを一喝した。
「静かになさって下さい! この子はレッドベアに襲われて大怪我をしているから、私がこうして食べさせてあげているのです! ジョージさんを馬鹿にする発言は慎んで下さい!」
「い、いや、別に馬鹿にしてたわけでは……」
「レッドベアに? それは災難だったな……」
「くわばらくわばら。あのクマ公に襲われたなら、生きて戻れただけで儲っけもんだぜ……」
元の落ち着きを取り戻していく店内に鼻を鳴らすと、気を取り直したのか椅子に座ったエマさんは、再び僕の世話を焼きはじめた。
「さあ、喉が渇いちゃいましたよね? でも、お酒はもうちょっと我慢ですよ? ジョージさんは私と一緒にこの美味しいミルクをーー」
「なあエマ、いい加減にしてやれよ。お前はジョージのお袋か?」
ここで遂に、アンナさんが端にソースを付けたままの口を開いた。
「あらアンナ。怪我をした人を大事にすることの、いったいなにがおかしいと言うのかしら」
「ジョージは扱いを知らないだけで魔力自体はびっくりするほど多いみたいだし、ちょっと休めば多少の傷はすぐ治んだよ。だいたい酒なんて、アタシなんか十歳になる前からこっそり舐めてたけどな」
前半はありがたかったものの、後半でアンナさんも僕を子供と思っていることを知る。そう言えば、最初は僕のことを坊主って読んでたっけ……。
「あ、あの。俺もう大人で、二十も半ばにーー」
「うんうん。もう立派な大人だよな。でもまだ一杯だけだぞ?」
まるで信じていないくせに、『子供だって飲まなきゃやってられないよな』とでも言いたげな訳知り顔で、アンナさんが僕のコップへワインを注ごうとする。
「いけませんアンナ。ジョージさんにはこっちのミルクです」
すかさず手で制したエマさんに、アンナさんが苦言を呈した。
「おいおい、手前ェの禁欲をガキにまで強いるんじゃねぇよ」
「そんなんじゃありません! 私はただジョージさんのお体を思えばこそーー」
「あの、エマさん。お気持ちはありがたいのですが、一人で食べられますので……」
別に嫌なわけじゃない。ただ、こういう人目のある場所で、あんな赤ちゃんにするような甘やかされ方はさすがに公開処刑過ぎる。エマさんが食べる時間も奪ってしまうし、きっとこれでいいのだ。
「ですが……」
「エマ、ありがた迷惑もいい加減にしろ。ジョージの気持ちも汲んでやれ」
なおも渋るエマさんも、アンナさんの言葉に折れてくれたようだ。
「……わかりました。ジョージさん、申し訳ありませんでした」
「い、いえ。そんなに謝らないで下さい。気にかけていただいて、とっても嬉しかったですから」
「そうおっしゃっていただけると、気持ちも楽になります。ありがとうございます、ジョージさん」
エマさんが自分の席に戻ると、アンナさんは話題を変えた。
「ところでジョージ、お前、今後の身の振り方は決めてんのか?」
「いえ……今はまだ、なにも……」
なにか適当な力仕事でも見つけられたら。そう思っていた僕に、アンナさんは思わぬ提案を持ちかけてきた。
「ふーん、じゃあ冒険者になれよ。それでアタシらとパーティー組もうぜ」
バブみ回