第五十三話 エピローグ前編 病室で彼女と
前の話を少し変えました。オリヴィアのローブを、ミスリルを織り込んだうえで付与魔法をかけたものだと書きました。ご迷惑をおかけします。
あの日、全員で生きて城門を潜ってから一月ほど経った。
今回の北マディソンにおけるレッドベアの大量発生事件は、現在も決して予断を許さぬ状況だ。とは言え、少なくとも街の中に限れば、人々は落ち着きを取り戻しつつある。城壁より内側への侵入だけは決して許さなかったのが大きかったのだろう。それでも、その際の攻防ですら相当数の犠牲が出たと、ランドンさんやブライソンさんが言っていた。ましてや外のこととなると、その惨状は想像に難くない。なにせ相手は、あのレッドベアどもなのだから。
今は、他所から呼んだ高位の冒険者たちを中心に、街周辺のレッドベアを狩っているらしい。それに加わっているアンナさんやエマさん曰く、奮闘の甲斐もあって少しずつではあるが数を減らしつつあるそうだ。が、なぜ急に奴らが現れたかとなると、てんで見当もつかないとのことであった。
本来の出没エリアである東マディソンの森に原因があるのでは、との予想が、立てられてはいる。しかし調査も儘ならない現状では、まずは身近な脅威の討伐にリソースを割かざるを得ない。真相の究明は、まだ先のこととなるだろう。
「驚異的な回復力だな……」
もう何度目かの定期検診で訪れた病院で、医者は僕を前に唸るように言う。魔力回路の酷使により、本来であれば僕も入院して相応の処置を受けるはずだったそうだ。が、当初病院に負傷者が溢れ返っていたこともあり、自力で歩けて意思もはっきりしていた僕は検査のあと、宿での療養を提案されていたのだ。僕自身、入院は苦手だから助かる気持ちのほうが大きかった。
「もうそろそろ、収納魔法ぐらいは使っても大丈夫そうですか?」
「いや、それはまだだな。普通魔法回路があんな状態になったら二度と魔法を使えなくなってるし、ましてや絶対元通りには治らない。今回は仕方なかったとは言え、次も同じように回復する保証はないんだから」
「そうですか……」
「君は、まだ若い」
僕の顔をちらと見た医者は、気を使うようにそう口にした。
「焦るな。今は街に腕の立つ冒険者たちが集まっている。状態が整ってから、そのとき改めて加わればいい。聞いてみれば、Fランクからのスタートらしいじゃないか」
「ありがとうございます」
励ましをもらったので、素直に頭を下げる。彼は頷いたあと、ここは元の世界と似た感じに「じゃあ、一週間後」と言って僕との診察を終わらせる。廊下に出た僕は、もうすっかり覚えてしまった廊下を移動し、いつも通りある病室へ向かった。
「すいません……わ、私だけ、入院させていただいて……」
まとまりつつある荷物を横に、ベッドの上のオリヴィアさんは恐縮した様子で、今日の土産の焼き菓子を握っている。本来は果物のほうがいいのかもしれないが、今回の騒動で物流に影響が出て、めっきり見なくなってしまった。
もっとも、最初の見舞いで林檎を持っていったところ、少しトイレに行っている間に彼女が皮を剥いてしまい、それを差し出され多少気まずい思いをしたものだった。まあ、不器用な僕が剥くよりは、楽器をやっているぶん器用な彼女のほうが果肉を削り過ぎずよかったのかも知れないけれど。
「謝ることじゃないでしょ。俺は休めばいいだけだったけど、オリヴィアさんは治療が必要なんだから」
そう慰めたものの、あまり上手い言葉ではなかったようで、オリヴィアさんは顔をやや俯ける。ギャヴィン試験官やアリアさんに並んで、間違いなく今回みんなが助かった功労者のうちの一人だと思うのだけど……。そう思っていると、オリヴィアさんはもう何度目かの話を、遠慮がちに訊ねてきた。
「あの、入院費のお話なのですが……」
「だからそれは言ったでしょ。貰ったお金はみんなで山分けだって」
当時僕らは冒険者ではなく、また依頼を受けたわけでもないので討伐の報酬は得られなかったが、それでも今回の貢献を讃えられ、今回の合格者たちは領主から多くのお金を与えられた。ギャヴィン試験官には別途支給されたそうだし、みんなの力で生き延びたのだから、分けるのは当然だ。
「それに俺、オリヴィアさんには借りがあるしね」
「か、借り、ですか……?」
怪訝そうな反応をする彼女へ、感謝を伝える。
「爆風や破片から、俺のこと守ってくれただろ。ありがとう」
単なる無謀ではなく、ローブの性能を理解したうえで実行に移した、この人なりの計算の上でだったんだろうけど……でも。
「でも、今度からは事前に話してね。楽器弾く人が手を痛めたり指が飛んだりしたら大変だし、俺のほうが頑丈なんだから、あの凄いらしいローブを貸してくれたら、次は俺が庇えるし」
もちろん、指の欠けたピアニストなどの存在は知っているが、十本揃ったピアニストよりも十全に弾けるわけではないだろう。なにより、僕は男にしては平均より下かも知れないが、オリヴィアさんよりは高い。逆のほうが、末端までローブで覆うのは容易かったはずだ。
けれど、オリヴィアさんからの返事は、すぐには返ってこなかった。しばらく口を閉ざしたあと、「できません」と呟いた。
「……私なんかのために誰かが、ましてやジョージさんが傷つくのは、いけないこと、ですから……」
真っ直ぐで、普段と違い目が合ってはいるけど、暗い瞳。あの疑心の眼差しと同じだ。撫でようとして身を硬くしたときも思ったけど、心の深い部分に根強い不信感があるように見える。
もちろん、あのときだって僕のことを考えてくれたからであって、だから同行を決意し、身を呈してまでくれたのだろう……だけど。
「……俺だって、苦しむオリヴィアさんに何もできず庇われてるとき、悔しかったよ」
「あ……」
瞳の奥の昏さが、驚きに似た表情とともに溶けた。そんな彼女へ、胸から堰を切ったように言葉が続く。
「蔵から出るとき、オリヴィアさんについてきてもらえて心強かったし、道や状況だって、オリヴィアさんが教えてくれたから早く進めてみんながやられてしまう前に合流できた。負傷者が戦線に復帰できたのだってオリヴィアさんがいたからだし、他にもーーあっ」
椅子から立ち上がり、彼女へもっと正面から伝えようとした際、勢い余って足が縺れた。
「あ、危ないです……っ」
倒れ込む僕を、細い腕が受け止めようとしてーー堪えられず呆気なく崩れた。オリヴィアさんごと、ベッドへ縺れ込んでしまう。
「い、痛た……ごめん、オリヴィアさん大丈夫? ーーって」
ベッドに手をつき顔を上げようとしたとき、何か大きくやわらかな二つのものが僕の顔に合わせ形を変えながら、ふるりと動く。視線を落とすと、そこには元の形へ戻りながらも、仰向けだというのに確かな存在を主張するものーーそう、おっぱいがあった。
「……あ、あの……」
どうしよう! 言い逃れもできないほど、たっぷりと顔を埋めてしまった! 何よりこの体勢自体、まるで押し倒したみたいだし……っ。
「ご、ごめん! すぐ退くから!」
「ま、待って下さい!」
ええっ!? 待つの!? 俺にも心の準備と言うか、いや、そもそも十六相手とか犯罪だしっ!
「……も、もし……」
「え……?」
僕の下では、潤んだ目の、隠し切れていなかった心細さをさらけ出したオリヴィアさんがいた。
「つ、次にもし、あんなことがあったとき……私はこんなふうに守ってもらっても許されるんですか……? 資格はありますか……?」
自分が、十六才の頃を思い出す。耐えられず家を出て、同年代の大多数が高校へ進学した中、社会へ出ることになって。
もちろん、僕はこの子の事情なんか毛ほども知らないし、こっちとあっちは就学状況も違うのだから、確かなことなど何もわからないのだけれど。
でも、彼女の気持ちを、僕は自分の過去を重ねただけとは言え、想像してしまった。
「……あるよ。と言うか資格のある無しじゃなく、俺がオリヴィアさんに傷ついて欲しくない」
少し垂れ気味な目の縁から、溢れかけていたものが溢れ出した。
「……変なことを聞いてしまって……ごめんなさい……」
「何も悪いことなんかしてないんだから、謝らなくていい」
「……迷惑をかけてごめんなさい……助けさせて、励まさせてしまってごめんなさい……」
「俺ら、もう仲間でしょ。誰かが弱ってるときは庇うし、支えるようとするものなんだと思うよ」
消え入りそうなほど掠れる震え声に、言葉を選びながら返し続ける。
「な、泣いて、ごめんなさい……」
「泣けるときは泣いておくほうがいいと思うよ」
僕はいつしか小さな子供のようにしゃくり上げ出した彼女の涙を拭い、エマさんからそうして貰え嬉しかったのを思い出しながら頭を撫で続けた。
「……じょ、ジョージさん……」
しばらく経って、オリヴィアさんの顔は多少疲労を滲ませながらも、さきほどまでと比べすっきりしたものとなっていた。
「うん?」
続きを促すと、喉を鳴らし、真っ赤になった目を大きく開く。
「わ、私……っーー」
「オリヴィアー、退院の出迎えにきたわよー。全く、ちょっとは元気にーー」
そのとき、クレアさんを先頭にしたみんなが入ってきてーー世界は凍ったように静まり返った。
そうだった。僕はさっき、オリヴィアさんを押し倒した体勢のままだったのだ。挙げ句オリヴィアさんの衣服は乱れ、目は泣き腫らし皺クチャなシーツの上に身を横たえていてーー。
「ま、まさかジョージに限って、そんなーー」
「あんな綺麗なおねえさんが二人もいながら、オリヴィアにまで手を出すなんて……」
「嘘だろ……ここ病院だぞ……?」
「ち、違うんだみんな。話を……」
僕がどんな誤解を受けているか察したオリヴィアさんが、身を捻りみんなに語りかけた。
「そ、そうです違うんです! ジョージさんはそんな人じゃなくてーー」
そうだ言ってやってくれオリヴィアさん! そう思いながら続きを待った僕に、次の瞬間更なる冷たい目線が突き刺さった。
「じょ、ジョージさんは私に、と、とっても優しくして下さって……!」
「え、ええっ!?」
なんだその誤解しか招かない言葉は! しかも物凄く真剣そのものの表情で!
「マジか……まあ、合意のうえだったなら……」
「で、でも早過ぎるよ。前に会ったのは試験の日が初めてって、野営前の食事中ボクらに言ってたよね!?」
「あ、あの、オリヴィア? 今、優しくって言ったわよね……」
「は、はい。ジョージさんは、いつも優しくて」
「「いつも!」」
複数が同じ言葉を合わせるように言ったあと、絶句した。嘘だろオリヴィアさん……なんでここで、絶妙に嬉しさを滲ませながら、実感を込めた感じで……。
「ほ、本当は、前からできてた……とか?」
「ま、まあ、納得行かなくもないよな。あの水晶爆発させるって出て行ったとき付いて行ったし、ジョージのこと庇ったらしいし……」
「ボク……全然気づかなかったよ……ふ、二人がその、そ、そんなことまでしちゃう間柄だったなんて……」
「そ、そんなに抑えきれないものだったのかしら……で、でも、いつもしてたからって、やっぱり病院でそ、そんなこと、なんて」
「ち、違います! そうじゃなくて、い、いつもじゃなくて!」
「ひ、酷くするときもあるのか……」
「だ、だから誤解だ! 俺らはそんなんじゃなくてーー」
弁解を試みたとき、クレアさんに胸ぐらを掴まれ、そのまま立たされた。
「く、クレアさん……?」
顔を覗き込み、なぜ最もお転婆な彼女が今の今まで大人しかったかを僕はようやく理解する。怒り怒髪天を突き過ぎ、声すら発せなかったのだ。僕を涙目で睨み上げたクレアさんは、振りかぶるよう思いきり平手を振り上げ、そしてこの言葉とともに高く上げたそれを振り下ろした。
「このっ、不埒者ぉおおおおお!」
その後、みんなにわかってもらうまで十分。協力を得たうえでクレアさんにも理解してもらうまで、もう二十分ちょっとかかった。
まだあるのですが、今日中に更新できなくなる可能性があるのでエピローグを前後編に分けます。日にちが開いたのにこのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした。




