第三十一話 オリヴィアさんと雑談を交わした
こうしてはじまった会話のスタートは、実にとりとめのないものであった。
「ど、どのあたりの宿に宿泊されてますか……?」
「街の中心からは、少し離れたところかな。けど迷いやすい場所ではないし、治安とかも……たぶんそんな悪くないんじゃないかな」
「な、なにかあったんですか……?」
「いや、そこでじゃないんだけどね。街のほうで買い物してたら、ナイフ持った盗人が出たって」
少しぼかして話すと、オリヴィアさんの顔がひきつった。
「こ、怖いですね……刺されてしまったらと思うと……」
「もしかしたら、街のほうが治安がまずい場所だったりもするのかな。巡回してる兵隊さんとかは多いと思うけど」
「わ、私……街のほうの宿です。あ、安全なのかと思って……」
元の世界にいた頃は、歓楽街や紋々を入れた人たちの事務所、ギャンブル場の近くが危険と相場が決まっていた。
他を歩いても普通の街と変わらなかったので、そのエリアがかなりのトラブルで満たされていることとなる。
「街から離れるごとに、人通りが少なくなるのは怖いけどね……ちなみに、宿代どれぐらいの場所?」
「五千五百ギルです」
「うちは二食付きで三千八百ギル。やっぱり街中なぶん、だいぶ高めなんだね」
僕の言葉に、オリヴィアさんは驚きのあまり皿を溢しかけた。
「そっ、そんなに安い宿もあるんですか……?」
元の世界でも、家賃二万四千円の木造アパートに住んでいると知り合いに言ったところ、『そんなに安い物件なんてあるの?』と、似たような反応をされたことがある。
ちなみにそいつは、月十五万の仕送りを受け取りながら家賃八万円台のアパートに住んでいた。
オリヴィアさんも、もしかしたらその手の育ちのよい家庭なのかも知れない。なにせ、楽器をやっているぐらいだし。
「う、うん……。お世話になってる二人も、そこ住んでて。女の人でも住める場所だと思うよ」
もし変質者が入ってきたとしても、故○川談志氏の落語みたいに『お願いですから詰所に連れて行って下さい』と向こうから泣きを入れるぐらいアンナさんがボコボコにしてくれることだろう。
セキュリティもバッチリだ。
「も、もしそうでしたら、そこを利用させていただくべきだったかも知れません……」
「空室あるか聞いてみるよ。ある程度まとめて払うと、二割も引いてくれるし」
「で、でも……もう、お金が……」
言葉は途切れ、オリヴィアさんは意気消沈してしまった。そうなのだ。置き引き被害のせいで、今オリヴィアさんの財布には十六ギルと僕が渡した五百ギルから飲み物代を引いたお金しか残っていない。
「あー……その、アテとかあるの……? ご実家、とか……」
「……家は、厳しいと思います……」
「そっか……」
訳ありなのか、オリヴィアさんは口をつぐんでしまう。
東京でビッグになる! 的な勢いで、ハープ引っ提げ家出でもしてきたのだろうか? それにしては、来たのが山間のノースマディソンというのが半端に思えた。
普通音楽で食いたいなら、中央や都市部へと向かうものではないかしらん?
「も、もし今回で合格できたらっ、その日のうちに依頼を受けて、そのお金で節約をしながら、や、やって行けたらと……」
勢い込むように話しはじめたものの、その内容は夢見がちというか、あまりにも行き当たりばったりなものであった。徐々にトーンダウンしていったあたり、本人にも自覚があるのだろう。
「もし、落ちちゃったら……?」
「……なんとか……まずはジョージさんへお金を返すために、こちらで働く先を見つけられたらと……」
元の世界では、女性の社会進出は近代化革命を待たなければならなかった。
働き手が必要になったことで道が開け、職業選択の幅が拡がったのだと言う。
それ以前の海外では、女性がつけるまともな仕事はメイドぐらいしかなかったのだそうだ。
実際、孤児院出身の女の子は娼婦になる子が多かったのだと学校の授業で聞いたこともある。
そして育てられない子供を産んでしまい、孤児院へ置いていくという負の流れが繰り返されていたのだそうな。
もちろん、この世界は魔法という文化が発展しているので、そこまで悲惨ではないのかも知れない。
けど、常に最悪の事態を想定することも、人と接するうえで責任感ある態度のうちの一つだろう。
旅館の仲居さんみたいな、住み込みの仕事でもあればいいのだろうけど……ハワードさんにお願いすれば、どこかしら紹介してもらえないだろうか?
「とりあえず、滞在費として貸すよ。はい」
金貨一枚を渡そうとするも、とんでもないとばかりにオリヴィアさんは狼狽するだけだった。
「も、もう十万ギルもお借りして、ご飯もいただいているのに、これ以上はーー」
「無事受かっても、たぶん今夜は野営で寝れないだろうし、冒険者カードを交付してもらってすぐ依頼を受けるのはやめたほうがいい。せめて明日一日ぐらいは休んでからにしなよ。落ちちゃったときだって、どうやって返すかを考える時間が必要でしょ? 女の子が野宿は絶対駄目だよ」
「で、ですが……」
「その琴を売る、とかは絶対嫌でしょ?」
オリヴィアさんは丸みを帯びたそれを抱き締めるようにしながら、固い表情で頷く。
「俺も家を出たはいいけどさ、これからどうやって生きていこうかってなったとき、知り合いのお父さんが土建屋さんで、その繋がりで働けたんだよ。随分お世話になったっけ」
十六才になるまで真っ当なアルバイトもできず、年齢をごまかして働ける場所で日銭を稼いでいた僕のために、元同級生の父親はアパートを用意してくれたばかりか、その保証人にまでなってくれた。
いくら向こうが若い人間を欲しがっていたとは言え、あのご厚意がなければ僕は相当な苦労を強いられていたはずだ。
「でも……」
「住む場所も職場も、急いで選ばず決めるなんてのは薦められないかな。脅すわけじゃないけど、足元見られて金貨一枚じゃ到底足りない損をさせられる」
俯く彼女の顔に、焦りが滲む。本当は、オリヴィアさんだって喉から手が出るほどお金が必要なのだ。
「……大怪我を負って、生涯後遺症を抱えながら生きるはめになったり、最悪、死んでしまうことだってあるんだ。地力の弱いうちは足場を疎かにしないほうがいい」
オリヴィアさんが、目線を上げる。視線が重なり合い、考え込むようやや下げて少ししてから、彼女は遠慮がちに金貨を受け取った。
「ありがとうございます。必ず、お返しします」
よかった。そう、僕も思わず安堵の溜め息を漏らす。なんとか無事渡すことができたし、一安心と言ったところだろう。
みんなも焦ってヤバい職場や酷い物件に当たらないよう気をつけようね