第十一話 朝食を摂った
今回多少長めな割に胸糞です。ごめんなさい。
「……ジョージさん、ジョージさん」
久々に熟睡してしまったのは、アラームをかけずに寝たからか、それとも昨日の怪我が思ったより体の負担になっていたからか。もしかすると、同じ部屋にいる他の誰かのおかげなのかも知れない。
名前を呼ぶ声は、耳から胸の奥へ融けていくような心地よいものだった。目を開け、体を起こし、声の主へと返事をする。
「……おはようございます。エマさん」
目の前には、既に身支度を大方整えたエマさんの姿があった。爽やかな顔というのは、きっと今の彼女の表情を言うのだろう。
「はい。おはようございます。今日も気持ちのよい朝になりましたよ。絶好のお買い物日和となりましたね」
窓の外を見ると、たしかに陽が遮られることなく窓から部屋へと差している。元いた世界の社員寮の部屋は、窓の外にすぐ別の寮の窓といった有り様だった。なので、自然な光源でここまで明るくなる部屋に、少し感動してしまう。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「はい。久しぶりに、夜中目が覚めなかった気がします」
「それはよかったですね」
エマさんが、僕の頭を撫でる。あからさまに子供にするようなその手つきは、例えば同い年の同性であれば「やめろよー」などと、冗談混じりに嗜めたくなるものなのに、僕は美人に弱いらしい。我ながら情けない男なのだなあ。
なんとか退行欲求を振り払いやめてもらったあと、洗面所などの場所を教えてもらってから顔を洗い、今できる範囲での身支度を整える。タオルはエマさんに貸してもらったとは言え、今日の買い物で自分の日用品を揃えよう。
「おはよー」
階段に向かう際、エヴァちゃんとばったり出くわした。寝癖のついた髪を手櫛で解そうとしきりに指を通している。まだ小さいのに身嗜みに気を使っているあたり、僕も見習わなければならない。
「おはようエヴァちゃん」
「うん。なんでお母さんと仲悪いの?」
……まあ、子供というのは、率直なものである。エヴァちゃんの様子から見るに、わかったうえで僕をからかっているわけではなさそうだ。さりとて女将さんと僕を仲良くさせようという雰囲気も感じさせないあたり、純粋に不思議で仕方ないのだろう。
「仲が悪いわけではないよ。そもそも、昨日が初対面だったしね」
「でもお母さん、ジョージのこと悪く言ってたよ。『雰囲気が暗い神経質そうなガキだ。あの陰気な顔と一緒にいるだけでこっちまで気分が塞ぐ』って。エヴァ、昨日あのあと愚痴に付き合わされたんだから」
あらかじめ言っておくけれど、別に女子やおばさんに限らず、世の中にはどこにでもそういう人がいるものである。別に彼女は僕個人を嫌っているわけでなく、ただ何気なしに腹の虫の居所が悪いとき、たまたま僕という不審な男が現れたので不満をぶつける八つ当たりの相手として選ばれてしまったのだろう。そしてエヴァちゃんに共感や同調を求めたのだ。
「大変だったね。たぶんお母さんには、昔何かがあったのかも知れないね」
「何があったの?」
「おじさんには、わからないけど……」
「おじさんじゃないじゃん。ジョージ、エヴァと同じ子供でしょ?」
子供とは失礼な。こんな膝丈ぐらいの子にまで言われるのは癪なので、大人としての威厳を込めて教えてやることにした。
「俺は子供じゃないよ。これでも二十も半ばに差し掛かっているんだ」
「えー、見えなーい! きゃはは!」
な、なぜだろう。精一杯威厳を込め、背伸びをしてまで言い放ったというのに。目の前のエヴァちゃんときたら、お腹を抱えてケタケタ笑うばかりだ。笑いを取れたのは嬉しいことであっても、この反応は若干悲しいものがある。
そう思っていたとき、ちょうどエマさんが階段から降りてきた。
「あら、エヴァちゃんおはようございます。ジョージお兄ちゃんとお話されていたのですか?」
「うん。ジョージがね、自分はもう大人だってぇっ!」
エヴァちゃんはエマさんに報告したあと、またお腹を抱え一頻り思い出し笑いをはじめるのであった。そんな面白いこと言ってないが……ツボがわからん。
「ジョージさん、小さな子相手に嘘をついてはいけませんよ? エヴァちゃんが真似をしてしまうかも知れません」
「エヴァ小さな子じゃないし」
「あの、俺も本当は子供じゃなくてーー」
「二人とも、嘘はいけません」
もちろん、エマさんは本気で僕らを叱っているわけではない。実際彼女は今、溺愛するバカ犬に対し「めっ」と言う飼い主のような顔で僕らを見ている。つまり僕は大人だと言う主張は、子供をあしらう扱いで足りる程度の説得力しかないのであった。悲しいなあ。
「はーい」
「ジョージさん、返事は?」
「……はい」
別に気力が尽きたわけでなくとも、ここまで大人っぽさを感じないと繰り返されれば堅い意志も折れてしまう。それが心から反省した態度にでも見えたのか、エマさんはまた僕らの頭を撫ではじめた。
「よしよし。二人とも、素直に謝ることができて、とっても偉いです」
「や、やめて下さいってば」
よし。今度はすぐに遠慮してやめてもらうことができたぞ。こうやって小さなことから誇りを取り戻していこう。そう思った矢先、心地よさげな顔をしていたエヴァちゃんは、意地悪そうに笑いながらこう抜かしやがったのだ。
「あのねエマさん、ジョージほんとは嬉しがってるよ」
「は、はあ!?」
「あら」
が、ガキが……なめてると潰すぞ! そう胸の中でドスを効かせていると、いきなりエマさんに引き寄せられた。
「うわ、ちょ、ちょっと!」
「もう、ジョージさん。甘えたいなら遠慮せずに言って下さいな~」
別に密着はしていない。ただ腕の中にいるというだけである。それなのに酷く安らいでしまうのだ。堪らな……げふんげふん。失礼、堪ったものではない。なんなのこの人!? 愛の風紀委員○巻千鶴子なの!?
「え、エマさん、勘弁して下さい」
だいたい、いくら僕がこの世界の人たちから見て子供に見えたとしても、このエヴァちゃんのような幼児という認識ではあるまい。どれだけ幼く見られていたとしても、中学生には見えているはずだ。
つまり、そんなガキに大人の女がこうまでベタベタとスキンシップを取ってくること自体が異常である。このエマさんも、間違いなく親切で優しい人ではあるけれど、普通ではないと判断するべきだろう。
「ジョージさんが、エヴァさんと仲良しになって下さったのは大変喜ばしいことです」
「はは……別に友達いない子ってわけじゃないんですよね?」
多少目上に対し生意気ではあるが利発そうだし、とくに問題ないだろう。そう思いながら聞いたものの、エマさんの表情にやや影が差す。
「もしかして、虐められてる……とかですか」
「あ、いえいえ。そういうわけではないのです。けど、その。今はお友達とそりが合わないようで……」
修復が難しくなるレベルの喧嘩でもしてしまったのだろうか? 大人になれば、違う仕事をしたり、引っ越したりすることで人間関係を変えることができる。けど、子供のうちはそれができない。
「昨日の今日でもう打ち解けるなんて、さすがはジョージさんです。私やアンナと打ち解けるまでは、多少の時間が必要だったものですから。きっと年齢が近い同士、仲良くなりやすいみたいですね」
いや、別に近くはないのだけれど。それこそ、子供を作るのが早い場合は親子ぐらいの差があるはずだ。実際マイルドヤンキーと呼ばれるようなタイプの同僚たちは、十代のうちから子供を作る奴も半分ほどいたものだ。けれどーー。
「ちょっと、注意して見ておきます」
僕の言葉に、エマさんはホッとした顔で頭を下げた。
「お願いいたします」
その後、一階に併設された食堂で朝食を摂った。一食五十ギルとしては量も十分で味も美味しく思えたが、作っているのは女将さんだ。自分のことを悪く言っていた人の前にいると、何もしていなくとも妙に居心地が悪い。
「ご飯はよく噛んで食べなければいけませんよ」
「あはは……お、お腹すいてて」
エマさんに注意されたものの、早く食べたくなる気持ちもわかって欲しい。
「それに、ご飯も美味しいですし」
「坊っちゃん味がわかるんだねえ」
女将さんは笑っている。笑ってはいるが、にこやかな表情とは裏腹に、その瞳の色はシニカルだ。
「ごちそうさまでした。とりあえず、上で待ってますよ」
「それでしたら、アンナを起こしてきていただけませんか?」
「わかりました。普通にノックして名前呼べばいいんですよね?」
「はい。よろしくお願いいたします」
別にそれぐらいなんてことない。むしろ、今も和やかさを装いながら「それ以外の方法があるのかねぇ」なんて嫌味を放ってくる女将さんから離れられるなら、お安いご用ですらある。
「じゃあアンナさんのぶんは包んでおこうか」
「いつも申し訳ありません」
「いいんだよ。エマさんとアンナさんはお得意さんだから」
階段を登るうち、話し声は聞こえなくなると、多少胸のムカつき具合が収まってくる。食ってる最中だって、僕とエマさんが話しはじめると、すぐ自分とエマさんしか知らない話を割り込んではじめていたし。あまり他人にこういうことを言いたくはないけれど、ああいう何もしないうちから因縁をつけてくるタイプは苦手だ。
とは言え、ここは外国……ではなく異世界だし、元いた日本よりも自己主張の強い人たちが多いのだろうな。冒険者ともなれば、色んな人と接することになるだろうし。エマさんやアンナさんがいる手前。実害がないぶんこれぐらいは我慢だ。
昨日アンナさんを運び込んだ部屋の前に立ち、ノックをする。二度、間を置いて、さらに二度。返事はない。
「アンナさん。朝ですよ。あの、アンナさん」
ようやく物音がして、こちらへ人が向かってくる気配を感じることができた。なんだ、あの深酒の割には、思ったより早く起きてくれるじゃないか。やっぱり外国人はアルコールの分解が早ーー。
「ちっ……うるせーよエマぁ」
勢いよくドアが開き、僕の体の真っ正面から左半身に当たる。痛いなあ。いや、でも予想していたよりは痛くない? これは昨日教えてもらった魔力とやらが衝撃を軽減してくれたからなのかしらん?
「メシはちゃんと、ピクルス抜いてもらって……」
半端な場所で止まったドアの向こうから、アンナさんが姿を見せ、見せ……。
「きゃあああっ!」
普段のカッコいい雰囲気の声からは想像もつかない、絹を裂いたような悲鳴が響く。それを上げる動転したアンナさんの格好は、こう、端的に言ってしまうと、酷く無防備かつあられもないものだった。
名誉のために言っておくと、別に僕が事態を認識してから、顔を背けなければと思うまでの間、決してモタモタしていたわけではない。見てはしまったけど一瞬だったし、そもそも今回は僕にもアンナさんにも不測の事態だ。
しかし、アンナさんは剣士である。飛んできた拳に僕は反応すらできず、吹っ飛ばされるようにもんどりを打って倒れ込むしかなかった。
「ってジョージか!? わ、悪い動転して! 大丈夫かしっかりしろ!」
立ち眩みで倒れた直後のように、視界がぼやけている。アンナさんは戻って服でも昨日の鎧でも着るか、せめてドアで完全に体を隠してくれたらいいのに、あわあわと半端なポジションで僕へ呼び掛けている。
なんだか、昔学校へ通っていたときのことを思い出すなあ。中学へ上がってから、なぜか女子更衣室ではなく教室だったり、準備室だったり、それらから少し離れた廊下で着替える女子と遭遇してしまうたび、僕ら男子は罪もないのに気まずい思いをさせられたものである。まさかあの思いを学校を出てから、しかも異世界でまで味わう羽目になるなんて。と言うかアンナさん早く服着て下さい。今視界が不鮮明で本当によかった。
「ど、どうしたんだい!? まさかこのガキに何かされたとか……」
「じょ、ジョージさん!? しっかりして下さい! アンナ、何があったのですか!」
「お、起き抜けだったからつい殴っちまって……」
「ああ、やっぱりろくな奴じゃなかったんだ! こんなことになるなら、昨日追い返しておくんだったよ!」
「ねえみんなー、ジョージ鼻血出してるよー」
うんエヴァちゃん。それは性的興奮のせいじゃなく、鼻の粘膜が外傷で傷ついてしまったからなんだ。だからくれぐれも勘違いのないようにね? それにしても、まだ目眩が収まらないなあ……アンナさんがなるべく早く誤解を解いてくれるといいのだけれど。
たぶん次か、次の次ぐらいで軽めのバトルやります。そこまでお付き合いいただけると…ほんとすいません。




