第一話 異世界転移していた
そこは解体がはじまってからまだ一年足らずにも関わらず、死亡事故が既に五件起きている現場であった。
別に、無茶な条件で働かされているわけではない。たしかに週六日勤務かつ重労働ではあるものの、高所での作業中はきちんと安全帯を使わせてくれるし、休憩も適度に取らせてもらっている。
なのに五件の死亡事故に加え、感電や失明、手足や指の切断という悲惨な大怪我、さらに骨折などの重傷も含めれば倍の負傷者が出ていた。
もしかして、何か悪いものでもいるのだろうか。そんな不安が頭を過る中、手元と呼ばれる下働きとして、ガラという名の重機で壊した建物の破片を片つけている僕の耳に、ともに作業をしている誰かの叫び声が聞こえた。
「危ない!」
声に反応し顔を上げると、重機のアームの部分が猛スピードで僕のほうへと迫っていた。そんなはずはない。重機が止まっているのはこの目と耳でしっかりと確認していたのに。
足を動かし逃れようとしたが、もう間に合わない。重機の動きは速いだけでなく強力だ。僕がヒイヒイ言いながら曲げる、絡んだ形になったコンクリートの中の鉄筋を、あれは数十本ほどまとめて糸クズのように丸めてしまえるのだから。
終わったな。二十代も半ばに差し掛かった程度だと言うのに。なんにも成し遂げられないまま終わる、あっという間の短い人生だった。
まだ小学校に通っていた頃、教師が厭らしい笑みを浮かべながら「真面目に勉強しなかった奴は使い捨ての仕事にしか就けない」と語っていたのを思い出す。その頃の僕は、普通に授業についていけて劣等生になる前だったけれど、それでも酷く不愉快な気持ちにさせられたものだ。十余年経った今でも、あの教師への嫌悪感は消えていない。
実際、今僕は使い捨ての肉体労働者として生を終えようとしている。先生の言葉は、間違いではなかった。それを我が身を持って思い知らされるというのが、なんとも皮肉な話である。
こんなことになるなら、勇気を出してもう少し事故の少ない現場に変えて貰うんだった。いや、今日みたいなことになる前に辞めるとか、違う仕事を根気よく続けるとか、最悪日雇いバイト代や炊き出しで凌ぐホームレス生活でもいい。
とにかく計画性があろうがなかろうが、心の底からは納得できない仕事をしないのだという本心に従い主体的に行動していれば、こうはならなかったのである。そして、流されるがままにそれができなかったからこそ、僕はこの結末を迎えることになってしまった。自業自得と言われれば返す言葉もないが、それでも少なからず後悔の念を抱いてしまう。
ぶつかる瞬間、体が浮いた気がして次の瞬間には目の前が真っ白になった。以前青信号を渡っていた際、突っ込んできた車に跳ねられ足の骨を折ってしまったときは、こんなふうにはならなかった。観念するしかないようだが、一瞬で終われるのは信じていなかった神様からのせめてもの手向けであろう。
なかなかに、世をも人をも恨むまじ。時にあはぬを身のとがにして。今川氏真が読んだという句を、口先ばかりの殊勝な気持ちで胸の中に歌いながら、僕は一面の白の中へ意識を手放したのだった。
目が、覚めた。眠りからの起床とは違う、急にスイッチが入ったときのあの感覚。気絶していたのだろうか? とりあえず体は動くので身を起こし、周囲を見渡す。なぜか僕が身を横たえていたのは草の上で、辺りには樹木が生い茂っていた。軽く体を動かすが、痛みはない。少し口の周りがヒリつくが、おそらく地面の草で軽く擦りむいただけだろう。
何もかも、異常としか言い様のない状況だった。仮にあの状況で生き延びたとしても、実質無傷なこと。病院のベッドの上どころか、見知らぬ土地の草の上に寝ていたこと。そして、都市部での解体作業に従事していたにも関わらず、どういうわけか森の中らしき場所にいること……。
「……わからない」
別に、単に僕の頭が悪いから、というわけではないはずだ。こんな状況に置かれたなら、きっとアインシュタインやF・ベーコン、○岡弘、だって戸惑ったことだろう。とは言え、いつまでもここにいたって仕方ない。
よろしくお願いします。