第四話「過去の傷」
「畜生……」
結局無駄に肉体労働させられて無駄な電車代だけ払わされただけだった。哲也にとっては会いたくもない少年との再会でイライラは募るばかりだ。
車窓から流れる流星のような光がいくつも流れていく。
『テッちゃんはバスケやんねーの?』
「……とか言った奴がバスケできない体になってどーすんだよ……」
哲也のつぶやきは誰も聞いていない。
電車の中の一般人はスマホいじってるか偉そうに文庫本読んでたりアニオタっぽい奴は動画を見てるようだ。
「キメェんだよ」
何がそんなに面白いんだよ。
答えは出ずにただただ規則性を持って進む光を再び追いかけ始める。
「……で、なんだこれは」
「なにってカレーですよ?」
いや、そこじゃない。
「あーー!! わっかりましたよ!! 『こんなものはカレーじゃない。明日本物のカレーをお見せしましょう』って渋い感じで」
「ちっげぇーよ!! なんでお前がここにいるんだって言ってんだ!! ってかなんで俺ん家で飯食ってんだ!!」
「いやー華恋さん結構なカレー好きって事でこりゃーいっぺん食べに行かんとですたい!! って言ったら意気投合しちゃって!!」
ハイテンションなアサリアにドン引きして、もはや返す言葉もなくなった。
「哲也も食べよ。今回のカレーは私の自信作なんだから」
「へいへい……」
食卓の椅子に座り、さっそく一口。
「……ふん」
「やったーーー!! 哲也が喜んだ!!」
「ええぇーーー!!! 今ニヤリともしてなかったですよ!?」
確かにニヤリともしていない。口角は相変わらず下を向いたままだ。
「これは哲也の上機嫌の顔よ。ちょっとでも気に入らなかったら文句言うんだからこの子ったら」
「なるほどなるほどーー! じゃあアキラさんと会った時も同じ顔してたからきっと」
「アキラの事は話すんじゃねぇっ!!!」
テーブルをひっくり返すんじゃないかと思うほどの勢いでぶん殴り、カレーが少し溢れる。
「……二度とこの事には触れるんじゃねぇ」
哲也はさっさとカレーをかきこむ。
「嫌です」
「んだと……」
哲也にも堪忍袋の尾がギシギシと音を立ててるのがわかる。
次なにか言ったら殴ってしまいそうだ。
「どうしてそこまで怯えてるんですか?」
その一言で十分すぎた———。
「テメェ!!」
立ち上がった哲也の拳がアサリアの頰めがけて放たれる。だが……。
「ぐっ!!」
透明なアクリル板でもあるかのように、鈍い音を立てて拳が弾き返される。
「私には届きません。私が天使だって事忘れました?」
いわゆるバリアと言うものなんだろう。そうとわかっても哲也は何度も拳を叩きつける。
「てめぇに何がわかるってんだ!!! クソオタクに俺の気持ちなんぞわかってたまるか!!! おらっ!! どうしたキモオタ!!! かかってこいよ!!!」
「哲也っ!!! やめなさい!!!」
姉の制止も振り払い、哲也はなおも拳を振り上げる。
「はぁ……仕方ないですねぇ」
「あぁ!? テメェオラこいよ!! こいっつってんだ……よ……」
哲也はたまらず膝を折る。
なにが起きたのかわからなかった。ただ水落を何かでえぐられたって事くらいはわかる。
「かかってあげてもいいですけど……そうですねぇタイガーボールの怒りで目覚めた超戦士レベルじゃないとうっかり私殺しちゃいそうですので……出直してもらえます?」
ようやく哲也にも攻撃されたのだと言う事を理解できた。
「仮にも天使です。いざと言う時は身を守る技くらいありますよ」
お茶をまったりと啜る姿には、いつものようなふざけた態度ではなく、どこか風格があった。
「てめっ……この前コミサじゃ……」
「あんな大量の人の前で魔法なんて使えるわけないでしょ……まぁいざとなったら気絶させようとは思ってたけど」
(ふざけんな……これじゃ俺がまるで三下じゃねぇか!)
三下もなにもその通りなのだ。天使と言う特別な立場を手に入れた時点で大抵の人間には太刀打ちできない。
そのレベルの能力差があるものなのだ。
「ま、それはさておき」
お茶を置いて哲也に手を差し伸べる。
「私は大切な事だと思ったからアキラさんと会わせたんです……もう少し、意味を考えてみてはいかがですか?」
しばし呆然とアサリアの手を見つめていた哲也が、その手を払い除ける。
「るっせぇよ」
そのまま自分の部屋に戻る。
「哲也……」
涙を飲む姉と残されたカレーと何かを思い信じている天使が残された食卓で、涙のように流し台の甘く閉められた蛇口から水滴が落ちる。
「テツ!パス!!」
哲也のフェイントも加えたパスがチームメイトにわたる。
「っ!?あわてんな!!戻せ!!!」
ゴールめがけて掲げたボールは弧を描く。
だが、その軌道を阻む手が振り下ろされる。弾むボールをトモが拾う。
「じっくり行こう!あわててチャンスつぶすんじゃねぇ」
「すまない……パス!!」
哲也達はパスを回してチャンスを作っていく。
哲也にパスが回った一瞬、相手のガードにスキができた。それを見逃す哲也ではなかった。
「っ!」
極限まで低くしたドリブルでゴール下まで走り抜ける。ゴールに向けて飛び上がった哲也を相手のブロックが阻む。
「はっ」
一瞬よぎった感覚に頼り、右手で掲げていたボールを左手に持ち帰る。そのまま放たれたボールが赤いリングに吸い込まれる。
「よっしゃあ!さすがテツ!!」
「……チッ」
入ったが、喜びはわかない。
(所詮は真似事……か)
「いやーーー!! スカッとしましたよぉ―――!! ナイッシューですよ!!」
開いた口がふさがらなかった。
先日喧嘩をしたはずなのに、いつも通りのテンションで話しかけるアサリア。だいたい学校の練習試合に潜入してくるあたり本当に空気を読んでない。
「ダブルクラッチって言うんですか? 空中で回避しているみたいで華麗ですよ!」
「……ダレデスカ!テメェハ」
「ひどい! あの夜のこと忘れたのねぇ!! うわぁーーーーん!!!」
「すみませぇ~ん! 警備員の人! 変質者がいま~す」
「ちょ! おまっ!!」
あわててその場を離れるアサリアを一瞥して哲也はチームメイトのもとに向かう。
「今の誰だ?」
「しらね……なんか絡んできたから警備員呼んどいた」
「とか言って実はテツの女なんじゃねぇのか?」
「冗談はよしてくれ……」
なんであんなやつを恋人にしなきゃいけないのか……。
「それにしてもよかったぜ! 最後のシュート!」
「ああ、あそこは普通にレイアップしかないと思ってたぜ」
レイアップシュート。ドリブルシュートとも呼ばれるそれはシュート成功率のもっとも高い技でもある。
あの時間もぎりぎり、一瞬のスキを突いたドライブから相手全員が虚をつかれたはずだった。実際の哲也もそう思っていた。
だが、読まれていた。哲也からしてもあのクラッチは苦し紛れもいいところだった。
「アキラ……」
以前にも、同じように哲也の行動を読み切った男がいた。
最も、その男は哲也によって同じ舞台に立てない体になったのだが……。
(ちっ……俺も俺だ……この前アキラに会ったからって何なんだ)
『ウゼーんだよ!! 死ね!!』
過去の記憶が蘇る。
『くっ! テメェ!!』
思い出すだけで吐き気が出るくらいの嫌悪感。
『うわぁーーーーーーーーー!!!』
『自業自得だ。バーカ!』
「自業自得だな……俺も」
ロッカーを閉じる。
練習相手の学校に挨拶だけはしないと先生がうるさくなるのはわかってたし、早々に部室を出る。
「お疲れ様ですっ!先輩!」
「…………」
言うまでもないかもしれないが、目の前に哲也の学校のコスプレをした馬鹿がいた。
とりあえず無視をしてそっぽを向く。
「ちょ!なーんで無視すんですか!あれですか!もう現実に満足出来ない体にでもなったと言うんですか!?二次元オンリーですかぁ!!」
「ウザすぎる!テメェいい加減にしやがれ!!」
「アキラさんの今。見たくないですか?」
「は?」
「アキラさん……今もバスケしてますよ」