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人生はいつもちょっとだけ寂しい。

作者: しぃば

「人生はいつもちょっとだけ寂しいものだよ。」

そう言った彼女は、今どこで何をしているだろう。


ベランダで、遠く実物よりも極めて小さく見える東京タワーを眺めつつ、

そんなことをふと思う。


今夜はやけに冷え込んでいて、

くっきりと見えるミニチュアの東京タワーは健人の気持ちを少しだけ暖める。

この寒さでは、煙草を吸いに外に出るのも憚られたが

くしゃくしゃに萎れた、何年も前に母が買ってくれたダウンを羽織り

やっとの思いでベランダへと出て、煙草を吸っていた。


「ちょっとなんて嘘だ。」と呟く。

少なくとも今の健人にとってはそうだった。


火種をもみ消し、もう一本へと火をつけた。


大学を卒業して入社し、今日まで働いた会社を

健人は辞めた。


大きな理由があった訳ではないが、数週間前に

「もういい。」と

なぜだか急に思ったからだ。


健人はそう大きくはない出版社で働いていた。

小さな頃から本が好きで、部屋には山積みの小説がビル郡のように置かれている。

健人のいた部署は人手不足で、入社当初から山のように仕事を抱えた。

そのせいで多くの失敗をしたが、その分多くを学び成長した。

ここ一年ほどは、重要な仕事も多くやるようになり残業や休日出勤も多かった。


趣味が読書以外は特になく、友人も少ない健人にとっては

そう苦ではなかった。

健人自身やり甲斐があると思っていた。


だけども

「もういい。」となぜだか不意に思い

退職を決意した。


二本目の煙草の半分が煙になった頃、スマートフォンが鳴った。


________

今度の休みいつー?

________


今でも唯一連絡を取りあっている友人、山中隼人だ。


健人は悴んだ手で、返信を打つ。


________

今日仕事やめてきた

いつでも空いてる。

________


送信すると同時に、既読が付く。

煙草を揉み消していると、今度は電話が鳴った。



「よお。」

「よおじゃねえ!辞めたってどういうことだよ!聞いてないぞ!」


隼人は勢い良く怒鳴った。


「だって言ってないし。」

健人は隼人の勢いに全く動じることなく答える。


「そういうことじゃない!

今家だろ?今から行くから起きてろよ!」

そう言い放った隼人は電話を切った。


「やっぱ怒るよな。」

健人は冷え切った体を振るわせつつ、部屋の中に戻った。




隼人は物心付く前から遊んでいた親友だ。

今は都内にある洒落たイタリアンの店のシェフをしてる。

その業界の中では、若手としてかなり実力があるらしく知る人ぞ知る存在だそうだ。


昔から活発で、人付き合いの苦手な健人とは正反対の人間で

友達も多く、女子からも男子からも人気があった。

内向的な健人の、唯一の理解者であった。


隼人は頻繁に健人と健人にとっての外の世界とを繋ぐ架け橋で、

そのおかげで健人は小中と

特にいじめられることもなく過ごす事が出来た。


中学に入ると、決まりににより部活に所属しなければならなくなった。

可能であるなら入りたくないと思っていた健人にとっては一大事だった。


そんな健人を隼人は、吹奏楽部へと誘った。


隼人は運動も得意だったが、音楽が好きでトランペットを昔から吹いていた。

腕前はかなりのもので、コンクールなんかでも幾つもの賞を取っていた。


早との誘いでは、断るまいと入部することにした健人だったが

どの楽器も触れたことすらない健人は困った。


「お前ジャズ好きだろ?サックスにしろよ!かっこいいぜ!」

隼人にそう言われた。


父親がジャズ好きな人で、良く耳にしていた健人はジャズ独特な雰囲気が好きだった。

「確かにかっこいいかも。」

そう思い、サックスを吹くことに決めた。


入部後、サックスのパートに無事なる事が出来た健人は

新たな壁に出くわした。

分ってはいた事ではあるが、女子ばかりの環境は

人付き合いの苦手な健人には相当なハードルだった。

緊張して上手く話すことが出来ず、次第に孤立していった。


隼人に助けを求めたいと思っても、違うパートであるし

真剣に練習している隼人を見ると

心配を掛けたくないと思い、遠慮してしまう。


パートごとの練習は特に苦痛だ。

健人はほとんど会話に入ったり出来ず、自分ひとりで何とかするしかなかった。


ある雨の日のパート練習中。

グループの輪から離れ、一人楽譜とにらめっこしつつ

「もういっそ辞めた方が、楽なのかな」と呟いた。


もうすっかり湿気が多くなり、蒸し暑さを感じるようになっていた。

今朝のニュースでは天気予報士が関東の梅雨入りを告げていた。


周りの音で誰にも聞こえてないと思っていたが

後ろから、

「辞めてもいいけど、次は何するの?」

と声を掛けられた。


聞かれてしまったと思い

振り返るとパート長で副部長の長谷優奈だった。

長谷は学校でも指折りの美人で、一年生の健人のクラスでもファンが多かった。


もちろんそんな人に話しかけられて、緊張しない訳もなく。

黙り込んでしまう健人。


そんな健人に長谷は、

「奥山君サックスのセンスあると思うんだ、だからもっと色々教えたいと思ってるんだけど。

皆ちょっとやりすぎだよね。」

と言った。


健人は、センスあるという言葉に心の中だけで飛び上がるほど喜んだ。

長谷は吹奏楽で有名な私立高校からサックスで声を掛けられていて、父親はプロのサックス奏者で

健人の父親が持ってるジャズのCDの中にも長谷の父親がサックスで参加しているものがあるほどだ。


その人からセンスがあると言われれば、本当にそうかもしれないと思わずにはいられない。


「皆にもちゃんと言ってみるから、奥山君ももう少し緊張をほぐして一緒に吹いてみない?」

その言葉が、中学一年生の健人には大きく響いた。


それから、長谷を間に挟みつつではあったがパート練習で他の女子とも話すようになっていった。

長谷は積極的に健人に話しかけ、よく二人で練習をした。

その中で、沢山の話をした。

家族のこと、将来のこと、趣味が読書で同じこと、勉強を教えてもらったり。

長谷との会話は楽しく、とても心地よかった。

そんな中で健人は長谷に対して淡い思いを抱くようになった。


夏休みになり、楽器を吹く時間も多くなった。

もうずいぶんと打ち解けたパートの仲間と練習に励んだ。

休憩時間に隼人がやってきた、


「今日夏祭りに行くけど健人も行こうぜ!」

人ごみが嫌いな健人は

「俺はいいよ、本読みたいし。」

と断った。


すると隼人は耳打ちで、

「長谷先輩も来るぜ?」

と呟いてきた。


何で知ってるんだと健人は思っていると続けざまに

「俺にばれてないとでも思ったか!」

と耳打ちを続けられた。



その日の夕方。

隼人に、必ず浴衣か甚平で来るようにと言われたので

仕方なく浴衣を着て神社へと向かった。

浴衣を着た人々が同じ方向へ歩いていく。

出店の匂いが健人の腹をすかせた。


待ち合わせ場所の鳥居には一番乗りらしく、隼人たちの姿はなかった。

まだ明るいしと、鳥居横の木に寄りかかり持ってきた小説を読み出した。


十分ほど経ったとき、

「奥山君!」

と声を掛けられた。

長谷先輩だった。


長谷は浴衣姿で、普段のポニーテイルではなく、

きれいな黒色のロングヘアーをおろしていて、いつも以上に美人に見えた。


「長谷先輩。こんばんは。」

良く話してくれるおかげで、慣れているはずが

浴衣姿のせいか、緊張していた。

「こんばんは。奥山君浴衣似合うね!」

そういわれ健人はさらに緊張し赤面した。


緊張を何とか抑えつつ

「先輩も、ととっても綺麗です!」

と声を裏返しつつ言う。


それを聞いて長谷は少し赤面しつつ

「ありがとう。」

と微笑んだ。



しばらく話していると、

集合の時間に十分ほど遅れて隼人や他の面々が集まった。

皆で出店を回り射的や輪投げなどをして楽しんだ。


境内横のベンチで各々がお喋りをしたり買ったものを食べたりしていた

健人は人ごみで疲れたので、少しはなれて木に寄りかかり満月の月を見ていた。

すると

「俺らが来る前、長谷先輩となに喋ってた?」

と隼人がニヤニヤと近づいて聞いてきた。


「普通に話しただけだよ。」

と健人は答えた。

「なーんだ。せっかく二人だけにしてやったのに。」

と残念そうに隼人は皆の方に去っていった。


皆が遅かったのは隼人の仕業だったかと思いつつ、

まぁ長谷先輩と話せたし感謝しないとなとも思った。


「奥山君、疲れちゃった?」

と長谷がやってきて言った。


「はい、少し。人ごみ苦手なんで。」

「やっぱそうだよね、実は私も苦手なんだ」

そう言う長谷先輩の声はいつもと違い弱々しかった。

健人の隣で木に寄りかかり、俯いた長谷の表情見ようとしたが

俯いてるうえ、暗いこともありはっきりと見えなかった。

が、健人には悲しい表情をしているように思えた。


「この人も、きっと完璧じゃないんだ。

普段完璧に見えるけど、きっとすごい努力をしてるし

沢山傷ついてるのかもしれない。」

「出来ることなら、助けになりたい。」

健人は強く思った。



「先輩。月が綺麗ですよ。」

健人のその言葉で、長谷は顔を上げた。


その時の健人の声はいつもよりずっと大人びて、しっかりした声だった。


「本当。すごく綺麗。」

長谷はそう言いつつ、健人に微笑んだ。


その顔は健人の思ったとおり

少し悲しげで、でも相変わらず綺麗だった。


「ねぇ、奥山君。」

「はい?どうしました?」

「さっきの月が綺麗ですよって、そのままの意味かな?」

「え?」

健人は一瞬どういうことかわからなかったが少しして

長谷の質問の意図に気づいた。


夏目漱石だ。

読書好きの健人が特に好んで読んでいた作家。

教師をしていたときに「I LOVE YOU」を訳すなら

「月が綺麗ですね」と言ったそうだ。


やってしまった、健人は赤面した。

ただ元気付けたいと思って言ってだけだったのに

愛してるだなんて、言っていると思われた。

もちろん気になっているが、なかなか恥ずかしい。

健人は赤面し、どうしようもなくて俯いた。


「健人君。月が綺麗ですね。」

長谷はそう言って健人の頭を撫でた。


しばらく二人とも黙ったまま時間だけが過ぎた。

長谷先輩が頭を撫でて始めはびっくりしたが、しばらくして心地よく感じられた。


長谷の携帯が鳴る、

撫でるのを止め形態を見る長谷、

「山中君達先に帰るって。」

気付けば隼人たちの姿は見えなくなっていた。

見られてしまっただろうかと健人が心配していると、

「私達も帰ろっか。」

そう言って長谷は健人の手を握った。


二人は手を繋ぎ、微妙な距離感だけ残しつつ家へと向かって歩いていった。


長谷の家は健人の家までの通り道にあり、もう少しでたどり着く。


「先輩。」

「なぁに?」

「えっと」

肝心なところで緊張してしまう。

「どうしたの?健人君。」

長谷からの呼ばれ方が変わっていることに今更気付き

更に緊張してしまう。


「さっきの、月の話なんですけど。」

健人は勇気を振り絞り、言いたい事を言う決心をする。


「愛してます。先輩のこと気になってて

いつも話すと心地よくて、ずっと話していたいって思って、

今日浴衣姿見たとき、すごく綺麗で、いつも綺麗だけど

ずっとずっと綺麗で、いつもより緊張しちゃって、

一緒に出店回ってるときも楽しくて、

あとさっき、先輩も人ごみ苦手って言ったとき、

先輩も悩んだり苦しんだりしてて、完璧に見えるけど

完璧じゃなくて。だからきっと悩みとかは僕なんかより

ずっと大きくて大変で、そんな先輩を守りたいって、

そばに居たいって思いました。」

決心したのは良いが、言葉がまとまりきっていなくて溢れ出した。


暫く沈黙が流れた。

近くの家の風鈴が、チリンと涼しげに鳴るのが聞こえた。 


「もう、いっぺんに色々言いすぎだよ。

ありがとう健人君。

私も。私も健人君と一緒に居られたらなって思ってた。

よろしく…お願いしてもいいかな?」


「もちろん!」

健人はそう言い優奈を抱きしめた。


「健人君、携帯早く買ってね。」

「わかりました。」

そんな会話をして家へと帰っていった。




それから二人は付き合いだした。

優奈が中学を卒業し、私立の高校へ通うようになって

会う時間は減ったが、優奈の卒業前に

何とか親を説得して携帯を持つことが出来た健人は電話やメールで会えない時間を埋めた。


吹奏楽強豪校ということもあり、優奈にはあまり休日はなく帰りも遅かったが

数十分の電話でも二人には幸せだと感じられていた。

優奈は部活だけでなく、個人でもコンクール等に出ていたのでその忙しさは

一般の高校生より厳しいものだった。

健人は隼人や他の仲間と部活に勉強に励みながら、優奈を心から支えていた。


ある日の電話で、

「お疲れ優奈さん。」

「ただいま健人君。

聞いて!今度のコンクールでソロパート吹くことになったの!」

「おお!すごいね!聞きにいかなきゃね。」

「うん!きてきて!」

「そうだ、優奈さん。」

「どうしたの?」

「実は俺、優奈さんと同じ高校受けることにした!」

「うそ!本当!?前ご両親が反対したって…」

「何とか説得できたよ!だから頑張るね!」

「うん!応援してる!」

「隼人も同じとこ受けるって!」

「じゃあ二人で頑張れるね!」

そんな些細な、でも当人達にとっては幸せで貴重な会話

これからの未来は光で満ちていた。



しかし、結果として健人は落ちてしまった。


健人は酷く落ち込み。

自分の部屋に篭った。


公立の高校には受かったが、それでは駄目だった。


健人は携帯の電源を切り、誰とも連絡を取ろうとしなかった。

優奈とですら。


優奈は心配していた。

連絡が取れない健人の様子を少しでも知りたいが、部活も忙しくどうしようもなかった。


優奈は隼人に連絡を取り、健人の様子を見てきてほしいと頼んだ。



「健人。隼人君がいらしゃったわよ。」

「寝てるって言って。」

「起きてんじゃん!出てこいよ!長谷先輩も心配してんだよ!」

「いい。大丈夫。大丈夫だからほっといて。」

「勝手にしろ!長谷先輩は俺がもらうからな!」

そう言って隼人は帰っていった。


健人は暗い部屋で携帯の電源を入れた。


着信 優奈さん 99件

   隼人   99件


待ち受け画面には優奈とのプリクラ二人はとても幸せそうで、

今の健人には酷く突き刺さるものがあった。


暗い気持ちになりながら、留守番電話を聞いていく。


優奈です。

健人君。山中君から聞いたよ。

落ちちゃったんだね。でも仕方ないよ!

別々の高校でも今までと変わらないよ!

元気出して!


優奈です。

健人君!声聞きたいです。

明日コンクールだよ!ソロ吹くやつ!

見に来てね!


優奈です。

ソロ失敗しちゃった…


早く元気出して遊びに行こう!

二人で気晴らしに!


隼人だ

おい!長谷先輩から聞いた!

何してんだよ!

先輩のこと守るんだろ!

高校同じじゃなくなったくらいでいつまでも落ちてんじゃねぇよ!


健人は泣いた。

涙がかれるくらい泣いた。


暫くし、落ち着いた頃

優奈から電話が入った。


「もしもし健人君!大丈夫?」

「うん。なんとか。心配掛けてごめん。」

「凄く心配したんだよ!ばか!」

優奈の声は会話をするにつれ、振るえて鼻声になっていって

電話越しでも泣いているのがわかった。

「明日会えるかな?」

「うん、会えるよ。」

「大事な話があるの。」

そう言って優奈は翌日の約束を取り付けその日の電話は終わった。



翌日。

近所の公園のベンチで読書をして優奈を待った。

「健人君」

久々に見た優奈は少し痩せて疲れているように見えた。

「優奈さん。ずっと連絡取らなくてごめん。コンクールのことも。」

「いいの、こうして会えたんだし。

ソロのことは自分のミスだから仕方ないよ。健人君のせいじゃない。」

暫く連絡を取っていなかった間のことも話した。


「それで大事な話って?」

健人は昨晩の優奈のその言葉に酷く動揺していた。


別れ。


それが頭によぎって一睡も出来なかった。


「私ね、高校卒業したらアメリカに行くことになったの。

サックスのプロになる為に。」


健人は予想と違う内容に驚きつつ、一瞬安心したが

事の重大さに気が付いた。

あと一年と少ししかないのだ。

優奈の近くに居られる時間は。


「優奈さんごめん。沢山悩んだよね、そんなときにそばに居られなくて。

自分のことばっかりで、本当にごめん。」


「いいの、それだけ一緒の高校に入るために必死だったんだもんね。」


「行ったら行ったきりなの?」

「まだ分からない。そうなるかもしれない。」

「さすがに距離がありすぎて寂しくなるね。」


「そうだね。でも人生はいつもちょっとだけ寂しいものだよ。」


そういった優奈はあの時と同じ、少し悲しげだけど

美しい顔をしていた。


それから二人は優奈の高校卒業までの時間を沢山共有しようとした。

しかし優奈は相変わらず忙しく、

健人も少し遠い高校での学校生活と部活動で忙しくなり

気持ちとは裏腹に

だんだんと距離が離れて行ってしまうのを

お互いが感じていた。


健人高校一年生 優奈高校三年生のクリスマス。

何とか空けられた時間におおよそ二ヶ月ぶりに会うことが出来た。


「優奈さん調子どう?」

「まぁまぁかな。健人君は?」

「俺もまぁまぁ。」

前みたいに会話が弾んだりはしなかった。

距離が離れているからではなく、

本当に離れてしまう時間が近いからであることは

お互い、よく分かっていた。


「優奈さん。クリスマスプレゼント。」

「私からも。開けてもいい?」

「じゃあ一緒に。」

「「せーの!」」


健人から優奈へは手袋だった。

「寒いと演奏しにくいから。手は冷やさないようにね。健人」

メッセージカードにはそう書かれていた。


優奈から健人へは

「手袋だ!しかも同じブランド!色違い!」

メッセージカードには

「私が遠くに行っても、サックスは続けてね。健人君の演奏が私は一番好きです。優奈」


やはり運命の相手なんだと健人も、優奈も思った。


だからといって結ばれる人ばかりではない。


「健人君。ずっと考えてたんだけど、

今日で別れよ?」


健人の心はその心をしっかりと受け止めてしまった。

頭では、嫌だ、何とかして俺もアメリカに…なんて考えているのに。

心がその現実を受け入れてしまっているんだ。


「うん。それがいいかもしれないね。」

頭で考えていたことをすべて振り払い、健人は言った。


「手袋ありがとう。今まで本当にありがとう。」


「こちらこそ本当にありがとう。」


そうして二人は別れた。



年が明けて健人は吹奏楽部を辞めた。

高校入学時に親が買ってくれたサックスを押入れの奥に仕舞い込み、

読書に耽る日々を送った。



それから暫くして

春の訪れを感じたある日、隼人から電話がかかって来た。


「長谷先輩、今日発つって。」

「そうか。見送ってあげてくれ。」

「俺は部活で忙しくていけない。お前が行け。」

「俺も色々忙しくていけない。」

そう言って隼人の返事も待たずに電話を切った。

特に忙しくはなかった。


それから隼人とも特に連絡を取らず、

優奈とも連絡を取ることも無く

高校生活を送った。


本に関する仕事がしたいと思い、出版社へ入ろうと東京に出ることにした健人はとりあえず都内の大学へと進学することにした。


無事に大学を卒業し、念願だった出版社に就職することが出来た。


仕事をしだして、

担当していた小説家が次回作の打ち合わせで指定してきたイタリアン料理屋で

隼人と再会を果たした。


すぐに意気投合し、また頻繁に連絡を取るようになった。




ドンドンドン

玄関を叩く音が聞こえる。

「呼び鈴付いてるんだけどなぁ。まったく。」

重い腰をあげて、玄関を開けると隼人がすぐに入ってきた。


「で!どういうことだよ!」

かなり大きい声だったので、

「しー!静かに!近所迷惑だから!」

と健人は諌める。


お互い腰掛け、健人が事の内容を説明しだす。

急にもういいという思いに駆られたこと。

辞めても今度自分で書いた小説が出版されることが決まっていて、貯金もあるし当面は困らないこと。


すべて話し終える頃には隼人も冷静になっていた。


「昔みたいに、篭ってしまわなくて良かったよ。」

隼人に言われ

健人はどきりとした。


「本当は篭るつもりだったけど、こんな時間にあんなノックされたら入れるしかないだろ。」

「あったりまえだ!お前が二度と篭らないようにって言われてんだからな!」


「あっ!」

隼人は口を押さえる。


「誰にそんなこと言われてんの?」

そう聞きつつ、健人の頭の中には一人の黒髪ロングの美人が浮かんでいる。


「言わない!言わんぞ!」

そう言って隼人はベランダに出て行った。


健人は、隼人が言わないのなら良いかと思った。


追っていくと煙草に火をつけていた。

相変わらず遠くにはミニチュアの東京タワーがくっきり見える。


「今度自分の店を出すんだ。お前時間あるだろ?

週に一度でいいからサックス吹いてくれないか?」

唐突に言われ驚く健人。


「お前がずっと吹いてないことも、でもこっちに持ってきてることも知ってるぞ。」


事実だ。言ったことはないが、時々寝泊りしていたのでそのときに見つけたのだろう。


「人前でなんてもう吹けないよ。」

健人は本当に自信が無かった。


「それでもやって欲しい。お前に演奏して欲しいんだよ。

お前がサックスまだちゃんと持ってること知って、いつか自分の店を持てたらお前に演奏してもらいたい、たまには俺もトランペット吹いて一緒に演奏したいってずっと思ってたんだ。」


隼人の余りに真面目な顔に健人は驚き、心が動いた。


「一緒に練習してくれよ。」

そう健人は言って、自分も煙草に火を付けた。



一月後、健人は

都内某所の隼人の店にやって来た。

[デュエット]という店の看板を見て、

「デュエットは異性との二重奏で、男同士で演奏するならデュオだろ」

と小さく呟き中へと入る。


「よく来た!持ってきたか?」

隼人がトランペットを持って待っていた。


もうすぐ十年近くが経とうとしていたサックスはかなり酷い状態で、吹けるようにするのに修理に出した。

その為、今日が練習初日。

オープンで演奏するまで一週間しか無かった。


二人は準備をし、とりあえず演奏を始めてみた。

意外と音は出せたが、長年の煙草のせいもあり息が細く

弱々しい音が出てしまう。


「煙草止めなきゃな。」

と健人は言う。


「確かにな、少なくとも減らそう。」

と隼人は答えた。


一週間二人は禁煙し、本番当日

オープンの日を迎えた。


回転は十九時

演奏は二十時半からだ。


健人はオープン前に店に入り、準備をした後

友の料理で空腹時を満たす事にした。


そういえば朝から何も食べてない。

と思い、ボリュームのありそうなものをいくつか頼んだ。


「食べ過ぎて吹けないなんて言うなよ。」

などと隼人に言われて、食べ過ぎには気をつけようと思ったが

隼人の料理の腕前は折り紙付きで、どれもしっかりと完食してしまった。


健人は久々に緊張していた。

十九時半頃になると、店はお客さんで埋まって来ていた。


食べ終わった健人は厨房横の控え室で音を出さずにサックスを練習した。


久しぶりに、とても緊張していた。

大人になるにつれて、緊張することも減って人付き合いもそれなりに出来るようになった。

あの頃を思い出させるほどの緊張に

「ちょっと煙草吸ってくる。」

と、隼人に言って、店の入っているビルの屋上へと上がった。


東京タワーがいつもより大きく見えた。

「距離が近いから当たり前か。」

と呟きつつ煙草に火をつける。


一週間ぶりの煙草は、身体に染み渡った。

緊張が少し取れた気がした。


一本吸い終わり、

サックスを持ってきていたので少しだけ練習しようと演奏しだす。


「一週間でよくここまでに吹けるようになったよな俺達」

なんて思いつつ、その音は

まだ寒さの残る夜空へと流れていった。



もう少し吹いたら中へ戻ろう、緊張も解けてきた、と思った頃


「寂しい音だね。」


と声をかけられた。


振り返ると人が立っていた。

暗い屋上で顔ははっきり見えないが

健人には、すぐに誰か分かった。


「優奈さん。」

「健人君。久しぶり。」


懐かしい、心地よい声だ。


「久しぶり。元気にしてる?」

健人はもっと聞きたいこと、話したいことがあると

強く感じていたが

それしか言葉にならなかった。


「元気だよ。健人君は?」

優奈はきっとあと時よりずっと綺麗だと思った。

そしてあの時より素敵な微笑みを浮かべてると思った。


「元気です。仕事辞めたりしちゃったけど

隼人がいてくれてとりあえずまともな人生初は歩いてると思います。」


何とか、まともだと言えるギリギリのラインに自分は居ると健人は思っていた。


「今日は宜しくね!」

優奈のその一言に、健人はとても驚き

暫く沈黙が流れた。


屋上に吹く風は、相変わらず冷たい。


「そうか、だからデュエット。」

健人は店の名前に納得がいった。


隼人はこれを狙っていたのだ。

サックスを見つけた時から、

もしかしたらそれよりも前から。


「隼人君から、健人君がサックスを辞めたこと

それでも持ち続けていること。出版社で働いてること

全部聞いてたの。」


優奈は話し始めた。


「私アメリカに言ってサックスのプロになった、だけど沢山仕事がある訳じゃなくてジャズバーなんかを転々としてる日々だったの。二年くらい前両親が事故で亡くなって、日本に戻ってきたの。」


優奈の声は昔感じた弱々しさを帯びていて、

健人は酷く悲しくなった。


屋上のドアが開き、

「おい時間だ夜二人共!」

と隼人がやって来た。


「健人君、頑張ろうね。」

「はい!頑張りましょう。」

階段を降りながら二人は離れていた距離を少しでも近づけようとしていた。


あの日別れた二人だが、気持ちは結局の所お互いを思っていた。


二人共常に寂しさを感じ今日まで生きてきた。


心にどこか小さな穴が空いてるような。


そんなちょっとだけ、心にあり続ける寂しさを

見ないようにしたり、埋めようとしたり

足掻いてきた。


だけど、二人はこの穴の埋め方を心の奥底では理解していた。


隼人はそれに気づいていて、この機会を二人に与えることにした。



サックスのデュエット。


二人の心は、寂しさを埋め合わせ

幸せなジャスの音色を、店に響かせた。


演奏が終わると、大きな拍手に店内が包まれた。


健人と、優奈はお互いに微笑みかけた。


ずっと感じてきた寂しさは埋まっていくだろうと

強く感じた。


二人はその後、隼人の店で演奏しつつ

健人は、二作目の小説で賞を取った。


優奈は、サックス教室を開く事になり多くの生徒を抱えた。


あの時描いてたものよりずっと大変な事な大きけど、

二人は幸せを、しっかりと感じていた。


しかし、幸せの中であっても

人生にはいつもちょっとだけの寂しさがある。


二人はそれを理解して、それと共存することで

幸せを幸せと感じて生きていくことだろう。



健人の書いた小説の書き出しにはこう書いてある。


-人生はいつもちょっとだけ寂しいものだから

幸せを感じることが出来るんだ-


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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読させていただきました。 タイトルがものすごく秀逸ですね。 それにつられて読んでしまいました。 ああ、甘酸っぱい青春ですなあ。 自分はまったく経験しませんでしたけど。…悲しい。
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