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「ガアアアアアアッ!!!」
森の中に獣の発する大声が響き渡る。その声を発した獣は猿のように見える。しかし、普通の猿とは違い、体躯は三メートルほどあり、その腕は丸太のように太く、アンバランスな姿をしている。奇妙な姿をした大猿は森の木々を薙ぎ払いながら、走っている。大猿が追っているのは一人の人間、まだ少年の姿に見える。大猿の移動速度は世界的な記録を持つ陸上選手よりも遥かに早い移動速度だが、木々を破壊する手間もあり若干速度は遅れている。それでも相当な速度で移動しているが、その大猿が追う少年はそれ以上に速い。そして大猿とは違い、走る先にある木々は避けているようだ。
しばらくその追走劇は続いたが、開けた場所に来ると追いかけられていた少年はピタリと止まる。
「ガアアアアアッ!!!」
大猿が大きく咆哮しながら止まった少年に跳びかかる。それまで出していた速度のままの跳躍は普通の人間では反応すらできないほどだろう。少年はその跳躍してきた大猿に視線を向け、相手が跳躍してきたのを確認してから歩いて大猿を避けた。速い、という言葉では表せない異常な動きだ。大猿はその異常性を認識せず、勢いを殺し止まる。そして再び少年のほうを向き、近づいてその丸太のような腕を振るう。今度は少年は後ろに跳び避ける。大猿の腕は大地を抉り、土を大きく飛ばした。何度も大猿は少年にその腕を振るい攻撃するが、少年はその動きを見ながら異常な速度の動きで避ける。次第に大猿は怒りが募り、ドンドン、と地面を叩いた。
「グオオオオオオオオオオッ!!!!」
大猿は大きく腕を交差するように大地をえぐり、土を少年に向けて飛ばした。土に飲まれ少年の姿が消える。大猿はそれを見てにたりと口角を上げた。
「残念」
大猿の後ろから声が聞こえる。大猿が後ろを振り向くとそこにいたのは土に飲まれたはずの少年だった。その少年の姿を見て大猿は一瞬硬直するがすぐに腕を振るい、少年を殺そうとした。ざん、と肉を斬る音とともに大猿が振るおうとしていた腕が落ちた。少年はすでに先ほどの場所にはおらず、大猿の斜め後方にいる。
「ギャアアアアアアアアア!!」
大猿が悲鳴を上げ斬られた場所に手を当て、少年の方を向く。その眼には何が起きたか理解ができず、それを起こした相手に対しての怯えが見える。少年はいつの間にか剣を持ってていた。その剣は一般的なイメージの西洋剣のような両刃の直刀ではなく、反った片刃の剣だ。日本刀というよりはカットラスのようなものだろう。少年は剣を構える。大猿に見えたのはそこまでの動きだ。その動きの後、大猿の目の前から少年の姿が消えた。そして消えた次の瞬間には大猿の懐に少年はいた。大猿はその少年をとらえることができた。大猿が認識できたのはそこまでだった。大猿が最後に見たのは横向きの、剣を振るった少年の姿だった。
「言われていた大猿は退治しましたよ」
「う、うむ……」
少年が大猿の遺体を引きずり村に訪れた。村長と思わしき老齢の人物にその遺体を見せている。どうやら少年は村の人間に頼まれ大猿を退治しに行っていたようだ。
「頼まれていた仕事は終わりました。証明をお願いします」
少年は懐から羊皮紙を取り出し村長に渡す。
「わかった……」
村長は恐る恐る羊皮紙を取り、外に少年を残したまま入っていく。少年は特に追いかけるわけでもなく、立ったまま村長を待っている。退屈そうに少年が村の家に目を向ける。村の家の幾つかは扉が少し開いており、そこから少年を除いているようだ。しかし、少年がそちらに視線を向けるとすぐに扉は閉まる。どうやら少年に対して村の人間は怯えているようだ。ふう、と少年はため息をつく。特に思うことはなく、慣れた様子だ。直ぐに村長が少年の下に戻ってくる。
「ほれ。これでいいじゃろう?」
「ありがとうございます。これはどうしますか?」
そういって少年は死体を指す。村長は死体のほうに目を向け、眉間にしわを寄せる。
「そちらで始末してくれんか? ここにこんなものがあっても役に立たぬ、邪魔なだけじゃ」
「わかりました。森のほうに打ち捨てておきます」
「しっかりやっておいてくれ。それではの」
そういって村長はそそくさと建物のほうに向かう。少年は特に何かを言うでもなく、死体を引きずって再度森へと向かった。
少年が森に大猿の死体を捨て、街へと向かった。街の前まで来たところでその道から外れ、街のはずれまで向かう。そこにあるのはそこそこ大きな建物だった。少年はそこに入る。
「ただいま」
少年が建物に入り帰還の挨拶をする。そんな少年の言葉に反応したのは入り口付近にあるテーブルのそばにある椅子に座っていた女性だった。
「おかえりなさいアジク。お仕事は終わりました?」
少年――アジクは女性に近づき、村長に渡していた羊皮紙をその女性に渡す。
「終わったよ。ちゃんと村長の署名ももらってるから、後で上に提出しておいて」
「はい。怪我はないかしら?」
女性は羊皮紙を受けとり、テープルの上に置く。そして少年の体を上から下までチェックしている。
「今回もいつも通り。工房にゴウトはいる?」
「今は部屋にいると思うわ」
「そう。出てきたら剣の調整を頼むって言っておいて」
「わかったわ」
そこで女性とアジクの会話は終わり、アジクは自分の部屋へと向かった。
「ケティは相変わらず心配性だなぁ。まあ、だれに対してもあんな感じだけど」
ぽそり、と自分の部屋に入ったアジクは独り言をつぶやく。先ほどの女性――ケティについてだ。
「はあ……最近王種が増えてる……いや、降りてきているのか? あいつらはなんだかんだで人里には来ないはずなんだけど」
そのままアジクは独り言を続けている。それは王種、あの大猿のような生物についてのようだ。
王種。それは通常の生物から外れた存在だ。例えばそれはアジクが殺した大猿のように身体的に普通の生物を逸脱した生物などだ。ほかにも、王種と呼ばれる存在の中には魔法使いのように炎や雷を出して操るような存在もいる。彼らを王種と呼ぶのは彼らがその生物と似通った種からは大きく逸脱して高い戦闘能力を持ち、その生物種の王とも呼べるような強者だからである。種にもよるが、多くの場合は群れの長の立場にあることも多い。
そして、アジクもまたその王種と呼ばれる存在である。アジクは人種の王種だ。
王種と呼ばれるものはいろいろな能力、特徴を持つが、その持っている能力や強さで下級、中級、上級に分かれる。多くの場合、動植物の王種は群れを率いる場合は中級の王種、単独の場合は下級の王種となる。そのうえで戦闘能力の高さや能力の高さで上級、中級に引き上げられることになる。アジクの倒した大猿は単なる身体能力の向上と腕の攻撃能力が大きかっただけの下級の王種だ。
人種の王種は動植物の王種と比べ現れやすい傾向がある。だが、動植物の王種のように身体的な能力を持つ王種は少なく、特殊能力を持つ王種が多くなる。そしてその規模はそれほど大きくないことが多く、外部に攻撃性を持たない精神系の能力が大半だ。そのせいもあり、人種の王種は下級の王種であることが多い。これら王種は人に現れたものからわかっていることでは、普通の人間が産んだ子供が突如王種として生まれてくることがわかっている。しかし、王種の子供が王種になるとは限らず、遺伝的なものでないことも判明している。
そして人々は王種という普通の人間から外れた存在に恐れを抱き、隔離しているようだ。アジク達の住む場所が町から外れたところにあるのはそのためである。しかし、彼らを殺して脅威を取り除くことも、自分たちの領域の外に捨てることも普通の人々はできない。動植物の王種に対し普通の人間が対処するのが大変なことだからだ。一匹の王種を殺すのに何人、何十人もの兵士を投入しなければならない。それに対し人の王種を充てるのであれば数名で事足りるのだ。特に上級とされる王種は普通の人間では手出しできないくらい強大なものも存在する。そういった強大な脅威に対し対抗するために人の王種を生かし、確保しているのである。彼らは単純に隔離されているわけではなく、彼らに危険を強いる代わりに相応に生活の保護も行われている。衣食住の供給や、さまざまな要求の認可など、王種と戦うという役目を追う代わりに得られる賞与は多い。
「王種が人里に降りてくる、となるとどっかに何か出たのか?」
アジクは最近自分が相対した王種を思い出している。アジクは先の大猿のような王種の退治をここ暫く何度も頼まれていた。それは沢山の王種が人里付近に現れているということの証左だ。そしてそれは何故なのか。アジクが考えた結論はどこかに王種を追いやるような存在がいるということだ。
「……調査してみようかな」
アジクがぽつりと呟く。何度も王種の退治を依頼されて疲れがある程度溜まっているようだ。ぼす、とベッドに横になり、天井を見上げる。
「……この世界に来てずいぶん経ったなぁ」
天井を見ながら遠い目をしてアジクが言った。
「転生してもこんな世界だと大変だな」
苦笑いを浮かべアジクは目をつぶった。そのまま疲れから眠りについた。