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とある城の中、そこそこの広さを持つ部屋の中に、二人の人間が立っていた。一人は女性と呼ぶにはまだ少し幼い少女、綺麗な布や金属、宝石などがあつらわれた、派手さや豪華さはないが明らかに高価な服を纏っている、恐らく姫などの高貴な身分の人物。もう一人は、ローブを纏い、杖を持ち、明らかに魔術師と言った風貌の老人である。その老人は何やら唱え、足元に存在する魔法陣に魔力を注いでいる。
魔法陣は、みっちりと床に書き込まれている。その大きさは部屋の八割以上を埋め尽くし、少女と老人は部屋の端の方に追いやられている。老人が何やら唱えるたびに、魔方陣に書き込まれている図形、文字が光を放つ。魔法陣の大きさのため、すべての文字が光るまで時間がかかるだろう。
「どれくらい時間がかかりますか?」
「…………少々、遅くなりまする。何分、これほどの大きさの魔方陣の起動は前例がありませぬゆえ」
「そうですか……」
少女には焦りが見える。その焦りにより老人に対し問いかけをするが、老人の返しは冷静に、そして望みに届かない内容だった。そのせいで少女は気落ちする。老人はその少女の反応に申し訳なく思うものの、急いで起動させることができるわけでもなく、冷静に自身の役目をこなしている。
魔法陣の軌道は朝、日が昇ってからしばらくしてから行われていたが、もう日が天の頂に登ろうかと言う時刻になった。少女の焦りは最初の頃以上だが、同時に魔法陣も全ての文字が光を放つようになった。
「姫様、ようやく魔法陣の準備が整いました」
「そうですか! それでは、さっそく召喚を!」
「落ち着いてくだされ。焦っては失敗するばかりでございまする」
老人の言葉に少女、姫はすぐに魔法陣の起動を求めるが、それを老人が諫める。姫はその言葉に、自分の振る舞いが焦りからくる、立場に見合わぬものだと言うことを理解し、恥じ入った。
「ごめんなさい、急かしてしまったようですね」
「姫様の気持ちもわかりまする。しかし、召喚の魔法は儂だけで行うものではありませぬ」
召喚の魔法とは、通常は指定した生物や物品を召喚するものだ。そうした生物には特殊な印や、繋がりを作る必要があり、それをしないで別所に存在している者を召喚することは出来ない。目に見える、部屋の中に在る、などの自分に近い場所に存在する物であれば、そういった手間は必要なくなるが、遠方に存在する者を召喚するのであればその対象との縁が必要となる。
「……呼び出したいものを、想えばよいのでしたか?」
「ええ、その通りでございまする。今回行う召喚は、この世に在る物を呼び出すものではありませぬ。異世界に存在する勇あるものを呼び出す、世界を超える魔法。そのようなものを普通呼び出すことは出来ませぬが、この規模の魔方陣を用い、この命を費やす程の魔力を用いれば不可能ではございませぬ」
「死ぬ気で召喚を行う、などと言うのはやめてくださいファロット。あなたの命に代わるものはちゃんと用意しておりますよ?」
そう言って、姫が魔方陣の中に在る宝石を指し示す。魔方陣上に存在する宝石は、ある魔物の体内に存在しており、それにより膨大な魔力が蓄積されている。それを老人の命の代わり、魔法の燃料として用いることで死なずに召喚を行おう、ということである。
異世界召喚。通常、異世界の物を召喚すると言う発想はない。何故なら、異世界の者とこの世界の物では常識、価値観、そもそも生物としての存在そのものが違ってあたりまえだ。下手な生物を呼び出せば、自分たちに襲い掛かってくるかもしれないし、逃がして人や街を襲い、最悪の場合国を、世界を滅ぼしかねない生物を読んでしまう可能性もあるだろう。
そんな、異世界召喚を普通の場合は行われない。そう、普通の場合であれば。この世界……彼らにとっては異世界召還を行わなければならない切実な理由が存在しているのである。
「暇様の心遣い、この老躯感激にございまする……」
「ただ飾っておくだけの宝玉よりも、あなたのほうが私たちにとっては大事です……ここで、召喚する者を想えばいいのですね」
「はい。召喚する者の形、性質、それらを、あなたの想い、願いで形作る。もちろん、それ自体が意味を成すわけではありませぬが、そうしてできた形は呼び出す者に繋がりまする。縁、近しければ近しいほど、その縁がつながりやすい。呼び出すことのできる者を、ある程度制御することが可能でございまする」
もちろん、あくまである程度だ。完璧に呼び出す対象を選択できるわけではない。ただ、想いが強ければ強いほど、魔法はその想いに感化される。魔法は理論の代物ではなく、曖昧な形の力を利用して得られるものだ。曖昧だからこそ、その魔法に加わる性質に影響される。
姫は魔方陣の前に立ち手を組みながら祈る。真摯に、この世界を救う、自分たちを助け護ってくる、勇者の存在を。
老人が魔方陣を起動させる。魔方陣から発せられる光が強くなり、その光が部屋の中に満ちる。発動しつつある魔法は、その光の満ちる部屋に存在する姫の想いを受け、その想いの性質に魔法自身を変化させる。その魔法は世界を貫き、異世界へとその力を伸ばす。そして、ある大きな力の塊を、姫の想いに合致する、在る力の塊を引き込んだ。
「っ!」
部屋の中に光が満ち、老人が思わず目を閉じる。それでも魔法の制御だけは辞めず維持している。姫は真摯に祈りをささげる時点で目を閉じているため影響はなかった。部屋に満ちた光は、魔法陣へと還り、魔方陣上に光の塊を生み出す。その光の塊は魔法陣上に満ち、魔法陣全体に光の半球として形作られた。
「…………」
「…………」
老人が、姫が、目を開けた先に在る光景がそれだ。一体異世界召喚の魔法は正しく発動しているのか分からない状況だ。そもそも、異世界召還の魔法に関し天お記録はあっても、その時に何が起きたか、どのような光景だったのかの記録が存在していない。よって彼らが正しく魔法が使われたかどうかを判断する基準がないのである。
二人の見ている前で、唐突に光がはじけ飛んだ。そして、その光の半球のあった中、魔方陣の上に、九人の人影があった。その人影の存在に、姫は笑顔を浮かべる。魔法は成功した、こうして異世界召喚が行われ、自分望む勇者が召喚されたのだと。
「初めまして、勇者様。よくおいでなさいました」
姫は勇者を、歓迎の気持ちを載せた言葉で迎えた。
当たり前の話だが、異世界召喚とは召喚される側にとっては交通事故のようなものである。いきなり別世界に召喚されるということはいつの間にか言葉の通じない外国に放り込まれている状況と同じ、と言えばその実態がわかりやすいだろう。ましてや、それまでゲームで遊んでいる状態だったプレイヤーたちにとっては異世界召還されたと言う事実は理解の外だ。
「初めまして、勇者様。よくおいでなさいました」
故に、その言葉を正しく理解できたものはいないだろう。そもそも、現状を正しく理解しているプレイヤーたちはいない。ボスを倒したと思ったら、そのボスの体が塵となって地面に魔法陣を刻み、光に包まれ一時的に意識が喪失していた。そんな状態から現状を把握しろと言われても不可能だ。たとえ意識が連続している状態だったとしても。
「何だ? イベントの続きか?」
「ここはどこだい? 部屋の中?」
「石の壁……城かな?」
「なんだ、ここ?」
状況を把握しきれず、現在の場所について、イベント関連の内容について、色々なつながりを考慮する。そんな中、フィルマは強く周囲の警戒をしていた。フィルマは気配の察知能力がある。それが、突如変化した気配配置を把握したのである。プレイヤーかNPCか、それが不明だが、多くの人間の存在をこの周辺に探知した。ここは城の中であり、城には働いている人間がたくさんいるのだから、気配を感じるのは当然のことである。
ブレイブはパティの言葉を聞き、床の魔法陣を見ている。最も、その内容に関してブレイブは理解できるわけではない。魔法使いと言ってもあくまでロールプレイ、スキルの所有と使用を行っているだけなのだから。そういう分野はパティの領分であり、パティの知識や魔力探知による把握の方が強いだろう。他のプレイヤーとは違い、パティと魔法の話をしており、少々異色だ。
そんな中、いきなりの周囲の様相の変化に戸惑い、不安からリュージの背中に隠れていたツキとシャイン、その二人を庇っていたリュージが前に出る。
「えっと……とりあえず、だ。ここはどこだ? あんたたちは?」
「ああ……えっと、ファロット、お願いできるかしら?」
「ええ、承りまする」
姫が後方へ下がり、リュージの前に老人、ファロットが出てくる。見るからに白髪の高齢の老人だが、まだまだ体に老いは見られない。
「儂はこの国の宮廷魔法使いのファロット・マルゲーディア。この国はアルディスと言う国でございまする。あなた方は異世界召喚により、この世界、この国に召喚されたので御座います」
リュージが前に出たことにより、その動向を見守っていたプレイヤーたち、リュージを含めた彼らは自分たちが異世界召喚されたということを、そうファロットに言われて理解したのであった。




