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「森とは違って適度に緑があっていいわねー」
「この花はなんでしょう?」
「犬除け……いや、狼除けか? そんな感じの奴だぜ」
「犬除け?」
花の名前、とは少し違うのだろう。恐らくだが効能を加味したものだと考えられる呼び方だ。
「ああ……そうだなー。何か強いにおいがするもんでもあればわかりやすいんだが……」
そう言ってジェリコが花を摘み取る。そしてこちらの鼻に花を寄せてくる。
「おい……匂いがしないな」
一般的に花は香りがあるが、花を直に鼻に近づけられても匂いが全くしない。
「匂いがしないってだけじゃねえんだ。なんで犬除けとか狼除けっていうのかは、これが匂いを吸い取るからさ」
「匂いを吸い取る?」
「ああ。臭い物があったら、近くにこの花を置けば周りに臭いにおいを振りまくことがないんだぜ」
「へー」
「……面白い話」
なんでその花がこんなところにあるのか、とも思う。流れる水場もそうだが、奇妙に居心地がいい場所だ。休憩場所としては申し分ないと感じてしまうこの場所をわざわざ迷宮に作る意味があるのだろうか。
「食べられる木の実もあるし、綺麗で臭いを吸い取る花もあるし、泉もあるしで、なんかここ良いわよねー」
「確かに雰囲気はいいですけど……迷宮は迷宮ですよ?」
「そうだな。俺たちの目的は迷宮の攻略だ。いつまでもここでのんびりしているってわけにもいかないだろ」
だが、ここに休める場所がある、ということが分かれば、次に来るときはここを目標にできる。三層入り口、五階の最後の部屋、七階の手前。途中に魔物の出ない休める場所がある、というのも妙だが、使えるのであれば最大限利用するべきだろう。
「さあ、そろそろ先を見てみるか」
「見てみるだけですか?」
「戻れる余裕があるうちに戻ったほうがいい。流石に疲れたり、装備がやばい状態であの木を登っていくのはきついだろう?」
「…………次来るときはしっかり準備する」
攻略しているうちに、必要になる道具や対処はわかってくる。徐々に各階を進む対策をしていけば、いずれは攻略にかかる時間は大きく減る。最も、流石にここらあたりからはどこか途中で休める場所で休むことが必要になるだろう。五階で道具を置いていったのは失敗だったな。
先を見に、この広場から下へと向かう階段を下る。階段を下りていくとその先には扉が存在していた。開けるとまた扉があり、中に入ると自動で閉じる。
「勝手に閉まった!」
「閉じ込められた!?」
ジェリコが急いで扉に手を伸ばし、押す。開けるときは引いてあけたので、こちらからは扉を押さないと開かないと思われる。閉じ込められたか、と警戒したものの、扉はあっさりと開いた。
「あ、開いたー!?」
「……流石に驚いたぜ」
「勝手に閉まるようになっている、ってことですね」
「……こっちも同じみたい」
アリムラが同じように、先の扉を引っ張り、手を放すと自動で勢いよく閉まる。
「……また扉か?」
アリムラが扉を開けた先には扉が存在していた。流石にいくつも扉があるとなると、無限に連なるエリアなのではないかと思ってしまう。しかし、迷宮でそういう構造になることは殆ど無い。仮にあったとしても、こういう迷宮の通路が一つの時はそういう構造が発見されることは今までのところない。
先に進み、三つ目の扉を開けた先にもまた扉があった。しかし、ここは前の二つの扉のあるところとは違い、上下に格子状の蓋のある穴が開いていた。
「……空気を上に吸い上げているみたいですね」
「この上っていうと、あの森か……」
それにどれだけの意味があるのかは不明だが、迷宮に存在する以上なんらかの意味があるのだと思う。迷宮は意外とそういうところがある。最も、それが誰にとって、何にとって意味があるのかは不明だが。途中にあるような俺たちのような侵入者が休めるような場所をわざわざ作ると言う迷宮にとってはよくないものも存在しているのだから。
上下に格子で蓋をした扉の間にある空間は三つあった。そのいくつもある扉の先をくぐっていくと、途中までの扉とは違う、物々しい鉄の扉が現れた。
「……ここから七階、か?」
「明らかにこの先に何かあります、って扉だしねー」
「しっかり準備しましょう」
全員、七階に入るのに戦闘や移動、先に進むのにしっかり準備をする。最も、今回はあくまで偵察が目的だが。
「よし、開けるぜ」
罠がないか、ジェリコが確認しつつ、扉をゆっくり開ける。
「うっ!?」
「ジェリコッ!?」
「っ!」
「うえっ!?」
「う……こ、これは……」
ジェリコが扉を開けている途中にうめき声あげ、呼びかけようとした所に、こちらも異変を感じる。いや、異変というよりは……異臭だ。
「ジェリコ、中途半端に開けずに急いで開け!」
「い、いや、でも」
「どうせ臭いのには変わらないんだからとっとと開け!」
「わ、わかったよ!」
ジェリコが扉を勢いよく開ける。罠はないようで、扉は普通に開いた。
「……臭い」
「腐臭がひどいですね……」
全員満場一致でこの階に入った感想を言うならば、臭い。臭いの一言につきる。この階は腐臭で満ちている。
「……あれ」
アリムラが指をさし、その方向に視線を向けると、蠢く人型の存在がいた。
「原因はあれですね……」
「ゾンビじゃん……」
「ひええ……あれ滅茶苦茶臭いんだぜ……?」
「……燃やす?」
「燃やしたら駄目だっ!」
「腐臭が酷くなるからだめ!」
ゾンビの類、いわゆる不死系の魔物は火が弱点と一般的に言われている。別に不死系の魔物でなくとも、生物系の魔物も火が弱点なので特別不死系の魔物が火が弱点ということもないのだが。
ゾンビ、不死系の魔物の中でも一番嫌われている魔物だ。人型をした魔物であるためか、動く死体と言う呼ばれ方もあるのだが、実際に死体が動いたと言う話はない。スケルトンのような骨系の魔物ならばともかく、この肉を持った不死系の魔物はともかく臭い。肉が腐っているためだ。最も、肉体が腐っているため、倒しにくいということはない。スケルトンとは違って攻撃も当たりやすい。攻撃を受けて怯むことはないものの、あるていど攻撃を加えれば倒れこみ、その間に袋叩きにすれば楽に倒せる。放置しておくと復活するので厄介だが。最も、この倒し方をすれば腐肉が体に付着して匂いが移る危険性がある。
炎が有効だが、炎を使うとその炎による腐肉の焼ける臭い、空気の動きによる臭いの拡散もあって、そうとうきついことになる。少なくとも迷宮でやっていいことではない。臭いで死にかねない。
「スケルトン、ゴーストもいます……」
「匂い対策した方がいいし、戻ろう!?」
「……そうだな」
誰も先に進むことを選ぶことはせず、来た道を戻る羽目になった。
「あー、ここそういうことかー」
「……ここで匂いが上に吸われるのか」
「…………犬除けの花」
「あの花は臭い消しのためか!?」
「そこまで迷宮が考えて配置をしていると言うことですか……?」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。迷宮は明らかに攻略する人間のことを考慮に入れた構造を作っている。別段おかしくはないが、その攻略をより難しい、厳しいものへと段々上げている。明らかに意図的なものだろう。
一体迷宮はどういう意思で、俺たちのような攻略者に迷宮攻略をさせているのか。少なくとも、ここは今までの迷宮とは大きく違う迷宮であることは間違いないだろう。このまま、攻略していていいのだろうか。