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この魔窟の大蜘蛛自体はそこまでの強さはない。橙の冒険者であれば苦戦せず一対一で勝てる相手だ。なのになぜ父さんは兵士を率いて攻略しなかったのか。
そもそも、事前情報では蜘蛛の情報しかなかった。恐らくだが、父さんは一度この魔窟に来ているはずだ。その時魔窟からあふれた魔物の討伐をしたのだと思う。兵士の最大の能力は個人の能力ではなく集団での戦闘や連携である。この魔窟はそれほど広いわけではなく、相手の大蜘蛛は天井や壁からも襲い掛かってくる。単独の戦闘能力が高いわけでない兵士が上下左右から攻撃してくる蜘蛛を相手にするのはつらいだろう。連携もとりにくいはずだ。だから兵士たちを率いて攻略しなかった。
父さんだけで挑むのであればこの魔窟を攻略できたとは思うが、それはそれで無茶になるだろう。緑の冒険者であった父さんも貴族であり、この地の領主をやっている。いくら強いからと言ってそんな無茶なことを敢行するわけにもいかない。ならば俺を行かせるのは良いのか、とも自分で思ったが。まあ、それを言うくらいなら最初から冒険者をさせたりはしないだろう。
「魔物でないなー」
先ほど蜘蛛顔の人型の魔物と多くの大蜘蛛たちに襲われてから魔物に遭遇しない。恐らくは魔窟内においてはあの蜘蛛顔の魔物が罠を仕掛け、それにより感知した外敵を大蜘蛛たちと一緒に襲う形なのだと思う。魔窟は迷宮のような罠があるわけではないが、生物の住みかとしての挙動があり、そこに住む魔物が罠を仕掛けることは珍しくない。
だが先ほどあれほどの数に襲われたとはいえ、ちょっと少ないように感じられる。いくらなんでもほとんど遭遇しないくらいに魔窟の魔物が少ないだろうか、
「出ないのは悪くないだろう?」
「……まあそうだけどな」
不満そうだ。まあ、しかたがない。
「っと、ちょっと止まるぞ」
「どうした?」
「いったん魔術を使って不明な部分を調べないと案内できない」
魔術を使って魔窟内の地図を作製しているが、一度に調査できる範囲には限度がある。そろそろ最初に使った時に判明した範囲の外側になる。もう一度調べれば全域が分かるだろうと思う。
「"風よ空間に満ちて道を示せ"」
魔術を用いて再度空間を把握する。最奥までの道、それが判明した。
「……?」
だが、それと同時に一つの影を見つける。いや、俺はあくまで構造と同時にその中にいる魔物の姿を把握しただけのはずだ。ただ、それがよくわからない者だっただけのはずだ。
「ハルト? どうした?」
「え? あ、なんだ?」
かなり様子がおかしくなっていたようで、アルツに心配そうに声を駆けられる。声の調子は軽いが声をかけてくる時点で結構心配をかけていたようだ。
「いや、変な魔物がいただけだ。一番奥までの道は判明したから行こう」
そう言って俺は先に進み、アルツたちを先導する。ただ、先ほど魔術を使ってからどことなく嫌な予感、悪寒に近い何かを感じている。あの影、あれを見たせいだろう。気にしないようにしているが、嫌な予感は止まらない。
目的地である魔窟の最奥に向かう中、地面を蹴るような足音が聞こえてくる。
「魔物か?」
「魔物!?」
少なくとも人間ではないだろう。この魔窟に入り込んだ人間は風で探ったときにいなかった。大蜘蛛ではない。ということは蜘蛛顔の人型の魔物だろうか。足音がどんどんと近づく。それと同時に嫌な予感が高まっていく。
奥の暗がりからその足音の主が現れた。それは蜘蛛の魔物なんかではない。ほっそりとした手足を持ち、右腕は異様に長い。頭はここで見た蜘蛛の顔ではなく、髪の生えていない人の頭にぎょろりとした大きな一つ目、口は左腕に無数に生えていた。異様な姿をした怪物だ。
ただ単にその姿が異様である、というだけならば変な話じゃない。だが俺はその姿、その存在から言いようも知れない嫌悪と恐怖を感じていた。それと同時に、その存在には叶わない威圧感のようなものも感じ、動きが止まっていた。近づいてくるその化け物に俺は何も行動できない。そしてそんな俺に向けて化け物は手を伸ばそうとする。
「はあっ!」
化け物の手を途中でアルツが攻撃する。化け物の右腕は切り落とされたが、相手はそれに痛打を感じている様子には見えない。
「ハルト!」
「っ!」
アルツの一喝で硬直が解ける。いまだにあの異様な怪物に対する嫌悪や恐怖、威圧感は感じているが先ほどのように全く動けなくなるほどのものじゃない。アルツが行動したことで、後ろのメリーやカリンも動けなかったのが動けるようになったようで、その気配が伝わる。それらを見たからか、アルツに腕を斬られたことをいまさらながら理解したからか、怪物の左腕についている口が一斉に叫ぶ。洞窟内、反響音で酷いことになって思わず耳をふさぐ。
アルツはその叫びの中、怪物に向かって突っ込んでいく。テンカウントを用いて十倍の速度で動いているのにあの怪物はそのアルツの動きに対応する。流石にその速度に完全に対応できているわけではないが、対応できるという事実の方が恐ろしい。
戦闘の最中、斬られていたはずの怪物の右腕がいつの間にか治っていた。その右腕を用いた攻撃は他の攻撃よりも早く、威力が高い。魔窟の壁を抉りとるほどだ。
「"大地よその身を覆い動く力を封印せよ"」
魔術を構築し、怪物の足を拘束する。直接的な攻撃となるとアルツと怪物の間には入れないが、怪物の移動がほとんどないのであれば、足を拘束することができる。足を拘束すればアルツが後ろに回ることも余裕になるはずだ。
怪物はあっさりと拘束され、そして拘束があっさりと破壊される。仮にも結構な魔力と術式を用いた拘束だったはずだ。
その行動をとった俺の方を怪物が見る。魔術に関しての知識があるのか不明だが、それをしたことが俺だと分かっているようだった。アルツへの攻撃をやめて俺の方にその右腕を伸ばしてくる。速い。
「ハルト!」
アルツに体を突き飛ばされ助かる。そのまま伸びていった右腕は壁に突き刺さる。
「はっ!」
アルツがその右腕を切断する。伸ばされていた右腕は元の大きさに戻っていく。
「悪い、助かった」
「別にいいぜ」
残っていた壁に突き刺さっていた右腕はぽろぽろと崩れて消えていく。いったい本当に何なんだあの怪物。
「いったい何なんだこいつは……」
「変異種じゃないでしょうか? 話には聞いたことがありますが、普通とは全然違う姿をしているらしいです」
魔物の変異種の話は聞いたことがあるが、それにしてもこの化け物は違うように感じられる。多腕や蜘蛛の特徴がない。ここが人型魔物の住処であるならばともかく、恐らくは蜘蛛系統の魔物が住む魔窟と行った所だろう。
考えているところに、思いがけないところから別の答えが出てきた。
「あれは亜神だ」
「……亜神?」
その答えに驚き、そしてその答えを出した相手に驚く。相手の正体について答えたのはアルツだった。