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竜が倒され、いまだ街に火の気が残る状況ではあるが、一応の安全が確保された。しかし、優樹は街に戻ることはしなかった。
「………………」
優樹は街から離れ、遠くの森の方へと逃げた。理由は単純で、街にいることはできないと優樹が考えたからだ。
今回の竜の襲撃、その襲撃において竜を退治した優樹は、本人から見ても、客観的に見ても、このファンタジー性のあるこの世界においても、明らかに異常だ。魔術と呼ばれるものがあるのは聞いているが、優樹の見せた空中を走る能力、ビームのように飛ぶ剣戟、突然実体化する剣。それらはこの世界においても存在しないようなものだ。
優樹と竜の戦いは空中で行われたものだ。つまり、遮るものがない場所で行われている以上、確実に目撃者が存在するだろう。街に残って入れば、自分がどう扱われるかわからない。竜を倒した英雄とし扱われるのか、それとも珍しい能力を持つ見世物小屋の動物のように見られるのか、はたまた危険な存在として処分されてしまうのか。
結局のところ、どうなるかはわからない。だが、今まで通り平穏無事に宿屋の手伝いをして生きる、なんてことにはならないだろう。だから優樹には逃げる選択肢を選ぶしかなかった。
「これでよかったのかなぁ……」
かなり遠くにあるマリーグンの町を見ながら、優樹は呟く。逃げるように街を去った、その選択をしたことに若干の後悔、不安を抱いていた。
だが、優樹は自分の望む、普通の生活を目指すのであればそれ以外の選択肢をとる余裕はなかっただろう。それをわかっていても、そう呟いてしまったのはある約束があったからだ。
「ビルツさん……ミーネさん……」
宿屋の夫婦との交わした会話、帰るという約束。それを保護にしたことが優樹にとって最大の心残りだった。
「約束、破ってごめんなさい」
誰も聞いてはいない。だが、優樹は言わなければならない、と思いその場で遠くに見えるマリーグンの町に向けて言った。
「かくして英雄は一人、だれにも称賛されることなく、姿を消した。まるで何かの物語のような話だな」
白い世界の中、『伊達と酔狂の神』が空中のモニターに映る優樹の姿を見てつぶやいた。彼は最初から最後まで、竜が町を襲った時から優樹が森でマリーグンに向けて謝罪を言うところまで、すべてを見ていた。
「うーん。よくある話、って思うべきかな? もうちょっとひねりっていうか、色々と欲しいなあ」
その発言はあまりに酷いものだ。彼にとって他の世界起こることは結局のところ娯楽に過ぎない。だからこそ、そういう当人の感情を無視した発言ができるのだろう。それは悪ではないが良いものでもない。ただ、それは彼の神としての在り様だ。彼はそういう神なのだ。
「ま、性格的にしかたないのかね。もうちょっと、英雄願望のある人間だったなら話は違っただろうなぁ。平穏なんて退屈なだけだと思うんだけど」
「それは人によるでしょう。ただ巻き込まれただけの普通の人間に期待するのはどうなんでしょうね?」
裂けるように空間に穴が開き、『調停と秩序の神』が現れる。
「あれ? 何で来たの?」
「……今回のことはあなたの差し金かと思ったのですが、違うようですね」
どうやら今回のことが『伊達と酔狂の神』の仕業ではないかと思い現れたようだ。
「あー、そういえばそっちでも監視しているんだったか? いくら俺でも、わざわざ別の世界に過干渉はしないぞ。いつも誰かを送るだけだろう?」
「……ええ、そうですね。殆どで行っていることは異世界に存在を送るだけですね。ぜひともやめていただきたいものですが」
ふるふると、彼女は怒りを抑えるように震えている。いつも彼のしていることにより仕事を増やされる彼女としては、特に問題ない軽い出来事のように言われるのは腹が立つのだろう。
「あー、あー、えっと、ここには確認に来ただけか?」
「……そうです」
「あー、そうか。大変だな」
「……まあ、ここ最近は見ているだけで人を送っていないようなので仕事が増やされていませんから、そこまで大変ではないですよ」
言外に、異世界に人を送って仕事を増やすなと言っているようだ。その言葉を聞いて『伊達と酔狂の神』はうっ、と言葉に詰まる。
「……しばらくはあの世界を見ているだけだから、まあ、大丈夫だろ」
「そうですね。ぜひそうしてください。こちらはそろそろ監視を外そうかと予定していますので、もし何かあったら連絡をお願いしますね」
「え? もう監視しないのか?」
『調停と秩序の神』の言葉に驚いた様子を見せる。今回これほどの力を見せた、神の力を宿しているだろう優樹の監視を外すのは奇妙に感じたからだ。
「ええ。今回、彼の実力を見ましたけど、それほど大したものでもないですからね」
あの世界や大多数の世界ではあれほどの戦闘能力を持つ存在はとんでもない脅威ではあるが、結局のところそれは人間規模、国家単位のレベルだ。星一つ、世界一つを滅ぼせるような力であれば相当な脅威であり、監視、必要であれば直接会ってこちら側に引き込むか、最悪殺して世界に還す必要があっただろう。
神を融合させたため、念のため監視をしていたが、わざわざ監視する必要のある危険な存在ではなかったため、監視を外すということだ。
「あ、そう。まあ、そっちがそう判断するならそれでもいいが」
「あなたはまだ見ているんでしょう?」
「ま、見ている相手の人生が終わるまではだいたい見るけど」
「ないと思いますが、何かあればそちらが連絡してください」
「……ああ、いいよ。何かあったら教えてやろう」
快く『伊達と酔狂の神』は承諾の返事をする。
「……あっさり承諾するなんて珍しいですね。まあ、いいです。それではこちらも用事があるので」
そう言って『調停と秩序の神』は空間を裂いて白い世界から去っていった。
「やれやれ。あいつも認識が甘いなあ」
去っていった彼女の姿を見届けた『伊達と酔狂の神』はぽつりと呟く。
「ずいぶん、都合がいいじゃないか。あいつが住んでいる街に、竜という強大な存在が突如現れ襲いかかる。いや、そもそもあいつが世界移動する神に巻き込まれ、存在が消滅仕掛けるところからしておかしいよな。なんでただ一人だけが巻き込まれる形で済んだんだろうな?」
その呟きは楽しそうな響きを含んだものだった。言っていることは恐ろしいことであるのに、彼にとってはそれすらも娯楽に等しい。
「そもそも、俺らが追っていた神は、何の神だったんだろうな?」
そもそも優樹があの世界に行くことになった原因、彼を巻き込む羽目になった攻撃を叩きこんだ、逃げた神。彼はその神のことを全く知らない。それは単に彼が知らないだけ、ということではない。そもそも、そんな神がその時まで全く存在したことがない、という意味合いだ。
「全く。俺はともかく、あいつも巻き込むとなると……上層よりも上だな。天層、『神』か」
『伊達と酔狂の神』は上を見上げ、その先、世界の上の方にいる存在を思い出しながら呟いた。とても楽しそうな笑顔を浮かべて。
「楽しいことになりそうだな。これからも」