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「あれ…………ここは……?」
青年が目を覚ます。起き上がり、周りを見ると、周囲は丘と野原、土が露出した道の今まで彼が一度も見たことのない光景だ。それはいわゆる昔の人の手がほとんど入っていない土地のように見える。
「……え? ここどこ?」
青年は周囲を見渡し、困惑する。彼はこんなところに来た覚えがない。
「確か……遅刻したから急いで川原の横の上の道を走ってたはず……あ、自転車は?」
先ほどと同じように周囲を見回すが、探している者はない。先ほども見たはずだが、やはり混乱しているためか正確に把握できていないのだろう。
「………………本当にここどこだ?」
この場所の光景はは彼のいた国ではほとんど見ることができないものだ。余程の田舎に行けばみられるのかもしれないが、少なくとも彼の住んでいた地域では確実に存在していないだろう。
「……夢、じゃないよなぁ」
はあ、と青年が大きくため息をつく。青年は夢だと信じたいが、肌で感じられる現実感が今いる場所が夢の世界であることを否定する。匂いも、風も、空気の感触も、すべてが今まで感じたことのない雰囲気を持つ。夢は記憶から作り出すものだ。感じたことがないことが夢に出てくることはない。
「…………土の道、どこかに通じてるのかな? ひとまず道をたどって人がいないか探そう。一人でいても仕方ないし」
青年はとりあえず道の先に向かって歩くことを選んだようだ。今まで自分の寝ていた野原から道に出て、太陽の傾きが右に見える方向に向かう。
「方角も時間もわからないな……持ち物もないし。残ってるの服だけか」
青年がここで目を覚ます前、意識を失う前には自転車や鞄などを持っており、ポケットにもいくつかの小物を入れていたが、それもない。着の身着のままで、他のものはまるきり存在していない。
「はあ……財布もないもんなあ。どうしよ」
歩きながら、青年はこの先どうするかを考える。その答えは結局見つかることはなかったが。
どっ、どっ、と地面をける音が遠くから聞こえてくる。それはかなり遠くから聞こえているが、その音の大きさから相当な力で地面を蹴っていることになる。青年はその音に気付くが、その音を何が起こしているのかはわからない。青年にできることは、その音を気にしながらも道を歩いていくことだけだ。
どっ、どっ、と地面を蹴る音は徐々に大きくなる。それはその音を起こす存在が自分に近づいてきていることを意味しているはずだ。
「……いったいなんだ?」
流石に青年もその大きな音が近づいてきていることに怖いという気持ちを抱く。その正体はすぐにわかった。大地を大きくえぐるように蹴り、青年のほうに向かってくる大きな牛が迫ってきていたからだ。
「っ!?」
それは牛に見えるが、角や顔の形などからそう判断したに過ぎない。よく見れば牛とは違う生物であることが分かるだろう。だが、そんなことには青年にとってどうでもいい。
「やばいっ! 絶対にやばいっ! ていうか異世界!? これ!?」
その牛の大きさが明らかに普通とは違っていた。彼のいた世界にバスの大きさに匹敵するサイズの牛はいないだろう。少なくとも、彼の知識には存在しない。
そんな存在が地面を蹴り、青年に向かって走ってきているのだ。単に青年に迫ってきていた牛に似た生物が肉食であるため、彼を食べようとしているだけだが、青年にはそんなことはわからないだろう。だが、自分にすさまじい速度で迫ってきていることはわかる。だから彼は全速力で逃げだした。
「もうなんだよ! なんなんだよ!!」
青年は叫びながら追ってくる牛から逃げ出す。青年の叫びは迫ってくる牛への恐怖というよりは、唐突に起きた自分への異常、わけのわからない状態に陥ったことに対するものが強かった。
青年は全力で逃げているが、妙にうまく動けない。何か自分の中でかみ合っていないような、戸惑いを感じていた。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。全速力で逃げ続ける。それが余計に彼の動きを阻害している。
「あっ!」
逃走の途中で青年は足をもつれさせ、転ぶ。すぐに立ち上がろうとするが、その前に青年の真後ろまでに牛が迫っていた。青年をその手の届く範囲に捉えた牛は、青年に向けて足を振りおろす。青年の体を潰すために。青年はすぐ後ろに迫った牛の方を向き、その足が迫る様子を目にしてしまう。
「うわああああああああああああっ!!!」
思わず青年が目を瞑る。その咄嗟の行動が彼にとってある意味運がいいことだった。青年の体から大きな力の波動が生まれ、足を青年に振り下ろした牛を粉砕した。目を瞑ったことでその場面を見ることはなかったが、破壊された牛は、向かってきた速度のままその血と肉片を青年にぶちまけた。
「え…………?」
青年は牛が破裂するさまを見ることはなかったが、そのあとに残った牛の残骸と、血のかかった自分の体を見ることとなる。
「え、あ、え、うあ、あ、うわ、うわああああああああああああ!!!!」
完全に思考が混乱し、青年はその場から走りさっていった。その走りは先ほどとは違い、歯車がかみ合ったように綺麗で、とても速い、彼を追っていた牛よりも速かった。ただ、それを彼はその時気付くことはなかったが。
「はあ、はあ、はあ…………」
青年は肉体的には疲れを感じていなかったが、精神的にはかなりの疲労がたまっていた。それまでの出来事による思考の混乱、どこかもわからないという不安、頼る相手もいない、自分だけで何とかしなければいけないという焦燥。それらが肉体の疲労以上に精神を疲弊させ、彼に疲れを感じさせていた。
ふらふらと、先ほどまで走っていたが、意識の疲労により歩きに変わっていた。
だが、それはただ疲労によるものだけではなかった。彼の目の前には、防壁の立てられた街、その入り口らしき門があった。その入り口まで、彼はようやく到達した。
「待て! お前は何者……って!? おい! 大丈夫か!? 血だらけじゃないか!!」
門番の仕事についているらしい、門前に立っていた兵士が街に入ろうとする青年い気付き、止めて確認しようとするが、その前に青年が血だらけの状態であることを見て、青年に駆け寄る。
「あ……」
「大丈夫か? 怪我はないか?」
「………………はい、大丈夫です」
青年は大丈夫だと門番に言うが、その声は疲れたような感じで、叫びをあげていたせいか若干掠れたような状態だ。流石に門番の兵士もそんな青年を放っておくわけにはいかない。
「とりあえず中に入れ。門に務める兵士の待機場所がある。そこで体の血を流して、話を聞こう。大丈夫か?」
「…………はい」
「こりゃ大丈夫じゃないな。連れていくぞ。歩けるな」
兵士は青年の手を引き、門の内側にある待機場所に連れて行った。




