私の後悔と勇者の求婚
「本当に行くの?」
唯一の友人と言って良い少女――リリエットの問いに、私は頷いた。
なぜ、こんなことになったのかと言う後悔と罪悪感。もはや、これ以上生きてはいられなかった。
行く先は魔界でも誰も近づかない魔境。汚泥と毒と死の灰が降り注ぐそこは空気を吸うだけで肺が爛れ、そこかしこにある沼に触れただけで肉は腐り、死の灰は触れた者を呪うと言う。
不死である私が死ねるとしたら、おそらくそこだけだろうから。
なおも止めようとするリリエットを振り切り、私は魔境への道を進んだ。
半年前、私は魔王の命令によって、人間界に赴いた。
魔王から命令されたのは、たった一つ。
勇者のパーティーに入りこみ、彼等の情報を流す事。
魔王は人間界をたびたび襲い、制圧しようとしていた。それに対抗して人間達かつて魔王と呼ばれた魔物を討ったという伝説の剣を抜いた青年を勇者として魔王討伐に赴かせることとなっていた。勇者一人ではさすがに心細いと、国は魔王を殺すために人々を募った。
そこに入りこみ、勇者の仲間となる事。
半人半魔であり、不死であることを覗けばどちらかと言えば人間の血を色ごく引いていた私は魔界からのスパイであることに気付かれずに潜入し、見事勇者たちのパーティーに入りこんだ。
最初こそ人間達に気付かれないかと怯えながら、壁を作って旅をしていたが、いつの間にか仲間たちはかけがえのない仲間と為ってしまっていた。
つまりはそう言うことだ。
私は人間達に好意を持ってしまっていた。あろうことか、敵であるはずの勇者たちにだ。
人間達は魔物を襲う恐ろしい者達と聞いていたが、そんなことなく、それどころか魔物達よりも……いや、それはともかく、あまりにも聞いていた話とは違ったことに衝撃を受け、そして自分のやっていることに疑問を持ってしまった。
勇者たちは私が情報を流していることなど気付かず、ただひたすら戦い続けた。どれだけ不利な戦いになろうとも決して諦めず人々の為に戦う彼等に罪悪感を抱くことは当然だったかもしれない。
けれども、私は結局裏切り者でしかなかった。
勇者たちは死んだ。
ヴェノン将軍により卑怯な襲撃で。
私が情報を流したから。
不死である私は生き残り、魔界へと連れて帰らされた。
勇者からお守りだと言って渡された金色の指輪を見る。鎖で首にかけていたそれに付けられた透明な宝玉は、強い守護の魔力を纏っている。おそらく、私が魔術師だから、攻撃されても倒れないようにだろう。彼は私が不死だと知らないから、それをくれたのだ。
指輪の内側には魔法文字が刻まれ、魔界でもめったに見られない魔法具となっている。
毎回暴走するパーティーをいさめる幼馴染の神官のメラク様。不正を見逃せず、困った人を見捨てられない女騎士、セレナ。乱暴者で見た目も恐ろしいくせに実は子ども好きでお人よしなクルセルさん。見た目は子どもだけれどなんでも知っているエルフで賢者とも呼ばれているロウ君。そして、いつも私を守ってくれる勇者。
歩いて行くうちに、次々と楽しかった思い出がよみがえる。
少しずつ、草木が少なくなり、荒廃した土地が目立って来る。
魔境まであと少し……暗いその土地を見ながら、微笑む。
ようやく、死ぬことができる。
ほっとしたところだった。
「え?」
突然大きな音が聞こえ、目の前が眩しく光ったと思うと、土地が抉られて大きな穴があき、魔境が跡かたも無く消え去っていた。
一瞬のことだった。
爆風すら起こらなかった。
「え??」
どうして?
まさか、誰かが魔法で魔境を消したと言うのか。いや、そんなこと、歴史上誰もなしえなかったことだ。
疑問しか出てこない自分の前に、魔法陣が現れたと思うと、五人の人影が現れた。
ロウ君の得意な転移魔法とよく似ている。いや、しかし彼等は殺されたはずだ。
そう混乱する頭で、転移して来る人達を見ていると、しかしやはり。
「はい、目の前にちゃんと移動できましたよ。誰ですか、出来ないだろって言ったのは」
自慢そうな顔で一息つく賢者ロウ君。
「おいおい……土地一つ潰すとかいいのかよ……勇者……」
青ざめながら魔境の跡地を見ているクルセルさん。
「ふむ。よかった。五体満足だな」
ぺたぺたといつものように怪我が無いかと調べて来るセレナ。
「……あー、えっと、とりあえず、ご愁傷様としかオレは言えないな」
勇者の事を一番よく知っている幼馴染のメラク様。
一番後ろで、何も言わない勇者。
なぜか、彼等が、生きていた。
「なん、で……?」
驚く私に、四人は顔を見合わせる。
「あー、まあそれは、こいつから……」
メラク様が背中をはたいて勇者を前に出す。
彼は、よろけながら私の前に来た。
いつもとそう変わらない彼は、なぜか左の頬が赤い。
そして。
「私と結婚して下さ「ちょっと待て!!!! お前っなんでいろいろすっとばしてそうなった! その前にちゃんと説明しろって!!」
今、勇者は何と言ったのだろう。なにかすごく大変な言葉を聞いた気がする。
いや、気のせいだ。
メラク様が手に持った杖でぶんなぐるのを回避する勇者を見ながら思う。
気のせいに決まっている。
心を落ち着かせて深呼吸をする。少しだけ落ち着いた。
セレナが心配そうに顔を覗き込んでくるが、大丈夫だと手で伝える。
そして、勇者が私が立ち直るのを待って、話し始めた。
「私は、君が……エルリーカが魔界から来たスパイであることを知っていた」
「……え?」
ならばなぜ一緒に旅を?!
言葉にできないほどの衝撃が私を襲う。
深呼吸をもう一度しても今度はもう落ち着けそうにない。
「最初から、魔族だと気付いていた」
「っ?!」
そんなっ偽装は完ぺきだったはずっ?!
またもや声にならない衝撃。
半分人間であるがゆえに、魔界ではいつも人間と間違われてきた。人間界でも、魔物が居ないかと何度か審査されたがそれすらもクリアして来た。だというのに。
勇者だからなのか。まさか、そうなのか。
「情報を流しているのも知っていた」
「……」
ならば、なぜ一緒に旅を……。
頭を抱えながら、考える。まさか、情報を渡して裏をかこうとしていたと言うのか。いや、でも毎回ひっかかっていた。いや、でも、最後の襲撃で死んだと思ったら今目の前に居る。
あれ、どういうこと?
もはや、普通の思考すらままならない。
「正直、いつでも魔王を殺せるが、君と旅をしたいと思い、寄り道をしていたのだが……今回の件でさすがにこれ以上旅を続けることは危険と判断し、決断した」
なにを。
もはや、驚きすぎて声が出ないため、とりあえず聞いているよと言う意味で頷いておく。
「君の婚約者に婚約破棄をして貰い、君の家族に結婚を許してもらおうと」
「なぜっ!!」
なぜ、なぜ婚約者が居るのを知っているのですか!! そもそも、私の家族をどうして知っているのですか?!
いや、まて。私の家族は独りしか生きていない。まさか、彼に? 彼に妹をくれと言ってきたのか? 本当に?!
あまりにも混乱して、もはや話が追いついて行かない。
先ほどまでの自分の後悔はいったいなんだったのか。
「無理やり婚約させられたと聞いたが……」
突然勇者は困った様な哀しい様な顔をする。
どうやら、私が婚約破棄に対してなぜ!と怒ったのかと思ったようだ。
「そ、そう、ですけど……そうじゃなくて……私の兄に、あったのですか」
おそるおそる、聞く。
まさか、嘘だと思いたい。
そもそも、兄の事は魔界でもトップクラスの秘密事項のはずだったのだが、どこでどう情報が漏れたのか。
「はい。快く、結婚を承諾していただきました」
「……」
もはや、言葉がない。
どうすればいいのか分からず、とりあえず現実逃避をしてみる。
もしかしたら、これは幻術かもしれない。それか、死に瀕した私の見る夢かもしれない。
「残念だが、現実だ。あいつはお前の過去を調べ上げ、家族構成や魔界での立場を知り、とりあえず一緒に居たいがためにお前の兄……魔王ゼルファード殿に直談判に行った。それにオレ達は巻き込まれた」
疲れた様子のメラク様の言葉に、クルセルとロウが頷く。
「大変だったな、エルリーカ……」
なぜか同情的なセレナが頭を撫ぜて来る。
「いや、大変だったのは僕達でしょ……」
疲れた様子のロウ君を見る限り、どうやら勇者は何時もように暴走しながらここへ辿り着いたらしい。
べったりとくっついてくるセレナを勇者が無理やり引き離す。そして、彼はもう一度……今度は膝をついて、私の手をとり、言った。
「エルリーカ、もう一度言います。貴方の事が好きです。私と結婚して下さい」
これは、夢ではないのだろうか。
「わたしのこと、恨んで居ないのですか? なんで、なんでわたし……なんですか?」
ともかく、状況がついて行けないが、とりあえず一番知りたい事を聞いた。
「恨んでいませんし……」
そう勇者が言うと、セレナやクルセルが後ろで頷いている。
それが嬉しい様な恥ずかしい様な、心が痛い。
そして、次の勇者の言葉で、そんなことを全て忘れてしまった。
「エルリーカ……私は、貴方を守りたい」
現魔王の妹。だというのに、人間の血を色ごく受け継いでいた為に秘匿され、虐げられ、生きている尊厳すら奪われ続け、不死であることをいい様に使われてきた少女。
不死である彼女を守ってくれるヒトなど一人も無く、心配してくれるヒトは侍女のリリエット一人だけ。
そんな彼女は天敵であるはずの勇者を目の前に、赤面しながら叫ぶ。
「ごめんなさいっ。け、けっこんとか、分かりません!!」
魔王ゼルファードと和解し、見事魔界との長年の因縁、戦いに終止符を打った勇者。
魔王と肩を並べる、いやそれ以上の実力を持つとされた彼だったが、魔王ゼルファードと直接交渉をし、平和的な解決をしたことで魔界からも人間界からも絶賛された。
そんな彼が、どうして魔王を殺さなかったのかと言うと、実は惚れた相手の兄だったから。なんていう事実を知る者は少ない。
ただ、世界を救った数年後、魔族の血を引く少女と結婚したことは瞬く間に世界に広まった。
彼の結婚が、魔界との交流を活発化させたことは言うまでも無い。
勇者さんサイドのお話しと、魔王さんサイドのお話しであと二、三話くらい続くと思います。