出逢い
僕は今年の春、大学生になった。地元の国公立大学。記憶力だけが自慢の僕の限界。それでもキャンパスライフには心が躍った。
そして夏、僕は19歳になった。誕生日には大学でできた友人たちと朝まで飲んだ。初めてきちんと飲んだ酒はただただ苦くて、正直つまみの方が何倍も美味しかった。
大学生初の夏休みはひたすらバイトをしまくった。日雇いの工事現場や深夜のコンビニのバイトなど何個か掛け持ちをして金を稼いだ。労働などしたことのなかった僕は労働の辛さを知った。1日死ぬほど働いて1万円も貰えないのが当たり前だった。それでも少しずつ少しずつ溜まっていく貯金を眺めているのは幸せだった。
あと仕事終わりのビールの美味さは人生で1番の幸福であると知った。
そして19歳の秋。僕の寿命はあと3ヶ月となった。
バイト先での健康診断で異常が見つかった。しかし僕は大した心配もせず、病院で再検査を受けた。結果は耳を疑うような結果だ。白血病だと医師は言う。症状はかなり進行しており、回復は困難。余命は長く見積もって3ヶ月と淡々と告げられた。
その日は夜、友人と飲む約束だったが、行かなかった。自分の部屋にいた。何度か携帯が鳴った気もするが出ることはなかった。
気がつけば朝だった。大学もある。しかし出掛ける気にはなれなかった。
白血病だと申告されてから2日経った。何度か人が訪ねて来た気がする。携帯もなっていた気がする。
3日経った。流石に腹が減ったのでカップラーメンを食べた。たとえ病魔に蝕まれていても、きちんと美味いと思えたことに驚いた。濃いめのスープが胃に沁みた。3分で汁まで飲み干したところで僕は心を決めた。
金をおろしに行く。夏休みから貯め続けた金。全て合わせて12万ほどが預金通帳には書かれていた。よくもここまで貯めたものだ。死ぬ人間のために貯めた金。ここまで滑稽な金がこの世にあるのだろうか。取り敢えず全ておろした。
そして僕は温泉街へと出掛ける。江戸時代のころからある由緒正しき温泉をちょうど中心に置き、そこから東西南北へ十字に様々な店が並ぶ。江戸時代に遊女がいた名残だろうか。この街には多くの風俗店があり、街の雰囲気はどこまでも下賤で卑猥だ。
その街の北の端にある公園は「出逢い公園」と呼ばれている。その名の通り、この公園では出逢いがある。そこで出逢うのは性欲にまみれたおっさんと物欲にまみれた女子中高生。
そこは売春狙いの奴らが集まる場所だ。
僕はここに用があった。つまり春を買おうということだ。僕には高校生の時、彼女がいた。しかし奥手の僕は彼女の手さえ触ったことがなかった。そうして気づけば、彼女は他の男に寝取られていた。それがトラウマになり、早い話が僕はこの歳でも童貞だった。
僕は女の人を金で買う行為を嫌悪していた。いつか僕のことを本気で好いてくれる人と結ばれ、そして卒業することになると信じていた。だがそれは叶わない。3ヶ月後には死ぬのだから。
今から燃えるような恋が始まる可能性がないことはない。しかしたった3ヶ月ではその人が本当に僕を好いてくれているかどうかなど分かるはずもない。だったら僕はどんな形でもいい。童貞のまま死ぬのだけはゴメンだ。
たとえ昔の僕に嫌悪されようとそんなの知ったことではない。きっとそいつも余命が3ヶ月だと言われたら今の僕みたいになるはずだ。
売春の相場は知らないけど、12万もあればかなり上等なことができると思う。マンガなどで見る風俗はかなり安く売りたたかれていた覚えがある。
童貞を捨てるくらいのことは出来るであろう。
早速公園では物色した。どうせ最初で最後の豪遊だ。選ぶ権利くらいあるはずだ。
しかし、いくら見た目が好みの女の子を見つけたところで奥手の僕に声をかけることなどできなかった。そもそもこの子たちは身体を売ることに慣れたような女の子たちだ。それは僕の嫌いなタイプの女の子だ。
この公園に来て1時間はたった。僕はしどろもどろにウロウロとする間にもスーツを着た地味なおっさんたちは派手に着飾った女の子たちの肩を抱き、公園を出ていった。
時には4人の女の子を連れて行く高そうなスーツを着たおっさんもいた。
嫌いだなんだと言いながら僕はそれを見て羨ましいと思った。結局僕は自分がモテなくて金も持っていないことを妬む卑しい人間でしかなかった。
1時間半が経った。流石に諦めようと思い、公園の西口から出ようと思ったところで彼女に出逢った。
その子は長く豊かな黒髪で細身の身体に有名私立女子校の制服を着ていて、その顔には細いがクッキリとした眉に小ぶりでスッと通った鼻、小さくいっそ薄すぎると言えるくらいの唇、そして何より一重だが切れ長で、優しいお日様のような茶色をした瞳が印象的の目を持っていた。
僕の瞳は黒色で彼女の瞳とは似ても似つかない物だけれど、どこか今朝見た鏡に映った僕の瞳のような同じ光をたたえていた。
この娘に決めた。すごく大人しそうで、全然ウリなんてやってそうにないけど、ここに来る女子高生で清純派はいないはずだ。きっとこの娘と…
声をかけようとしても勇気が出ず、ただ見つめていたらその娘がこちらに気付いた。立ち上がり僕に近づいてくる。
慌てふためいている僕にその娘は言った。綺麗な陶器製の鈴の音のような澄んだ声だった。
「お兄さん。私をいくらでもいいです。買ってくれませんか」
やっぱりこの娘もやってるのか。…正直ショックだった。やはり僕は身勝手だ。買おうとしてる僕がこの娘に失望できるはずもないのに。
「…じゃ、じゃあ。12万でどう?」
「えっ?……い…いいです…行きましょう」
僕が同意したことにガッカリしたように見えたのは僕の思い過ごしだろうか。
ホテルまで並んで歩いた。会話はなかった。無言のまま下卑た街を歩いていく。
1時間休憩、5000円のホテルに入った。中は外見に似合わずかなり清潔に保たれていた。受付のおばちゃんにすごく訝しそうな目線を送られながら料金を払い、部屋に行く。
部屋の中はダブルベッドが一つ、怪しげな照明とタンスのような物が備え付けられ、シャワー室もあるようだった。
その娘は無言のままだった。1人ベッドの端っこに座り、じっとしている。
「シャワー浴びてくるよ」そう声をかけた。
シャワーを浴びながら考えた、本当にあの娘とするのか。僕にそんな度胸が本当にあるのだろうか。頭の中は理性的に性欲を抑えつけようとしていたが、身体は正直だった。
シャワーから出てくると、その娘はまだ同じ場所に座っていた。シャワー室から出てきた僕を見て、少し身体を強張らせたようだ。
「私も…浴びてきます」
足早に僕の隣を通り抜け、シャワー室に入っていった。女の子のいい匂いがした。
30分たってシャワーを浴び終わったようだ。シャワー室から濡れ髪のまま白いバスローブを羽織ってその娘は現れた。
最高に盛り上がるシチュエーション。実際僕はそれなりに盛っていた。
しかし、彼女の茶色の瞳を見た瞬間に自らの下卑た愚かさを呪った。彼女の瞳は嵐の子猫のように濡れていた。
「…君は…なぜウリをしよう思ったの?初めてなんだろう?こういうの?」
彼女は口は動かそうとしてやめた。ただ首を縦に振っただけだった。
そこで僕は気付いてしまった。彼女の首筋。まるで初雪のように真っ白で触れたら折れてしまいそうなほど華奢なその首筋。
そこには10本の指がクッキリと残されていた。
「僕はもう、君と何かをするつもりはなくなった。でも話をしてくれないか?ちゃんとお金も払うよ」
そういうとその娘はまだ警戒したままだったが、すこし落ち着いたようだった。
「まずは…自己紹介でもしようか。僕の名前は木崎 優介。大学1年生だよ。ほら学生証」素直に受け取ってくれた。
「次は…君。別に本名を言う必要はないよ?ここで呼びやすい名前を名乗ってくれるかな」
「アリサ…」
「アリサちゃんか。君は…その…」
「木崎さんは。木崎さんはエンコーしようと思ったの」
話を遮られて聞かれた。やはり警戒心を解いてはくれていない。
「僕は…僕は3ヶ月後には死ぬんだ。白血病でね。もう助からないらしい。それで僕はその…女性とそういうことをしたことがなかったから、その…悔しくてね」
同情を誘うようで忍びなかったが他にいい言い訳も思いつかなかったので、正直に答えた。それを聞いたアリサちゃんは僕の顔を凝視し、真意を図っているように見えた。
「アリサちゃん。もしも違ったら申し訳ないんだけど、もしかして…その首の痣に関係があるのかい?君がエンコーをする理由と」
僕の言葉にアリサちゃんは物凄く悲しそうな顔をした。どうやら、間違いないようだ。
でも僕がそれを聞いてどうなる。僕は所詮客だったんだぞ。この娘が僕に自分のことをはなしてくれたところで僕にできることなどない。
「私は…」アリサちゃんは重い口を開いてくれた。無力な僕に打ち明けてくれるようだ。
「私は…私にも…あと3ヶ月しかないの。私は病名も聞いたことないような、難しい横文字の病気。どんどん記憶がなくなっていって、最後は呼吸の仕方も忘れちゃうんだって」
僕は聞くことしかできなかった。相槌を打つこともできなかった。
「それを聞いて私は決心したの。私は私の家族から逃げる。私を虐待する家族から逃げ切る。だって残り少ない人生だもん」
やはりあの痣は首を絞められた跡だったようだ。しかもそれは家族によるものだった。
「でも家族から逃げるにしても、お金は必要でしょ?移動するのも食べるのも。でものんびりしてる暇はない…だから」
「だから君はウリをしようした」
「…そう」
僕の頭の中は泡立て器で混ぜたようにぐちゃぐちゃだった。彼女の家族への憎悪もあった。アリサちゃんを不幸にしている神様とか言う奴にも腹が立った。しかしなにより…偽善者じみてる自分を殺したいほどに憎んだ。
こんな娘を自分は買おうとしてたのか。
でも僕はきちんとした偽善者になってしまおうと思った。
「私はもう…家には帰りたくない。あんなところに帰るくらいなら、私は今すぐ死んだほうがマシだ」
「だったら…どうせ捨てるような命なら、僕が12万で買おう。僕の家に来て、僕と一緒に暮らせよ。もちろん僕は君に指1本触れない。約束する。もし何かされたら警察に突き出してくれても構わない」
こんなことをしても意味はない。ただの犯罪行為。勘違い男の変態的所業だ。彼女の病気は治るわけでもないし、家族から逃げ切れているわけでもない。
でもそれでも僕は何も知らないこの女の子に1つの逃げ道を用意してあげたかったのだ。
彼女は僕を見つめポカンと口を開け静止している。この後、僕はこの娘に「は?キモ。そんなこと頼んでないんですけど。さっさと12万置いてうせろ」とか言われることも覚悟していた。
しかしアリサちゃんは。
「木崎さん…エンコーとか私以外にやったことないんだよね?…だったら買われてしまうのもいいかもね」
涙に濡れたままの瞳が三日月型に変わって、僕に微笑みかけてくれた。
僕の残りの3ヶ月をこの娘に捧げよう。そう心に決めた。
きちんとした小説の体をなしていません。構想のようなものをズラズラと書きました。
こんな設定もありかな?と思い描いた作品です。
設定だけでも楽しんでいただけたらと思います。